ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【日本海】難波先生より

2014-02-10 18:45:53 | 難波紘二先生
【日本海】「詮索する」ことを、育った郷の方言では「ねんだを掘る」という。私は子供の頃からそうだったので、母から「よくねんだを掘る子だ」とたしなめられた。「ねんだ」は恐らく「根太」であろう。根太まで掘られたら樹は立ち枯れてしまう。付け焼き刃の知識で教えている教師は、しばしば立ち往生した。小学校には通信簿に「操行」という欄があった。ねんだを掘っては先生を困らせていた私は、この欄に「優」がつくことはまれだった。

 ハワイの娘がWP: 1/30記事の「米ヴァージニア州議会が日本海と東海を並記するという条令を可決する」という情報を教えてくれた。今朝2/7の読売ニュースによると可決したようだ。今後ヴァージニア州では教科書にこういう地図が載ることになるらしい。(図1)


 
 「ねんだを掘る子」は、すぐに「東海は啄木も使っており普通名詞のはず。日本海は固有名詞。一体いつから、誰が使い始めたのか?」というような疑問をもち、もったらすぐに調べ始める。これを「性格」という。性格は先天的なものではない。一種の「生活習慣病」がつくる。私の性格は私がつくったものだ。誰のせいでもない。

 古地図100枚足らずを調べたらすぐに結論が出た。
 「東海」は東シナ海のことで、バーソロミュー編「オックスフォード高等地図帳」(1928)には、「東シナ海(東海)」(「East China Sea(Tung-Hai)」)記載されている。(この地図では竹島も「リャンクール島」となっている。)
 16世紀に明の使節鄭舜功(ていしゅんこう)が日本から持ち帰り、刊行した「日本一鑑」(1564)という書に載せた日本地図の題を見ると「中國東海外 蛮夷日本」となっていて、日本国が「中国の東海」の外にあるという認識を示している。よって「東海」が東シナ海であることが裏づけられる。
 秀吉による朝鮮戦争で捕虜になった朝鮮の学者姜(きょうこう)が、約3年の捕虜生活の後帰国して描いた日本地図には、日本の北にある海に名前がない。明の学者薛俊(せつしゅん)が著した「日本国考略」(1523)では、日本海の名前は「北海」となっている。これは日本の「北にある海」という意味だ。
 古い日本、朝鮮、中国の地図はみな南を上にして描いてある。だいたいこれはイスラム文化圏に至るまで共通である。北を上に描く地図は西洋文明の産物だ。いつだったかソウルに旅行して、駅の案内図を見たがさっぱり分からず、旅行案内と照らし合わせたら、南が上になった案内図だった。韓国人はいまでも「南が上になった地図」を頭の中に入れて、日常生活を送っているのだろう。
 この古い儒教的な地図によると、北が「上位」で、北の朝鮮から見ると倭は南にあり「下位」になる。東は「左」に来るから、左大臣の例のように、上位であり、西は「右」になるから「下位」である。だから日本海を「東海」と呼びたいのであろう。もう病的な自尊心というほかない。
 「日本海」の名称は、1602年にイタリア人宣教師マテオ・リッチが中国で刊行した「坤與(こんよ)万国全図」が文献上での初出である。東シナ海は「大明海」となっているが、この地図は明の皇帝に捧げられたものだから、「東海」を改めたものだろう。(図2)


 李氏朝鮮の地理学者李重煥(りじゅうかん)が著した「択里志」(1751)には、「八道總図」(朝鮮全図)と「慶尚道」の2枚が該当する地図としてある。
 「慶尚道図」は朝鮮半島南部の日本海に面する地域の地図だが、ここには「海」の字が付く地名が寧海、興海、金海、鎮海、南海と5つ出てくる。が、これは海を指したものではなく地名である。「東海」の名称はなく「東抵大海」と書かれている。「東は大海に抵(あ)たる」という意味で、日本海に相当する固有名詞がなかったことを示している。あれば「大海」とは書かなかっただろう。(図3)



 西側に関しては「西は全羅との道界に抵たる」とちゃんと書いてある。
 「八道總図」には東海、西海、南海の文字が見えるが、これらも海そのものの上に書かれておらず陸に書かれている。つまり、海に面した地方名である。その証拠に「南海」は島の名前(上図の左下)でもあり、朝鮮本土の地域名でもある。「道」は行政の単位であり、朝鮮にも古来の地域名があったはずである。李氏朝鮮は500年以上鎖国政策を続けたので、海に関する知見はまことに乏しかった。鄭和のような大航海も山田長政のような南方進出も大黒屋光太夫のようなペテルブルグ抑留も経験していない。
 固有名詞としての「東海」が存在したというのならやはりその証拠を挙げ、黄海及び南シナ海についても固有朝鮮名を列挙すべきだろう。ご都合主義では困る。
 江戸後期に「シーボルト事件」を起こしたシーボルトの「日本辺界略図」(1854)によると、東シナ海はドイツ語で「Die Ost See」(東海)となっている。日本の北の海は「Japanische See」(日本海)となっている。唯一、幕府天文方高橋景保(かげやす)が文化8(1811)年頃刊行した地図では、「日本海」でなく「朝鮮海」となっている。これを根拠に「東海」ではなく「朝鮮海」だというのなら、まだ分かる。
 以上のように、「東海」を主張する韓国あるいは韓国系アメリカ人の主張には何ら客観的な歴史的証拠がない。そもそも「日本海」という名称は日本人が勝手に付けたものではない。マテオ・リッチが命名し、日本学の泰斗フォン・シーボルトが受け継いで世界的に受け入れられたもので、「日本帝国主義」とは何の関係もない。
 現代中国の地図を見ると「政区図」(国境図)には「Nippon Hai」(日本海)、東シナ海は「Dong Hai」(東海)として掲載されている。南シナ海は「Nan Hai」(南海)である。日本海が「東海」と呼ばれることになれば、現在のDong-Haiが北に延長され朝鮮半島を取り囲むようになるだけだから、中国はちっとも困らない。(図4)


  
 ヴァージニア州のコリアンは世界地図の中の韓国を知らないのだろう。近視眼的に朝鮮半島だけを見ている。「東海」を英語でEast Seaと表記すれば、東シナ海の中国語表記と重なることも知らないのであろう。中国が名づけた海であるDong-Haiが対馬海峡をはさんで韓国の「東海(トン・ヘ)」とつながると、朝鮮半島が包囲されることもわからない。その心理的圧力は「日本海」の比ではないだろう。
 朝鮮の迷走は日清・日露の戦争の頃にそっくりだ。無知から国が栄えた試しはない。もっと勉強してもらいたい。
 それにしても安倍内閣は何をしているのか。靖国参拝は外交抜きの自己満足だったのか。
 とまあ、調べ始めたら、あっという間に9時間が一挙に過ぎた。さてメシにするか…

【言語学的な注記】「タイム・世界地図 第11版」(2003)を見ると「Sea of Japan (East Sea)」という風に表記してある。「TIME Almanac 2013」の地図も同様。これはカッコを使っての別名表記である。スラッシュ(/)を用いる表記だと並記という意味あいが強くなる。
 「TIME Almanac」は芸が細かくて、汎用地図では上記の通りだが、国別項目のところにある、位置を示す小地図では「North Korea」、「South Korea」ともEast Sea (Sea of Japan)となっている。「Japan」の項目の地図ではこれが逆になっている。
 マテオ・リッチが「日本海」と最初に中国語で表記した際には、中国語では名詞と形容詞の区別がないから、この「日本」には位置を表す意味しかなかった。
 シーボルトの「Japanische See」だと形容詞化されており、場合によって所有関係を表すと誤解される恐れはある。英語の前置詞ofには「所有関係」を表す場合もあるから、ここが「Sea of Japan」とした場合に誤解されるのであろう。
 しかし、「メキシコ湾(Gulf of Mexico)」はその大部分がアメリカの海岸線に囲まれている。誰もこれを問題にしない。英国とフランス・ノルマンジー地方の間には「英国海峡(English Channel)」があるが、これで英仏紛争は起こっていない。(但しフランス側は”La Manche=袖” という名称を用いている。)ノルウェーとアイスランドの間には「ノルウェー海(Norwegian Sea)」があるが、ここでも紛争は生じていない。
 シーボルトが中国語の「日本海」をドイツ語訳する際にJapan(ヤーパン)を形容詞化して「ヤパーニッシェ・ゼー」としたのは、語呂の関係で「ヤーパン・ゼー(Japansee)」とするのが好ましくないと思ったからであろう。後に英語化される時には、Japanese Sea(ジャパニーズ・シー)では、語尾の-neseとSeaが重なり響きが悪いので「Sea of Japan」となったのであろう。いずれにせよ、この「of」には、「メキシコ湾」の場合と同様に、所有関係を表す意味はない。
 私の経験では初めてSea of Japanという言葉をアメリカ人から聞いた時、一瞬意味がわからなかった。「日本の海、そんなのあったか?」と思ったのである。この誤解を避けるにはJapan Seaとするか中国政府のようにNippon Seaとする方がよいように思う。これなら東シナ海(East China Sea)、南シナ海(South China Sea)というすでに確立した呼称と矛盾しないし、所属関係と誤解されるおそれも少ないし、「日本海海戦」という、トルコの近代化やフィンランドの独立運動に大きな影響を与えた、歴史的な事件の名称を変更する必要もない。 日露戦争について英国の作家・歴史家H.G.ウェールズはこう書いている。
 「ロシアのバルチック艦隊はアフリカを周航して、対馬海峡で壊滅させられた。はるか離れた地でのこの無意味な殺戮はロシアの平民を激怒させ、革命運動の高まりにより皇帝は戦争終結に追い込まれた(1905)。ロシア皇帝は1875年に日本から奪った樺太の南半分を返還し、満州から撤兵し、朝鮮を日本に譲渡(resign)した。
 ヨーロッパのアジア侵略は終わりに近づきつつあった。ヨーロッパというタコの脚は縮まり始めていた。」(「A Short History of The World」, ペンギンブック, p.326)
 (訳注:樺太は千島列島と交換したもので、「日本から奪った」ものではない。ロシアは賠償金の代わりに樺太の南半分を日本に割譲したものだ。交換条約により千島列島は日本の固有領土となったが、第二次大戦末期にソ連が占領して以後、実効支配を続け、返還に応じようとしていない。)

 <韓国では一般的に、日本による朝鮮統治を自民族に固有にふりかかった災難という観点だけでとらえていて、人類史的なテーマとして植民地化の問題を追及しようという姿勢がまったくといっていいほど欠落している。客観的な世界情勢のなかで日本統治の問題を眺めて見ようとすることがない。また、そうした長めに立つ書物もほとんど出版されていない。>
 これは日本に帰化した元韓国人呉善花が近著「なぜ<反日韓国に未来はない>のか」(小学館新書, p.152)で書いていることだ。
 「宇宙戦争(The War of the Worlds)」の著者であるH.G.ウェールズは、まさに人類史的な視点から世界史を書いている。そこから見たら、日本も韓国もなんとちっぽけなことか。アメリカでの「東海並記」問題や「慰安婦像建立」問題には、韓国系アメリカ人の祖国への強い帰属意識がからみ、「コリアン・タウン」に見られるように群居する性質もからんでいる。ユダヤ人のゲットーは強制されたものだが、韓国系はみずからゲットーの住民になろうとしているように見える。そうならないように、ぜひ人類史的な視点で歴史を学んで欲しい。
 韓国は今TPP交渉で遅出しジャンケンのようなことをしようとしている。当初中国との貿易協定を結べば、TPPに加盟せずともやって行けると考えていたが、12ヶ国がルール作りを始め、中国も加盟の意向があると知り、あわてているのだ。
 http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/special/20140203-OYT8T00311.htm
 「二国間自由貿易協定(FTA)」だけではTPPに対抗できないのは明らかで、安倍首相も公約に違反し、JAを見捨て、参加を表明したのだが、遅出しジャンケンではルール作りへの参加が難しい。韓国は発車間際に駆け込み乗車しようとしているが、そう上手く行くものだろうか…
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