ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【新聞に望む】難波先生より

2015-12-29 12:32:38 | 難波紘二先生
【新聞に望む】
 12/22「毎日」東京夕刊が久間十義(「禁断のスカルペル」著者)のインタビュー記事を載せているのを見つけた。<文と写真・小玉祥子>とある。内容はよい。
http://mainichi.jp/articles/20151222/dde/012/070/010000c
 だが卑怯だなあ、と思う。なぜこれを全国版の文化欄に掲載しないのか!
 2006年の「病気腎移植」事件では、毎日はバッシングの先頭に立った。私が支持意見を論評として寄せたら「現時点では載せられない」と却下されて、地元紙「中国」にやっと掲載された。「朝日」は慰安婦・福島原発問題での誤報を謝罪したが、病腎移植では謝罪していない。
 大島伸一(当時移植学会副理事長)のように法廷で自らの不勉強を認めた人物は、実質謝罪したと原告側患者たちは考えているし、私もそう考える。
 正面切っての謝罪が無理でも、せめてこの記事を全国版で読めるようにしたら、読者は「毎日」の態度変更を了解するだろう。

 最近、新聞の社説、コラム、寄稿の類には「日付」が入るようになった。切り抜きの便を考えてのことだと思う。だが社説など誰が切り抜き保存するか?ライバル新聞社の担当者だけだろう。読者の切り抜きに値するような記事は「日付と新聞ロゴマーク」を付けるようにしてもらいたい。「日、朝、毎、読、産、中」という漢字一文字でもよい。「愛媛」は愛で格好良い。
 日下公人が「WILL」でメディアの「空洞化」を論じて、「大局や現実を論ずる記者は消えて、その代わりに登場したのは何と<外注化>である。…地方新聞が通信社から買ってきたもので、東京ニュースやワシントンニュースを済ませているのと同じである。なかには解説や社説まで買ったもので済ませる地方紙があって、そうなると独自に書いているのは、地元の小学校のイベントか、県庁からの発表ものになる」と毒づいている。誰も読まない、切り抜かない「社説」に日付をいれるくらいなら、あるサイズ以上の「解説報道」記事にも日付とロゴをいれるのが、真の読者サービスではないか?

 エフロブ「買いたい新書」の「小説・新聞販売局」書評
http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1449731609
がアップ後4日で140万件のヒット数に達した。20件近くあるAmazonの読者レビューを読むと、新聞に対する信頼がすっかり墜ちているのがわかる。
 これでは困る。何とか新聞に立ちなおってもらいたい。部数至上主義はもうやめるべきだ。「日経」は50ページ近い頁数で170円でも売れている。50頁というと昔のNEWSWEEKと同じだ。あれは店頭売りで英語版が500円位した。日経は日本の新聞では活字が一番小さく、見出しも小さいから、情報量は他の全国紙の約2倍になる。それだけ「解説報道」記事が多い。一面コラム「春秋」執筆者の力量も確かである。

 日本のメディアはいまだに米国メディアをモデルとしているようだが、文明史的にみて「人口減少、高齢化、平均寿命の世界トップレベル、豊かな生活水準」を達成した日本は、もはや「先行モデル」のない世界に突入したと考えるべきだ。「追いつき追い越せ」はとっくに終わっている。(アマゾンのCEOジェフ・ベゾスは最近、買収した「ワシントン・ポスト」の新たな再建索を発表した。)
 15世紀、ドイツ・マインツのグーテンベルグが活字印刷術を発明して、出版革命が起こった。ITメディアはそれに匹敵するだろう。ネット広告はリンクをたどって、どの広告から購入者が情報をえたかがすぐにわかるから、広告主が正直であるかぎり広告収入がバカにならない。
 「グーテンベルク銀河系」(マクルーハン)が発見された後、写本を業とする「写字生」の大量失業が起こった。だが日本に書家、書道が残ったように、西洋にカリグラファー、カリグラフィーは残った。仮に紙新聞や紙本が全廃されても「華氏451度:本のページに火がつき、燃えあがる温度」(ブラッドベリ)の世界は実現しないだろう。
 メディアにおける労働の生産性を3割、質と量においてアップすれば今の危機は十分に乗り切れる。ITは個人においては「頭脳労働のサイボーグ化」を意味する。官製発表を垂れ流す前に、記者個人が自己データベースと照合し、発表の真偽を吟味するような仕掛けが必要だ。
(12/26「日経」によると、2014年の日本人の1人あたりGDP (名目per Capita GDP)は約3万6000ドル。世界で22位、トップのルクセンブルグの1/3、3位のスイスの半分の額である。香港にもイスラエルにも追い抜かれている。)
 記者には「新聞が好きな人」がなるべきだ。私は大学の講義では「企業の寿命はおよそ30年だ。今盛んに見える企業はやがて衰える。その時期は入社後30年、つまり君たちが50代、実りの秋を迎える頃にそうなる。今の待遇、給料がよいからと、そんなもので会社を選ぶな。
 自分が短い一生通じて、これがやりたいという仕事を見つけろ。小さくてもその会社に就職しろ。なければ自分で起こせ。そうすれば、趣味が仕事になる。上手く行けば大企業に成長してリッチになるだろうが、そうならなくても満足感、達成感は味わえる」と学生たちに説いてきた。その考えは今も変わらない。幸い子供たちはそういう生き方をしている。

 紙新聞の愛読者として注文がある。朝日が先鞭をつけるのではないかと思うが、横書きに早く移行してもらいたい。公文書はすべてA4横書きに移行した。私文書もほぼそうなった。
 (「朝日が先鞭」というのは、朝日新聞論説委員室編「朝日新聞天声人語・2015年秋(英文対照)」が(どちらかというと反朝日的だった)原書房から2015/11に出版されたからだ。これは左開き横2段組み本文とランニング・タイトル(頁上の余白に印刷された章名・項目名)と整合性がある。索引も頁番号が後からになるということがない。洋書との違いは相変わらず「書誌情報」(日本では「奥付」という)が一番後にある点だけだ。これも不合理だ。)
 ついで記事はA4縦のクリア・フォルダーに差し込めるように、レイアウトしてもらいたい。たこ足みたいに細く長い記事がつながっているのは、切り抜いた後の処理(私の場合はハサミで切り、スコッチ・メンディングテープで接合する)が大変だ。
 日経文化欄の文化記事は、縦見出しの左右に渡って本文が続いているから、これができない。折りたたんで収納するしか手がない。記者は、記事を商品の素材と心得て、自分が仕入れた材料が、どのように加工され店頭に陳列ないし配達され、消費者に「いやこれはいい」と満足してもらえるか、そこまでフォローすべきだ。
 新聞にはざっと目を通し、切り抜く必要がある記事の角に緑のマーカーでしるしをつける。読みながら切り抜くと、新聞がたためなくなるからだ。しるしをつけると、レイアウトの良し悪しが一目で分かる。スペース的にはA4サイズに十分に納まる分量なのに、レイアウトがそれを無視している記事が多すぎる。日経、産経は関連記事を裏面に配置しないが、他紙はそこまでの気配りがない。他紙は全面広告が少なく、裏面に記事を印刷するからこれが起きる。
 こうした「カイゼン」意識が組織の末端にまで浸透したら、新聞にはまだまだ未来がある。
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