【ドクターズ・フィー】
★Feeは英語で「月謝、謝金」をいう。「Dr’s Fee」とは医者に実質払う金のことで「薬代」は入っていない。
医師サイトM3に
<12月21日 NHKニュースウオッチ9: 来年度2016年度の診療報酬改定についての報道、「医師の技術料などの「本体部分」を0.49%引き上げる一方、薬価と材料費は1.52%引き下げる」という内容を述べたあと、
アナウンサーの解説に、耳を疑いました。「これ(この改訂)は、医師の給料があがる一方、・・・」後半は、よく覚えていません。薬の値段は下がる、というくらいの内容だったでしょうか。
医師を含めた医療スタッフの人件費などに充てられる本体部分が「0.49%」上がるということをNHKが解説すると、医師の給料が上がる、という表現になるのでしょうか。医療関係の報道でのNHKのミスリードは以前から目に余るものがありましたが、あまりにひどい。>
という投稿があり、賛成9000人、反対4人となっている。
これは確かに「診療報酬」の内訳が世間によく理解されていないために起きる。NHKの不勉強も大きい。
日本の医療は昔から「医師の技術料」軽視する傾向があった。
江戸末期に出島に来たオランダ商館の海軍武官カッテンディーケは、オランダから連れてきた鍛冶屋が酔っぱらって長市内で日本人の男を棍棒で殴り、店を壊すなどの暴行を働いた事件を記録している。それによると、被害者は13日間の治療を要した補償として13両を請求、介護人は16両を請求したのに対して「医者にはたった3両だけを払えばよかった」と書いている。(カッテンディーケ「長海軍伝習所の日々」, 東洋文庫,1964/9, P.63-64)
13日間の治療費が3両で済むはずがない。薬代が10両以上あったはずだ。つまり当時から医者の「技術料」は低く、薬代が高かったのだ。
仮に私が内科の開業医だったとしよう。そこに風邪の患者が受診したとする。
「風邪など人混みに行けば誰でもひくものです。早く帰って玉子酒でも一杯飲んで、暖かくして、室内を適切な湿度に保ち、安静にしてください。風邪は医者に行けば一週間で治るが、自宅では7日かかると昔から言います」
といって、検査もせず投薬もしなければ、昔の1両にも満たない「初診料」しかもらえない。
それを「風邪は万病の元です、検査しましょう、肺のCTも撮りましょう」といい、血液検査を外注し、CTを撮り、アスピリンやら抗生物質をたっぷり出せば、売り上げ5万円も稼ぎ出せる。その8割は製薬会社や検査会社に流れるが、初診料と合わせて、手取りが2万円にはなる。患者の多くは1割負担だから、裏のからくりに気づかない。
かくて保険医療の今も「医師技術料(ドクターズ・フィー)」は低く押さえられ、患者も飲みきれないほど薬をもらわないと、受診による満足が得られないようになっている。アメリカの医療にはこれがない。「医者に口をきいてもらって10ドル、手を握ってもらって20ドル」と昔、いわれていた。つまり「技術料」の部分が格段に高いから、ムダな投薬をしなくてすむ。スイス・ジュネーブの町を散策していて、開業医のクリニックを見かけた。建物の外観・入口と看板の出し方を観察したら、雰囲気から「技術料」が医者の主たる収入源になっていることがわかった。
今回の「医療費改定」は医者が薬代の「かすり」をとって生きて行くのを是正し、本来の「技術料」をアップする方向へと、医療費構造が是正される一段階にすぎない。福島原発事故の年に「創立百周年」をむかえた日本病理学会は、「病理検査・診断」の保険点数のうち「病理医のDr’s Fee」にあたる病理診断料のアップを一貫して求めて来た。そのために「病理専門医制度」をつくり、病理学会を「一般社団法人」に作りかえてきた。
「専門医制度」が導入されてから、医師も地方医師会費、県医師会費、日本医師会費の上に、専門学会年会費、専門医資格維持会費など必要経費も倍増している。現役勤務医の場合、年間100万円近くの会費がかかるのではないか?
医学がこれだけ発展して細分化したら、「医師法」における自由標榜制の「標榜科」にはほとんど意味がなくなり、「内科医」と「内科専門医」を引き比べたら、「内科専門医」の方が上だという誤解が世間にある。である以上、同じ看板をかけるなら「内科専門医」を名乗りたいと思うのは医者の人情。
いまは、「医学博士」の学位では患者が集まらず、猫も杓子も「専門医」になりたがる。おかげで基礎医学教室は多くの場合、閑古鳥が鳴いている。これでは医者の「ノーベル賞」受賞は心もとない。
まあNHK報道部も、もちっと勉強して、これ以上「受診料不払い」が広がらないように、正確な報道をしてもらいたいものだ。
★★医療関連で「共同」が以下のニュースを配信している。
<検査取り違え、乳房全摘出 千葉県がんセンター:M3記事:共同通信社提供:共同通信社15/12/26>
<千葉県がんセンター(千葉市)は25日、早期の乳がんの30代女性患者(千葉県在住)と、別の患者の検査結果を取り違え、誤って30代女性患者の右乳房を手術で全摘出したと発表した。センターは「直ちに全摘出する必要性は低かった」として手術を受けた患者に謝罪した。センターは、外部の専門家を交えた院内事故調査委員会を設置し、原因を究明する方針。
センターによると、10月中旬、30代女性患者の乳房に針を刺して組織を採取、がん細胞を調べる検査を実施した。だが、同じ日に検査を受け、進行性の高い「浸潤性乳管がん」と診断された別の50代女性患者の検査結果とセンター内で取り違え、12月上旬、30代女性患者に右側乳房の全摘出手術を行った。
センターは、50代女性患者の現在の病状を明らかにしていない。12月15日、30代女性患者の手術時に取り出した検体を調べたところ、取り違えが判明した。>
この記事は「針生検」と「針細胞診」の違いを理解して書かれておらず、術前病理診断と術後病理組織診断の違いも理解していない。「取り違え」が手術場での患者の取り違えなのか、「病理検査」段階での検体違えなのかも明らかにされていない。
要するに記者の側に知識がなく、千葉がんセンターの発表をそのまま垂れ流したものだ。地方紙はこれをそのまま短縮して引き写すから、まず意味不明の記事となる。
充実性臓器で深部にあるもの(肝臓、腎臓など)では、診断目的での「針生検」が行われる。これは太い針を刺して、柱状に組織を採取する方法で、合併症としては出血があるが、侵襲が軽いのでよく用いられる。
これに対して「針細胞診」というのは「吸引生検」ともいい、細い針を刺して細胞をバラバラに吸引して、それをガラス・スライドに塗布し、染色して顕微鏡で診断するものだ。
乳腺や甲状腺、前立腺の場合によく用いられるが、超音波下に腫瘤を確実に穿刺しないと、腫瘍細胞が取れず、「偽陰性」になることがある。(「腫瘍細胞診:最近の進歩」、雑誌「病理と臨床」臨時増刊号、文光堂、1989/5。これには「リンパ節の細胞診」を私とその仲間たちが執筆している。)
熟練した病理検査技師や病理専門医なら、顕微鏡所見が陰性で、超音波などの所見で明らかに腫瘤があれば「針が腫瘤に達していない」と判断し、再検査を指示するが、今回の場合はどうなっていたのか?
呉共済病院の荒金幸子(当時37)婦長の乳がんの場合に、「空撃ち」が起こった。呉共済病院では細胞診は「医行為」として行われている。臨床的に4X3cmの深部乳腺腫瘤なのに採取された細胞には腫瘍細胞の所見がない。おかしいから「再検査」を指示したら、2回目にはがん細胞が出た。1987年12月4日診断確定、12月9日手術という迅速さは、外科側が「不手際」を取り返そうとしたからだ。この話は、中島みち「がん・奇跡のごとく」(文春文庫, 2005/6)に関係者の実名入りで紹介されている。
この本は荒金を初めとする患者たちの人間ドラマであり「病理診断なしに、がんの確定診断はつかない」という重要な章も含まれており、一般市民向けの「がん解説書」としてひろく推奨したい。荒金はこの本が出た後で亡くなったが、死因は乳がんなのかそれとも抗がん剤ハーセプチンの副作用によるものか、私は知らない。
それはともかく、主治医は自分の臨床診断と病理の診断が異なっていれば、病理に行ってクレームをつけ、一緒に標本を見なければいけない。そうしていれば検体違えだったら、事前に判明したはずだ。新聞記事は外科のシステムエラーなのか、病理部のシステムエラーなのかがわかるような内容でないといけない。
もし二人の患者の血液型(ABO式)が違えば、採取された細胞/組織の血液型を調べれば、検体間違いの有無は簡単に証明できる。
<12/27追記:これについては12/26「毎日」がスクープしていた。
12/15日に、切除した30代女性の乳腺のがん組織が、「細胞診」の結果と違うことに病理医が気づき、2人の患者と標本の遺伝子診断をして<取り違え>が確定したという。センターのコメントは「現段階でどの過程で間違いがあったか特定できていない」となっている。
血液型が同じだったから遺伝子検査が必要になったかどうかは、書いてない。
私も同じような事故を呉共済病院の臨床病理科科長時代に、経験したことがある。病理検査の申込書に記載されている臨床所見と組織標本の所見が違った。すぐにシステムを点検したら、内視鏡室で生検を行った際には、採取組織片をいれるホルマリン固定液のビンにはラベルがなく、患者名をナースが後でマジック記入していることがわかった。トレイに入れて病理科に運び、病理受付でビンに番号が付与され、申込書に基づいて台帳に検査番号、依頼科名、主治医名、患者名、年齢、性、住所などが記載される。
間違いは固定液入りビンにそのつど患者名を書くのでなく、複数のビンをトレイに並べて、後で名前を記入したために起こった。要するに内視鏡室で「検体違い」が発生したのだ。これを未然に防ぐには、病理科から提供する内視鏡室用の組織固定液入りのビンに、あらかじめ連続番号を付したラベルを貼り、番号順に使用し、検体を採取したらすぐに患者名をマジックで書いてもらう、そうでない検体は病理では受け付けない、という方針を採用するしかない。それを徹底したら、以後同様なミスはまったくなくなった。呉共済病院では35年以上、同様のミスは一度もないはずだ。
針吸引細胞診の場合は、スライドグラスに塗抹する手技が重要になるので、より良い標本を作製するために、臨床検査技師を診察室に派遣してその場で細胞を塗抹し、スライドガラス端の磨りガラスに患者名を記入し、固定液に入れることにしたから、検体違いは原理的に起こらない。これが1980年頃、今から35年前のことだ。
千葉がんセンターは何をしているのか、といいたい。
記事の一部に誤解もあるが、岡崎大輔記者に拍手を送りたい。
★ ★★
M3と「医療維新」がどういう関係にあるのかわからないが、「医療維新」の「私の履歴書」には、この前まで元京大学長の井村裕夫さん(内科医)の話が載っていたが、いつの間にか東北大名誉教授久道茂さん(公衆衛生学)に替わっていた。
https://www.m3.com/news/iryoishin/377574
久道さんには、彼が2002年に定年退官した後、渡邊昌さんの「生命科学振興会」主催のシンポジウム(於仙台市)で、坪井日医会長とともに講演した後、懇親会でお会いした。拙著「覚悟としての死生学」(文春新書, 2004/5)が出て、間もなくだったように思うから、2004年の秋だったろうか?
お弟子さんの
辻一郎「のばそう健康寿命」(岩波アクティブ新書, 2004/1)
はもう読んでいたように記憶する。これは「平均寿命の伸びではなく、健康で医者にかからない<健康寿命>の伸びこそが重要だ」と指摘した本で、元祖「ピンコロ」奨励本だ。
久道さんには余技があって、「茂堂久」のペンネームで「天空の柄杓」(近代文芸社、2001/3)をはじめ、幾つかのミステリー小説がある。
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_ss_ime_i_1_3?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%E8%8C%82%E5%A0%82%E4%B9%85&sprefix=%E8%8C%82%E5%A0%82%E4%B9%85%2Cstripbooks%2C279
自分が海外学術調査でおもむいた地域が舞台に選ばれている。だから現地に行ったことがないプロが書くものよりもはるかに面白い。「天空の柄杓」はいま民族独立派のテロが盛んな、中国トルファンと「火焔山」が舞台だ。そう「孫悟空」に出てくるあの山だ。茂堂作品を一度読んで見られるとよい。
東北大の初代公衆衛生学教授・瀬木三雄は、はじめ東大産婦人科の医者で腸管上皮内の内分泌細胞の集団を発見した。これは後に新潟大の藤田恒夫により「瀬木の帽子」と名づけられた。後、ドイツに留学し、内務省から厚生省が分離する時に活躍した。公衆衛生学者としての瀬木の仕事は、「瀬木の世界人口」で知れわたっている。
国により人口の年齢構成比が異なる。従って、たとえば老人が多い日本と若年者が多いアフリカの国との疾患罹患率は、そのままでは比較できない。そこでピラミッド型の仮想的な年齢階級別の「世界人口」を設定し、各国の数値を世界人口により補正して、年齢階級別の人口10万人当たりの患者発生数を比較しようという発想であり、これは疫学、公衆衛生学、地理病理学の手法として世界的に定着している。
そういうわけで東北大学公衆衛生学教室は、いわば日本の疫学・公衆衛生学の源流のような存在だ。
★Feeは英語で「月謝、謝金」をいう。「Dr’s Fee」とは医者に実質払う金のことで「薬代」は入っていない。
医師サイトM3に
<12月21日 NHKニュースウオッチ9: 来年度2016年度の診療報酬改定についての報道、「医師の技術料などの「本体部分」を0.49%引き上げる一方、薬価と材料費は1.52%引き下げる」という内容を述べたあと、
アナウンサーの解説に、耳を疑いました。「これ(この改訂)は、医師の給料があがる一方、・・・」後半は、よく覚えていません。薬の値段は下がる、というくらいの内容だったでしょうか。
医師を含めた医療スタッフの人件費などに充てられる本体部分が「0.49%」上がるということをNHKが解説すると、医師の給料が上がる、という表現になるのでしょうか。医療関係の報道でのNHKのミスリードは以前から目に余るものがありましたが、あまりにひどい。>
という投稿があり、賛成9000人、反対4人となっている。
これは確かに「診療報酬」の内訳が世間によく理解されていないために起きる。NHKの不勉強も大きい。
日本の医療は昔から「医師の技術料」軽視する傾向があった。
江戸末期に出島に来たオランダ商館の海軍武官カッテンディーケは、オランダから連れてきた鍛冶屋が酔っぱらって長市内で日本人の男を棍棒で殴り、店を壊すなどの暴行を働いた事件を記録している。それによると、被害者は13日間の治療を要した補償として13両を請求、介護人は16両を請求したのに対して「医者にはたった3両だけを払えばよかった」と書いている。(カッテンディーケ「長海軍伝習所の日々」, 東洋文庫,1964/9, P.63-64)
13日間の治療費が3両で済むはずがない。薬代が10両以上あったはずだ。つまり当時から医者の「技術料」は低く、薬代が高かったのだ。
仮に私が内科の開業医だったとしよう。そこに風邪の患者が受診したとする。
「風邪など人混みに行けば誰でもひくものです。早く帰って玉子酒でも一杯飲んで、暖かくして、室内を適切な湿度に保ち、安静にしてください。風邪は医者に行けば一週間で治るが、自宅では7日かかると昔から言います」
といって、検査もせず投薬もしなければ、昔の1両にも満たない「初診料」しかもらえない。
それを「風邪は万病の元です、検査しましょう、肺のCTも撮りましょう」といい、血液検査を外注し、CTを撮り、アスピリンやら抗生物質をたっぷり出せば、売り上げ5万円も稼ぎ出せる。その8割は製薬会社や検査会社に流れるが、初診料と合わせて、手取りが2万円にはなる。患者の多くは1割負担だから、裏のからくりに気づかない。
かくて保険医療の今も「医師技術料(ドクターズ・フィー)」は低く押さえられ、患者も飲みきれないほど薬をもらわないと、受診による満足が得られないようになっている。アメリカの医療にはこれがない。「医者に口をきいてもらって10ドル、手を握ってもらって20ドル」と昔、いわれていた。つまり「技術料」の部分が格段に高いから、ムダな投薬をしなくてすむ。スイス・ジュネーブの町を散策していて、開業医のクリニックを見かけた。建物の外観・入口と看板の出し方を観察したら、雰囲気から「技術料」が医者の主たる収入源になっていることがわかった。
今回の「医療費改定」は医者が薬代の「かすり」をとって生きて行くのを是正し、本来の「技術料」をアップする方向へと、医療費構造が是正される一段階にすぎない。福島原発事故の年に「創立百周年」をむかえた日本病理学会は、「病理検査・診断」の保険点数のうち「病理医のDr’s Fee」にあたる病理診断料のアップを一貫して求めて来た。そのために「病理専門医制度」をつくり、病理学会を「一般社団法人」に作りかえてきた。
「専門医制度」が導入されてから、医師も地方医師会費、県医師会費、日本医師会費の上に、専門学会年会費、専門医資格維持会費など必要経費も倍増している。現役勤務医の場合、年間100万円近くの会費がかかるのではないか?
医学がこれだけ発展して細分化したら、「医師法」における自由標榜制の「標榜科」にはほとんど意味がなくなり、「内科医」と「内科専門医」を引き比べたら、「内科専門医」の方が上だという誤解が世間にある。である以上、同じ看板をかけるなら「内科専門医」を名乗りたいと思うのは医者の人情。
いまは、「医学博士」の学位では患者が集まらず、猫も杓子も「専門医」になりたがる。おかげで基礎医学教室は多くの場合、閑古鳥が鳴いている。これでは医者の「ノーベル賞」受賞は心もとない。
まあNHK報道部も、もちっと勉強して、これ以上「受診料不払い」が広がらないように、正確な報道をしてもらいたいものだ。
★★医療関連で「共同」が以下のニュースを配信している。
<検査取り違え、乳房全摘出 千葉県がんセンター:M3記事:共同通信社提供:共同通信社15/12/26>
<千葉県がんセンター(千葉市)は25日、早期の乳がんの30代女性患者(千葉県在住)と、別の患者の検査結果を取り違え、誤って30代女性患者の右乳房を手術で全摘出したと発表した。センターは「直ちに全摘出する必要性は低かった」として手術を受けた患者に謝罪した。センターは、外部の専門家を交えた院内事故調査委員会を設置し、原因を究明する方針。
センターによると、10月中旬、30代女性患者の乳房に針を刺して組織を採取、がん細胞を調べる検査を実施した。だが、同じ日に検査を受け、進行性の高い「浸潤性乳管がん」と診断された別の50代女性患者の検査結果とセンター内で取り違え、12月上旬、30代女性患者に右側乳房の全摘出手術を行った。
センターは、50代女性患者の現在の病状を明らかにしていない。12月15日、30代女性患者の手術時に取り出した検体を調べたところ、取り違えが判明した。>
この記事は「針生検」と「針細胞診」の違いを理解して書かれておらず、術前病理診断と術後病理組織診断の違いも理解していない。「取り違え」が手術場での患者の取り違えなのか、「病理検査」段階での検体違えなのかも明らかにされていない。
要するに記者の側に知識がなく、千葉がんセンターの発表をそのまま垂れ流したものだ。地方紙はこれをそのまま短縮して引き写すから、まず意味不明の記事となる。
充実性臓器で深部にあるもの(肝臓、腎臓など)では、診断目的での「針生検」が行われる。これは太い針を刺して、柱状に組織を採取する方法で、合併症としては出血があるが、侵襲が軽いのでよく用いられる。
これに対して「針細胞診」というのは「吸引生検」ともいい、細い針を刺して細胞をバラバラに吸引して、それをガラス・スライドに塗布し、染色して顕微鏡で診断するものだ。
乳腺や甲状腺、前立腺の場合によく用いられるが、超音波下に腫瘤を確実に穿刺しないと、腫瘍細胞が取れず、「偽陰性」になることがある。(「腫瘍細胞診:最近の進歩」、雑誌「病理と臨床」臨時増刊号、文光堂、1989/5。これには「リンパ節の細胞診」を私とその仲間たちが執筆している。)
熟練した病理検査技師や病理専門医なら、顕微鏡所見が陰性で、超音波などの所見で明らかに腫瘤があれば「針が腫瘤に達していない」と判断し、再検査を指示するが、今回の場合はどうなっていたのか?
呉共済病院の荒金幸子(当時37)婦長の乳がんの場合に、「空撃ち」が起こった。呉共済病院では細胞診は「医行為」として行われている。臨床的に4X3cmの深部乳腺腫瘤なのに採取された細胞には腫瘍細胞の所見がない。おかしいから「再検査」を指示したら、2回目にはがん細胞が出た。1987年12月4日診断確定、12月9日手術という迅速さは、外科側が「不手際」を取り返そうとしたからだ。この話は、中島みち「がん・奇跡のごとく」(文春文庫, 2005/6)に関係者の実名入りで紹介されている。
この本は荒金を初めとする患者たちの人間ドラマであり「病理診断なしに、がんの確定診断はつかない」という重要な章も含まれており、一般市民向けの「がん解説書」としてひろく推奨したい。荒金はこの本が出た後で亡くなったが、死因は乳がんなのかそれとも抗がん剤ハーセプチンの副作用によるものか、私は知らない。
それはともかく、主治医は自分の臨床診断と病理の診断が異なっていれば、病理に行ってクレームをつけ、一緒に標本を見なければいけない。そうしていれば検体違えだったら、事前に判明したはずだ。新聞記事は外科のシステムエラーなのか、病理部のシステムエラーなのかがわかるような内容でないといけない。
もし二人の患者の血液型(ABO式)が違えば、採取された細胞/組織の血液型を調べれば、検体間違いの有無は簡単に証明できる。
<12/27追記:これについては12/26「毎日」がスクープしていた。
12/15日に、切除した30代女性の乳腺のがん組織が、「細胞診」の結果と違うことに病理医が気づき、2人の患者と標本の遺伝子診断をして<取り違え>が確定したという。センターのコメントは「現段階でどの過程で間違いがあったか特定できていない」となっている。
血液型が同じだったから遺伝子検査が必要になったかどうかは、書いてない。
私も同じような事故を呉共済病院の臨床病理科科長時代に、経験したことがある。病理検査の申込書に記載されている臨床所見と組織標本の所見が違った。すぐにシステムを点検したら、内視鏡室で生検を行った際には、採取組織片をいれるホルマリン固定液のビンにはラベルがなく、患者名をナースが後でマジック記入していることがわかった。トレイに入れて病理科に運び、病理受付でビンに番号が付与され、申込書に基づいて台帳に検査番号、依頼科名、主治医名、患者名、年齢、性、住所などが記載される。
間違いは固定液入りビンにそのつど患者名を書くのでなく、複数のビンをトレイに並べて、後で名前を記入したために起こった。要するに内視鏡室で「検体違い」が発生したのだ。これを未然に防ぐには、病理科から提供する内視鏡室用の組織固定液入りのビンに、あらかじめ連続番号を付したラベルを貼り、番号順に使用し、検体を採取したらすぐに患者名をマジックで書いてもらう、そうでない検体は病理では受け付けない、という方針を採用するしかない。それを徹底したら、以後同様なミスはまったくなくなった。呉共済病院では35年以上、同様のミスは一度もないはずだ。
針吸引細胞診の場合は、スライドグラスに塗抹する手技が重要になるので、より良い標本を作製するために、臨床検査技師を診察室に派遣してその場で細胞を塗抹し、スライドガラス端の磨りガラスに患者名を記入し、固定液に入れることにしたから、検体違いは原理的に起こらない。これが1980年頃、今から35年前のことだ。
千葉がんセンターは何をしているのか、といいたい。
記事の一部に誤解もあるが、岡崎大輔記者に拍手を送りたい。
★ ★★
M3と「医療維新」がどういう関係にあるのかわからないが、「医療維新」の「私の履歴書」には、この前まで元京大学長の井村裕夫さん(内科医)の話が載っていたが、いつの間にか東北大名誉教授久道茂さん(公衆衛生学)に替わっていた。
https://www.m3.com/news/iryoishin/377574
久道さんには、彼が2002年に定年退官した後、渡邊昌さんの「生命科学振興会」主催のシンポジウム(於仙台市)で、坪井日医会長とともに講演した後、懇親会でお会いした。拙著「覚悟としての死生学」(文春新書, 2004/5)が出て、間もなくだったように思うから、2004年の秋だったろうか?
お弟子さんの
辻一郎「のばそう健康寿命」(岩波アクティブ新書, 2004/1)
はもう読んでいたように記憶する。これは「平均寿命の伸びではなく、健康で医者にかからない<健康寿命>の伸びこそが重要だ」と指摘した本で、元祖「ピンコロ」奨励本だ。
久道さんには余技があって、「茂堂久」のペンネームで「天空の柄杓」(近代文芸社、2001/3)をはじめ、幾つかのミステリー小説がある。
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_ss_ime_i_1_3?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%E8%8C%82%E5%A0%82%E4%B9%85&sprefix=%E8%8C%82%E5%A0%82%E4%B9%85%2Cstripbooks%2C279
自分が海外学術調査でおもむいた地域が舞台に選ばれている。だから現地に行ったことがないプロが書くものよりもはるかに面白い。「天空の柄杓」はいま民族独立派のテロが盛んな、中国トルファンと「火焔山」が舞台だ。そう「孫悟空」に出てくるあの山だ。茂堂作品を一度読んで見られるとよい。
東北大の初代公衆衛生学教授・瀬木三雄は、はじめ東大産婦人科の医者で腸管上皮内の内分泌細胞の集団を発見した。これは後に新潟大の藤田恒夫により「瀬木の帽子」と名づけられた。後、ドイツに留学し、内務省から厚生省が分離する時に活躍した。公衆衛生学者としての瀬木の仕事は、「瀬木の世界人口」で知れわたっている。
国により人口の年齢構成比が異なる。従って、たとえば老人が多い日本と若年者が多いアフリカの国との疾患罹患率は、そのままでは比較できない。そこでピラミッド型の仮想的な年齢階級別の「世界人口」を設定し、各国の数値を世界人口により補正して、年齢階級別の人口10万人当たりの患者発生数を比較しようという発想であり、これは疫学、公衆衛生学、地理病理学の手法として世界的に定着している。
そういうわけで東北大学公衆衛生学教室は、いわば日本の疫学・公衆衛生学の源流のような存在だ。