ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【分かち書き】難波先生より

2013-07-15 12:35:58 | 難波紘二先生
【分かち書き】昨7/13土曜日、久しぶりに広島市に出かけた。14:30の直通バスで出かけ、18:55のバスで帰ってきたから 正味2時間ほど紙屋町周辺にいた。外国人観光客が多く、広島の街は体感温度が40度くらいあり暑かった。


 本通り金座街(歩行者天国)を自転車に乗って前を見ず、左手にハンドルを握り、右手のケータイに夢中になって 走っている若い女がいて、無性に腹が立った。よほど蹴倒してやろうかと思った。こういうのが婆さんにぶつかり、相手が転倒して植物人間になり、1億円くらいの賠償を 裁判で命じられる 手合いである。「道交法」では自転車は歩道を走るのが禁じられており、車道を走らなくてはいけないのだ。押して歩くのが常識だ。


 「アカデミー」という古書店で4冊ばかり買った中に、萩原遼「拉致と核と餓死の国:北朝鮮」(文春新書)があった。100円だが、ものは新刊同様だ。


 「まえがき」を読んでいて、鉛筆で薄く 文字列の間に 斜線が引いてあるのに 気づいた。
 よく見ると、一文のなかに 句点がなく、改行も乏しい 文章パラグラフが 並んでいる。このため 文意を把握しづらくて、文に区切りを入れたのだ とわかった。これは「新聞記者あがり」の文章だ。新聞記者は句点と改行を多用しない。


 例えば、「私が/ いまアメリカで研究しているテーマも/まさにそれである。」という具合だ。「まえがき」以外に斜線が入っているのは、第1章「わが青春の北朝鮮」の「朝鮮戦争の頃」、「「大阪」という項目の 数頁だけだ。


 著者は1937年生まれ、大阪外大朝鮮語科卒業で、50年間、日本共産党員で「赤旗」の記者として活動、北朝鮮にも長く滞在した。「在日」とは書いてないが、北朝鮮に憧れて大阪の高校(市立だが生徒は全員朝鮮人)に学び、「「在日本朝鮮人留学生同盟」という組織を作っていた とあるから、彼もそうなのであろう。著者は 結局1989年になって「赤旗」をやめ、脱党している。


 で、この本の前の所有者は、鉛筆の跡から察するに、著者と同世代の在日で あまり本を読んだことがなく、朝鮮戦争の頃の記述と 大阪の在日の生活についての記録だけを、辛うじて拾い読みしたところで、投げ出したのであろう。もう少し 句点が多い文章なら、終りまで 読んでもらえたかも しれないのに。


 そう考えると、藤田恒夫先生が 唱えておられた「国語改革」を思い出した。「ミクロスコピア」は わかりやすい日本語を 目指していて、「難しい漢字や学術用語を使わない」ことと、「文章の分かち書き」を 基本方針としておられた。
 いま、このような古本に出会ってみると、「分かち書き」の重要性が よくわかった。
 以後、このメルマガでも「分かち書き」(半角スペース入り)を 採用することにした。
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