【議論】息子夫婦は昨夜一泊して、今朝の日曜日 娘と孫を乗せて 山口県の周防大島に遊びに行った。現地で 嫁さんの同胞と合流し、ロッジに一泊するのだそうだ。
昨夜の話。息子が「最近の小説は 面白くなくなった。作家が あまりにもIT社会からかけ離れすぎている。きっと 金がないから デヴァイスが買えないのではないか…」というから、
「iPADで3万円、Kindleなら7000円だから、買えないはずはない。それを使うトレーニングを受けていないのだろう。
ちょうど19世紀初めの 第一次産業革命の時に、文字のリタラシーがない人がブルーカラーになり、ある人がホワイトカラーになったのと同じさ。英国では それが階級として固定化した。
今は第二次産業革命の最中で、ITを使いこなせない人は脱落して行く。それが<階級>として固定化するかどうかは わからないが、その可能性はある」というと、
「昔は作家がSFで未来を予測し、それに導かれて 科学者や技術者が現実のものを作った。ロケットがそうだし、ロボットもそうだし、インターネットもそうだ。今の作家には そういう未来予測の能力がない」というから、
「ちょっと待ってくれ。昔から 作家が未来を予測したことなどない。
オーウェルの「1984」が 辛うじて <双方向通信>による監視社会を想定しているだけだ。あのビッグブラザーは スターリンのソ連社会に対する 政治的批判だ。
ジュール・ヴェルヌの「月世界旅行」は 巨大な大砲をつくり、砲弾に人が乗って月に飛び出す話で、ロケットエンジンは使っていない。最初に実用になったロケットは ドイツのフォン・ブラウンが 第二次大戦中に開発したV2ロケットで、兵器として使われた。
「ロボット」という言葉は チェコの作家チャペクが「R.U.R.(ロッスムのユニヴァーサル・ロボット)」で使った言葉で、あのロボットは 金属の組合せでできた機械ではなく、プロトプラスマ(原形質)から作られた 生物学的なアンドロイドだ。
この戯曲は 一種のアンチ・ユートピア小説だ。
インターネットは H.G.ウェルズさえ予測していないし、コンピュータの父 アラン・チューリングも予測していない。
いろいろな技術やアイデアの寄せ集めで成り立っているが、中心になっているのは テッド・ネルソンが思いついた「ハイパーテキスト」というコンセプトだ。あの技術で サーバがどこにあっても、即時に そこにある原典にたどる着ける。
もちろん「検索エンジン」とか、「画面閲覧ソフト」とか の発明もあるが、基本になる技術は「ハイパーテキスト」だ。
これはSF作家の誰も 予言していない」と指摘した。
議論を始めるには、前提になる基礎事実を共有しないと、話が噛み合わない。
私の「ディベート教室」の学生なら そんなことは当たり前だと 思ってくれるのだが、息子には反発された。
「そんな細かいことなど 憶えていなくても、いまは ケータイ端末で検索できる。記憶力に負担をかけることなど 必要ない」と言って スマホをいじり始めた。どうも 若い世代とは意見が合わない。
昨夜の話。息子が「最近の小説は 面白くなくなった。作家が あまりにもIT社会からかけ離れすぎている。きっと 金がないから デヴァイスが買えないのではないか…」というから、
「iPADで3万円、Kindleなら7000円だから、買えないはずはない。それを使うトレーニングを受けていないのだろう。
ちょうど19世紀初めの 第一次産業革命の時に、文字のリタラシーがない人がブルーカラーになり、ある人がホワイトカラーになったのと同じさ。英国では それが階級として固定化した。
今は第二次産業革命の最中で、ITを使いこなせない人は脱落して行く。それが<階級>として固定化するかどうかは わからないが、その可能性はある」というと、
「昔は作家がSFで未来を予測し、それに導かれて 科学者や技術者が現実のものを作った。ロケットがそうだし、ロボットもそうだし、インターネットもそうだ。今の作家には そういう未来予測の能力がない」というから、
「ちょっと待ってくれ。昔から 作家が未来を予測したことなどない。
オーウェルの「1984」が 辛うじて <双方向通信>による監視社会を想定しているだけだ。あのビッグブラザーは スターリンのソ連社会に対する 政治的批判だ。
ジュール・ヴェルヌの「月世界旅行」は 巨大な大砲をつくり、砲弾に人が乗って月に飛び出す話で、ロケットエンジンは使っていない。最初に実用になったロケットは ドイツのフォン・ブラウンが 第二次大戦中に開発したV2ロケットで、兵器として使われた。
「ロボット」という言葉は チェコの作家チャペクが「R.U.R.(ロッスムのユニヴァーサル・ロボット)」で使った言葉で、あのロボットは 金属の組合せでできた機械ではなく、プロトプラスマ(原形質)から作られた 生物学的なアンドロイドだ。
この戯曲は 一種のアンチ・ユートピア小説だ。
インターネットは H.G.ウェルズさえ予測していないし、コンピュータの父 アラン・チューリングも予測していない。
いろいろな技術やアイデアの寄せ集めで成り立っているが、中心になっているのは テッド・ネルソンが思いついた「ハイパーテキスト」というコンセプトだ。あの技術で サーバがどこにあっても、即時に そこにある原典にたどる着ける。
もちろん「検索エンジン」とか、「画面閲覧ソフト」とか の発明もあるが、基本になる技術は「ハイパーテキスト」だ。
これはSF作家の誰も 予言していない」と指摘した。
議論を始めるには、前提になる基礎事実を共有しないと、話が噛み合わない。
私の「ディベート教室」の学生なら そんなことは当たり前だと 思ってくれるのだが、息子には反発された。
「そんな細かいことなど 憶えていなくても、いまは ケータイ端末で検索できる。記憶力に負担をかけることなど 必要ない」と言って スマホをいじり始めた。どうも 若い世代とは意見が合わない。
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