【開城(ケソン)】4/8の「朝鮮日報」が「韓国人は戦争の恐怖を感じない」と書いている。市民レベルでの備えがまったくないそうだ。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/04/08/2013040801088.html
ドイツとフランスの間には森林地帯と「マジノ要塞(マジノ線)」があるから、ドイツからフランスに侵攻するにはベルギーを経由するしかなかった。いったん北西に進み、ついでベルギーを突破したら大きく左に旋回するのである。
ドイツは第一次大戦でも第二次大戦でも、同じ侵攻ルートをとった。
韓国ソウルの北西約60キロにある「開城(ケソン)」工業団地の「閉鎖」を北朝鮮が宣言した。その前に、韓国人の追い出しを行っている。これが何を意味するかは、まだ正確にはわからない。
しかし1950年6月25日(日)早朝、北朝鮮軍の歩兵7個師団と装甲1個旅団の兵力9万人が、9箇所で南北境界の38度線を越えて、南進を始めた。当時、開城は38度線にもっとも近い韓国の都市であった。
開城が「主侵攻地点」であることを察知されないように、8箇所での「陽動攻撃」を行ったのである。
午前9時には開城が占領され、この地区を防衛していた「韓国第一師団」は壊滅した。首都ソウルは2日後に北朝鮮軍に占領された。
開城からソウルまでは、平野である。南東に直進すれば首都ソウルには、機甲師団なら1~2時間で達する。朝鮮半島の東側から「太白山脈」を越えて、ソウルを目指すのとはわけがちがう。
D.ハルバースタム『ザ・コールデスト・ウィンター:朝鮮戦争』(文藝春秋)を読むと、米CIAの情報将校が北朝鮮の「開戦準備」の徴候を事前に把握していた、とある。その徴候は3つあり、
1)南北境界線一帯の「無人化措置」が実施されていること。
(軍事侵攻をするなら、動きを察知されないように、無人化をはかる。)
2)橋の補強ないし幅の拡充が行われているかどうか。
(重い戦車や大砲を積んだ大型トラックの通行に必要となる。)
3)南北をつなぐ鉄道の再開工事がなされているかどうか。
(これは説明無用であろう。)
彼が送り込んだ工作員の報告は、これら3点共に「陽性」という所見をもたらした。しかし東京にあるGHQ参謀第二部(G-2)のウィロビー准将は、この重要な情報をまったく無視したという。マッカーサーが「奇襲攻撃」に弱いのはフィリピン以来だ。彼はワシントンからの通報を無視して、基地航空機を離陸させておくという措置を怠り、台湾から発進した日本軍機の空襲によりそのほとんどを失った。
奇襲攻撃により開城を失い、ついで首都ソウルが陥落した結果、韓国軍と在韓米軍は怒濤のような北朝鮮軍に押しまくられ、8月20日には、釜山と大邱を辛うじて確保する「釜山橋頭堡」に包囲されてしまった。あと一押しで朝鮮半島から追い落とされるところまで追いつめられた。
(これを救ったのはマッカーサーによる「仁川逆上陸」だが、本論と関係ないので省く。)
要するに、北から南を攻める(あるいは逆に南が北を攻める)さいに、開城は決定的に重要な意味をもつ都市である。
そこから韓国人を追い出し、工場から北朝鮮人をも追い出すという行為の意味は、歴史に照らせば明らかではないか。
「聯合ニュース」によれば、2003年に始まった「開城工業団地」建設と稼働プロジェクトは、今年3月から北朝鮮の異常な措置が目立ち始め、日々、加速している。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/04/08/2013040802219.html
小国が圧倒的な大国を相手に、戦争を引き起こした例として1864年の「パラグアイ戦争」がある。
「パラグアイ共和国」の初代大統領アントニオ・ロペスが死んだあと、地位を息子のソラノ・ロペスが継承した。軍事冒険主義者のソラノは1864年、ブラジルと戦争を始めた。ついでアルゼンチン、ウルグアイとも開戦し「対三国戦争」となった。
1863年に134万人あったパラグアイの人口は、ソラノ・ロペスが戦死して戦争が終結した1870年には、22万人に減少していた。人口が戦死または逃亡により80%減少したわけである。(P.ショーニュ『ラテン・アメリカ史』, 文庫クセジュ)
https://mail.google.com/mail/?hl=ja&shva=1#drafts
http://ja.wikipedia.org/wiki/三国同盟戦争
賠償金が払えないパラグアイは領土の1/4をブラジルに割譲した。パラグアイ人の捕虜は奴隷として売り飛ばされた。
成人男性が著しく減少したため、合法的に「一夫多妻制度」を導入せざるを得なくなった。移民を奨励せざるをえなくなったのも、人口激減のためである。(中屋健一『ラテン・アメリカ史』, 中公新書)
戦争が始まった1864年は、北米では南北戦争の最中であり、終わった1870年は普仏戦争が始まった年で、日本は明治3年である。
(南米の宗主国からの独立は、100年後のアフリカ諸国の独立と似ていて、みな宗主国をまねて王制、帝政、独裁制国家をつくった。このためアフリカと同様に、周辺国との侵略戦争が絶えなかった。)
金王朝の三代目、金正恩のふるまいは、独裁国家を継承したパラグアイのソラノ・ロペス大統領のそれによく似ている。
「朝鮮日報」は「開城工業団地の閉鎖で韓国の損害800億円」と報じているが、戦争になればそんな額は1~2日でふっとぶ。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/04/09/2013040900482.html
「中央日報」は「工業団地に投資した2000億円がムダになる」と心配している。
http://japanese.joins.com/article/266/170266.html?servcode=500§code=510
もともと、北朝鮮領内に「開城工業団地」を設立し、韓国に投資させ「戦争状態」宣言により「資産凍結」して、領有するのが目的だったと考えれば、騙された方が馬鹿だということになる。この期に及んで小さなソロバン勘定をしているのが、滑稽だ。
工業団地には123社が工場を持ち、約500人の韓国人管理者がいるが、4/3から食料の搬入も禁止されている。備蓄がないから、1週間で音をあげ、全員が退去することになるだろう。団地から南に通じる狭い通路は、韓国側が造った爆破装置付き側壁を爆破して封鎖すれば、南から団地を攻められない。残った工場は、北朝鮮が軍需産業などに転用できるわけだ。そのための労働者はすでに韓国が訓練してくれている。
「北に恐怖を感じない」のは韓国市民に勇気があるからではなく、たんに鈍感なせいだろう。
4/9夜の「報道ステーション」で森本元防衛大臣が「4月14日、日曜日は大丈夫だろう」と述べていたが、実は日曜日が奇襲攻撃をもっともやりやすい日だ。日本のパール・ハーバー奇襲は12月7日(米国時間)日曜日の朝だった。金日成が奇襲攻撃を開始したのは、1950年6月25日(日)早朝だった。いま、ソウル市民の70%はクリスチャンである。この日、彼らは教会に行く。教会にはテレビもラジオもないし、ケータイもマナーモードにするか、スィッチを切らなくてはいけない。
ソウル市民のおよそ半数が教会に出かけて、情報遮断状態にあるこの時間帯ほど、奇襲攻撃に向いた時間帯はない。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/04/08/2013040801088.html
ドイツとフランスの間には森林地帯と「マジノ要塞(マジノ線)」があるから、ドイツからフランスに侵攻するにはベルギーを経由するしかなかった。いったん北西に進み、ついでベルギーを突破したら大きく左に旋回するのである。
ドイツは第一次大戦でも第二次大戦でも、同じ侵攻ルートをとった。
韓国ソウルの北西約60キロにある「開城(ケソン)」工業団地の「閉鎖」を北朝鮮が宣言した。その前に、韓国人の追い出しを行っている。これが何を意味するかは、まだ正確にはわからない。
しかし1950年6月25日(日)早朝、北朝鮮軍の歩兵7個師団と装甲1個旅団の兵力9万人が、9箇所で南北境界の38度線を越えて、南進を始めた。当時、開城は38度線にもっとも近い韓国の都市であった。
開城が「主侵攻地点」であることを察知されないように、8箇所での「陽動攻撃」を行ったのである。
午前9時には開城が占領され、この地区を防衛していた「韓国第一師団」は壊滅した。首都ソウルは2日後に北朝鮮軍に占領された。
開城からソウルまでは、平野である。南東に直進すれば首都ソウルには、機甲師団なら1~2時間で達する。朝鮮半島の東側から「太白山脈」を越えて、ソウルを目指すのとはわけがちがう。
D.ハルバースタム『ザ・コールデスト・ウィンター:朝鮮戦争』(文藝春秋)を読むと、米CIAの情報将校が北朝鮮の「開戦準備」の徴候を事前に把握していた、とある。その徴候は3つあり、
1)南北境界線一帯の「無人化措置」が実施されていること。
(軍事侵攻をするなら、動きを察知されないように、無人化をはかる。)
2)橋の補強ないし幅の拡充が行われているかどうか。
(重い戦車や大砲を積んだ大型トラックの通行に必要となる。)
3)南北をつなぐ鉄道の再開工事がなされているかどうか。
(これは説明無用であろう。)
彼が送り込んだ工作員の報告は、これら3点共に「陽性」という所見をもたらした。しかし東京にあるGHQ参謀第二部(G-2)のウィロビー准将は、この重要な情報をまったく無視したという。マッカーサーが「奇襲攻撃」に弱いのはフィリピン以来だ。彼はワシントンからの通報を無視して、基地航空機を離陸させておくという措置を怠り、台湾から発進した日本軍機の空襲によりそのほとんどを失った。
奇襲攻撃により開城を失い、ついで首都ソウルが陥落した結果、韓国軍と在韓米軍は怒濤のような北朝鮮軍に押しまくられ、8月20日には、釜山と大邱を辛うじて確保する「釜山橋頭堡」に包囲されてしまった。あと一押しで朝鮮半島から追い落とされるところまで追いつめられた。
(これを救ったのはマッカーサーによる「仁川逆上陸」だが、本論と関係ないので省く。)
要するに、北から南を攻める(あるいは逆に南が北を攻める)さいに、開城は決定的に重要な意味をもつ都市である。
そこから韓国人を追い出し、工場から北朝鮮人をも追い出すという行為の意味は、歴史に照らせば明らかではないか。
「聯合ニュース」によれば、2003年に始まった「開城工業団地」建設と稼働プロジェクトは、今年3月から北朝鮮の異常な措置が目立ち始め、日々、加速している。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/04/08/2013040802219.html
小国が圧倒的な大国を相手に、戦争を引き起こした例として1864年の「パラグアイ戦争」がある。
「パラグアイ共和国」の初代大統領アントニオ・ロペスが死んだあと、地位を息子のソラノ・ロペスが継承した。軍事冒険主義者のソラノは1864年、ブラジルと戦争を始めた。ついでアルゼンチン、ウルグアイとも開戦し「対三国戦争」となった。
1863年に134万人あったパラグアイの人口は、ソラノ・ロペスが戦死して戦争が終結した1870年には、22万人に減少していた。人口が戦死または逃亡により80%減少したわけである。(P.ショーニュ『ラテン・アメリカ史』, 文庫クセジュ)
https://mail.google.com/mail/?hl=ja&shva=1#drafts
http://ja.wikipedia.org/wiki/三国同盟戦争
賠償金が払えないパラグアイは領土の1/4をブラジルに割譲した。パラグアイ人の捕虜は奴隷として売り飛ばされた。
成人男性が著しく減少したため、合法的に「一夫多妻制度」を導入せざるを得なくなった。移民を奨励せざるをえなくなったのも、人口激減のためである。(中屋健一『ラテン・アメリカ史』, 中公新書)
戦争が始まった1864年は、北米では南北戦争の最中であり、終わった1870年は普仏戦争が始まった年で、日本は明治3年である。
(南米の宗主国からの独立は、100年後のアフリカ諸国の独立と似ていて、みな宗主国をまねて王制、帝政、独裁制国家をつくった。このためアフリカと同様に、周辺国との侵略戦争が絶えなかった。)
金王朝の三代目、金正恩のふるまいは、独裁国家を継承したパラグアイのソラノ・ロペス大統領のそれによく似ている。
「朝鮮日報」は「開城工業団地の閉鎖で韓国の損害800億円」と報じているが、戦争になればそんな額は1~2日でふっとぶ。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/04/09/2013040900482.html
「中央日報」は「工業団地に投資した2000億円がムダになる」と心配している。
http://japanese.joins.com/article/266/170266.html?servcode=500§code=510
もともと、北朝鮮領内に「開城工業団地」を設立し、韓国に投資させ「戦争状態」宣言により「資産凍結」して、領有するのが目的だったと考えれば、騙された方が馬鹿だということになる。この期に及んで小さなソロバン勘定をしているのが、滑稽だ。
工業団地には123社が工場を持ち、約500人の韓国人管理者がいるが、4/3から食料の搬入も禁止されている。備蓄がないから、1週間で音をあげ、全員が退去することになるだろう。団地から南に通じる狭い通路は、韓国側が造った爆破装置付き側壁を爆破して封鎖すれば、南から団地を攻められない。残った工場は、北朝鮮が軍需産業などに転用できるわけだ。そのための労働者はすでに韓国が訓練してくれている。
「北に恐怖を感じない」のは韓国市民に勇気があるからではなく、たんに鈍感なせいだろう。
4/9夜の「報道ステーション」で森本元防衛大臣が「4月14日、日曜日は大丈夫だろう」と述べていたが、実は日曜日が奇襲攻撃をもっともやりやすい日だ。日本のパール・ハーバー奇襲は12月7日(米国時間)日曜日の朝だった。金日成が奇襲攻撃を開始したのは、1950年6月25日(日)早朝だった。いま、ソウル市民の70%はクリスチャンである。この日、彼らは教会に行く。教会にはテレビもラジオもないし、ケータイもマナーモードにするか、スィッチを切らなくてはいけない。
ソウル市民のおよそ半数が教会に出かけて、情報遮断状態にあるこの時間帯ほど、奇襲攻撃に向いた時間帯はない。
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