【毎日・科学環境部】
今週の新聞記事で一番うれしかったのは、「毎日」柳楽未来記者が、「記者の目」欄に5段の「1型糖尿病、幼児の入園拒否」というオピニオン記事を2面に書いていたことだ。
大阪本社社会部から、東京本社「科学環境部」に栄転になったようだ。
私は大学教授時代の24年間、一度もマルティプル・チョイス式の試験をしたことがない。すべて筆答式で、答案用紙の表裏への記入を許した。一枚一枚じっくり読むと、カンニングがすぐに見破れる。同じ文章が、出席名簿の前後に並んで出てくるからだ。特に「誤記」がそのまま書かれていれば、「コピペ」の決定的証拠になる。
答案採点で一番しんどかったのは、1995年、阪神大震災がおき、オーム・地下鉄サリン事件が起きた年で、新学期の聴講生は一組400人、3コマの授業だったので、1200人の学生を教えた。この年は他にもストレスが溜まることがあり、ついにスペインでの国際学会の後、躁うつ病の「躁病」になって精神病院に入院した。
いまだから明かせるが、採点はピッツバーグから急遽帰国した娘と家内がやってくれた。とても1200枚の答案など、私には読めなかった。
それで24年間の試験答案は、貴重な日本語資料として将来に役立つと思い、「広島大学文書館」館長の小池聖一さんに寄贈した。(その後どうなったかは知らない)。
聴講学生名簿の方は、いまでもすべて手元に保管してあるが、デジタル化が遅れ、「柳楽未来」がいつ私の講義を聴いたかはわからない。
私は、旧海軍江田島兵学校校長だった、井上成美(しげよし)の持論を踏まえ、「教育の成果が実際に表れるのは20年後だ」と講義で述べて来た。定年前の2年間は講義形式に疑問を感じて「ディベート授業」を実行した。学生を幾つかのグループに分け、生命倫理学あるいは健康科学の問題・命題に対して、賛成・反対の立場でチーム対決のディベートを行ってもらった。他の学生と私は審判になった。
これは非常に有効な授業法で、学生たちは自主的にサークルを形成し、西条に実家がある親も応援して、チーム練習には食事を提供した。それで交友関係も増えたと学生から聞いた。
まあ、それはともかく、松山支局の時に、柳楽記者は「先生の授業を受けました」と真っ先に言った。年間1200名の学生の名前と顔を教師が覚えているはずがない。
だが彼は宇和島市の隣にある予讃線卯之町にある明治時代の小学校にも案内してくれたし、2006年「宇和島腎臓売買」事件のドナーA子とのインタビューにも協力してくれた。それらのことには本当に感謝している。
「毎日」東京本社にも、彼の資質を見抜く人物がいて、柳楽記者が本社「科学環境部」に異動になったことをとても嬉しく思う。
「1型糖尿病」についての彼の記事はまだ60点くらいだが、彼を「毎日科学環境部」のスター記者として育てるため、鍛え上げるための協力を惜しまないことをここに表明する。
柳楽君なら、過去との腐れ縁がないから、「修復腎移植」を真っ向から正当に報じられるだろう。私はそれに期待する。
今週の新聞記事で一番うれしかったのは、「毎日」柳楽未来記者が、「記者の目」欄に5段の「1型糖尿病、幼児の入園拒否」というオピニオン記事を2面に書いていたことだ。
大阪本社社会部から、東京本社「科学環境部」に栄転になったようだ。
私は大学教授時代の24年間、一度もマルティプル・チョイス式の試験をしたことがない。すべて筆答式で、答案用紙の表裏への記入を許した。一枚一枚じっくり読むと、カンニングがすぐに見破れる。同じ文章が、出席名簿の前後に並んで出てくるからだ。特に「誤記」がそのまま書かれていれば、「コピペ」の決定的証拠になる。
答案採点で一番しんどかったのは、1995年、阪神大震災がおき、オーム・地下鉄サリン事件が起きた年で、新学期の聴講生は一組400人、3コマの授業だったので、1200人の学生を教えた。この年は他にもストレスが溜まることがあり、ついにスペインでの国際学会の後、躁うつ病の「躁病」になって精神病院に入院した。
いまだから明かせるが、採点はピッツバーグから急遽帰国した娘と家内がやってくれた。とても1200枚の答案など、私には読めなかった。
それで24年間の試験答案は、貴重な日本語資料として将来に役立つと思い、「広島大学文書館」館長の小池聖一さんに寄贈した。(その後どうなったかは知らない)。
聴講学生名簿の方は、いまでもすべて手元に保管してあるが、デジタル化が遅れ、「柳楽未来」がいつ私の講義を聴いたかはわからない。
私は、旧海軍江田島兵学校校長だった、井上成美(しげよし)の持論を踏まえ、「教育の成果が実際に表れるのは20年後だ」と講義で述べて来た。定年前の2年間は講義形式に疑問を感じて「ディベート授業」を実行した。学生を幾つかのグループに分け、生命倫理学あるいは健康科学の問題・命題に対して、賛成・反対の立場でチーム対決のディベートを行ってもらった。他の学生と私は審判になった。
これは非常に有効な授業法で、学生たちは自主的にサークルを形成し、西条に実家がある親も応援して、チーム練習には食事を提供した。それで交友関係も増えたと学生から聞いた。
まあ、それはともかく、松山支局の時に、柳楽記者は「先生の授業を受けました」と真っ先に言った。年間1200名の学生の名前と顔を教師が覚えているはずがない。
だが彼は宇和島市の隣にある予讃線卯之町にある明治時代の小学校にも案内してくれたし、2006年「宇和島腎臓売買」事件のドナーA子とのインタビューにも協力してくれた。それらのことには本当に感謝している。
「毎日」東京本社にも、彼の資質を見抜く人物がいて、柳楽記者が本社「科学環境部」に異動になったことをとても嬉しく思う。
「1型糖尿病」についての彼の記事はまだ60点くらいだが、彼を「毎日科学環境部」のスター記者として育てるため、鍛え上げるための協力を惜しまないことをここに表明する。
柳楽君なら、過去との腐れ縁がないから、「修復腎移植」を真っ向から正当に報じられるだろう。私はそれに期待する。
安易に請け負って何かと問題が起きるよりも、設備の整った環境を増設することが先決だからだ。
まぁ、実際幼稚園などに行かなくても何も問題はない。
子供と一緒に家でご主人の帰りを待ってれば良いのである。
Mr.Sさん、何で笑ってるの(^o^)
エンブレム決まったけれど、Mr.Sさんの方が洒落てた!酒井さん落ちたけど洒落てた!←笑?
それでもやはりおっしゃる通り、私のエンブレムの方が良いと自分自身思います。
てなこと言うと ( ´,_ゝ`)プッって笑われそうだけどね。
共稼ぎしないと苦しいのなら結婚するな、子供作るなと言いたい。
一度退職すると正社員になれないだと?
私など何度も正社員になっとるわい。
今回はアノニマスさんの仰っていること、私も実感しています。
馬鹿も休み休み( ´∀`)σ)∀`)
ワトソン君たち。