【雑感】
1)専門家ないしそれに近い専門職がグループを形成し、自己の特殊利益を図るのを「ムラ社会」と称する。メディアも「原子力ムラ」を強く批判してきた。
4/21日曜日の「産経」オピニオン欄で石川水穂論説委員が昭和57年に起きた、文部省の教科書検定で日本の中国「侵略」が「進出」に書き換えられたと、メディアが一斉に報じた「大誤報事件」の発生メカニズムを述べている。当時わたしは「朝日」を信頼してとっており、「文藝春秋」が後に誤報を指摘する論文を掲載しても信じなかった。
石川によると、当時、文部省記者クラブの記者は各社毎に分担して取材し、その結果を持ち寄り、情報を共有していたという。もし「教科書検定」を取材した社が誤認した情報をもたらせば、全社が間違った記事を書くことになる。信じられないが、当時は(あるいは今も)そんなことが行われていた。「一犬虚に吠ゆれば、万犬実に吠ゆる」というやつだ。
全紙が「教科書書き換え」と報じたから、国民はみな事実と信じた。政治家である宮澤官房長官をメディアが責めるのはお門違いだろう。誤報の出所は、「朝日」か「毎日」らしいが、問題は「新聞記者ムラ」の温床である「記者クラブ制度」にあることは明白だ。他人を批判する前に、自らの襟を正し、ムラを解散してもらいたい。
2)NYT日本語版が、ボストン爆発事件について、犯人兄弟とその父親、叔父について詳しく報じている。
http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887324309104578433562249395052.html?mod=WSJ_article_MoreIn_%25u30A2%25u30B8%25u30A2%25u30FB%25u30AA%25u30BB%25u30A2%25u30CB%25u30A2
2002年にチェチェンから自動車修理工の父親と一緒に米国に移住したようだ。叔父もメリーランド州に住んでいる。父親はロシアに戻っている。弟のジョハル(19)がマサチューセッツ大ダートマス校2年生に在学中で「海洋生物学」を専攻し、兄のタメルラン(26)はボストンのコミュニティ・カレッジを中退だそうだ。コミュニティ・カレッジは日本の「専門学校」みたいなものだ。
叔父は<2人はイデオロギーに基いて行動したのではなく、自分たちが(米国)に溶け込むことができなかったためにほかの人を逆恨みした「敗者だ」と非難し、「チェチェンは無関係だ」と述べた。> とある。ある意味で納得が行く。
彼らはなぜよりによって、「9・11」後で、イスラーム信者で、英語も喋れないのに、アメリカに移住したのだろうか?それもWASP(白人、アングロサクソン=AS、プロテスタント)の本拠地である、ボストンを中心とするマサチューセッツ州に…
彼らに「アメリカン・ドリーム」がかなう可能性は無限に低かった。だからといって「逆恨み」だけで、爆弾テロを起こすとはちょっと理解できない。
事件には、思想的背景も家族殺人もないようだから、「FBI・殺人分類」では「動機不明の大量殺人」に入る。1985年、テキサス州オースティンの州立大学の塔に、同校の学生(25)が銃、弾薬、食料を持って立て籠もり、銃を乱射、学生たちを撃ち死者16名、負傷者30名を出した事件だ。犯人は射殺されたが、司法解剖で脳腫瘍ができていたことが判明した。コリン・ウィルソンによると、この手の大量殺人は世界的に増加しつつあり、犯人は精神病であることが多いという。(C.ウィルソン『連続殺人の心理』, 河出文庫)
裁判に持ち込まれなければ、今度の事件も精神異常ーその場合「被害妄想」ーがからんでいるものと明らかになるかもしれない。
このNYT記事は、モスクワの記者2名とマサチューセッツ州ケンブリッジ(兄弟の家がある?)の記者1名の取材により構成された「解説報道」である。日本の通信社も新聞社も早く頭を切り換えて、「読ませる記事」を書いてもらいたい。それには「終身雇用制と年功序列制」をやめなくちゃ。
3)札幌の元北大図書館・出村文理さんから横浜市歴史博物館の「N.G.マンロー生誕150年記念:N.G.マンローと日本考古学」特別展のカタログとマンローに関する論文別刷と資料コピーをお贈りいただいた。
資料を読んで、「日本における旧石器時代の発見者はマンローである」と確信した。桑原千代『わがマンロー伝』(新宿書房, 1983)、『海を渡ったアイヌの工芸:英国人医師マンローのコレクションから』(2002、神奈川県立歴史博物館カタログ)、出村文理編『ニール・ゴードン・マンロー博士書誌』(私家版, 2006)の功績は大きい。
日本の考古学者は、「岩宿遺跡」(1946)発見した相沢忠洋(これも民間人)が、最初の旧石器発見者だと信じこんだから、明治期にすでに発見していた、マンローの業績を正当に評価しなかった。恥ずかしいことだ。この新しいカタログはモノグラフといってよいほど、N.G.マンローとその生い立ち、家族、来日後の交友関係にまで写真、資料、年表が整理されいて、たんなる「収蔵品カタログ」ではない。マンローが生涯に4度結婚しており、最初の結婚の際に日本名を「満郎」として帰化していたことを初めて知った。だったら、マンローの旧石器発見は「日本人の発見」ではないか。
昨年の5月に亡くなった角張淳一さんが、このカタログを見たら、きっとよろこぶだろうなと思った。
関東圏にお住まいの方、5/22まで横浜市歴史博物館で特別展が開催中ですので、一見をお薦めいたします。
http://www.rekihaku.city.yokohama.jp/kikak/detail.php?ak_seq=118
「書誌」を見直して、すでに昭和49(1974)に北海道史研究という雑誌に、出村さんはマンローに関する論文を発表しておられることがわかった。40年も前のことだ。私はこの頃アメリカにいて、血液がんの研究をしていた。
出村さんも山口さんも、おそらく私と同年代だと思うが、お互いに定年後、「好きなこと」を見つけて、それに打ち込めるのはハッピーですね。堺屋太一はそれを「黄金の時代」と表現しています。(『団塊の世代<黄金の時代>が始まる』, 文春文庫)
本当に、ありがとうございました。
1)専門家ないしそれに近い専門職がグループを形成し、自己の特殊利益を図るのを「ムラ社会」と称する。メディアも「原子力ムラ」を強く批判してきた。
4/21日曜日の「産経」オピニオン欄で石川水穂論説委員が昭和57年に起きた、文部省の教科書検定で日本の中国「侵略」が「進出」に書き換えられたと、メディアが一斉に報じた「大誤報事件」の発生メカニズムを述べている。当時わたしは「朝日」を信頼してとっており、「文藝春秋」が後に誤報を指摘する論文を掲載しても信じなかった。
石川によると、当時、文部省記者クラブの記者は各社毎に分担して取材し、その結果を持ち寄り、情報を共有していたという。もし「教科書検定」を取材した社が誤認した情報をもたらせば、全社が間違った記事を書くことになる。信じられないが、当時は(あるいは今も)そんなことが行われていた。「一犬虚に吠ゆれば、万犬実に吠ゆる」というやつだ。
全紙が「教科書書き換え」と報じたから、国民はみな事実と信じた。政治家である宮澤官房長官をメディアが責めるのはお門違いだろう。誤報の出所は、「朝日」か「毎日」らしいが、問題は「新聞記者ムラ」の温床である「記者クラブ制度」にあることは明白だ。他人を批判する前に、自らの襟を正し、ムラを解散してもらいたい。
2)NYT日本語版が、ボストン爆発事件について、犯人兄弟とその父親、叔父について詳しく報じている。
http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887324309104578433562249395052.html?mod=WSJ_article_MoreIn_%25u30A2%25u30B8%25u30A2%25u30FB%25u30AA%25u30BB%25u30A2%25u30CB%25u30A2
2002年にチェチェンから自動車修理工の父親と一緒に米国に移住したようだ。叔父もメリーランド州に住んでいる。父親はロシアに戻っている。弟のジョハル(19)がマサチューセッツ大ダートマス校2年生に在学中で「海洋生物学」を専攻し、兄のタメルラン(26)はボストンのコミュニティ・カレッジを中退だそうだ。コミュニティ・カレッジは日本の「専門学校」みたいなものだ。
叔父は<2人はイデオロギーに基いて行動したのではなく、自分たちが(米国)に溶け込むことができなかったためにほかの人を逆恨みした「敗者だ」と非難し、「チェチェンは無関係だ」と述べた。> とある。ある意味で納得が行く。
彼らはなぜよりによって、「9・11」後で、イスラーム信者で、英語も喋れないのに、アメリカに移住したのだろうか?それもWASP(白人、アングロサクソン=AS、プロテスタント)の本拠地である、ボストンを中心とするマサチューセッツ州に…
彼らに「アメリカン・ドリーム」がかなう可能性は無限に低かった。だからといって「逆恨み」だけで、爆弾テロを起こすとはちょっと理解できない。
事件には、思想的背景も家族殺人もないようだから、「FBI・殺人分類」では「動機不明の大量殺人」に入る。1985年、テキサス州オースティンの州立大学の塔に、同校の学生(25)が銃、弾薬、食料を持って立て籠もり、銃を乱射、学生たちを撃ち死者16名、負傷者30名を出した事件だ。犯人は射殺されたが、司法解剖で脳腫瘍ができていたことが判明した。コリン・ウィルソンによると、この手の大量殺人は世界的に増加しつつあり、犯人は精神病であることが多いという。(C.ウィルソン『連続殺人の心理』, 河出文庫)
裁判に持ち込まれなければ、今度の事件も精神異常ーその場合「被害妄想」ーがからんでいるものと明らかになるかもしれない。
このNYT記事は、モスクワの記者2名とマサチューセッツ州ケンブリッジ(兄弟の家がある?)の記者1名の取材により構成された「解説報道」である。日本の通信社も新聞社も早く頭を切り換えて、「読ませる記事」を書いてもらいたい。それには「終身雇用制と年功序列制」をやめなくちゃ。
3)札幌の元北大図書館・出村文理さんから横浜市歴史博物館の「N.G.マンロー生誕150年記念:N.G.マンローと日本考古学」特別展のカタログとマンローに関する論文別刷と資料コピーをお贈りいただいた。
資料を読んで、「日本における旧石器時代の発見者はマンローである」と確信した。桑原千代『わがマンロー伝』(新宿書房, 1983)、『海を渡ったアイヌの工芸:英国人医師マンローのコレクションから』(2002、神奈川県立歴史博物館カタログ)、出村文理編『ニール・ゴードン・マンロー博士書誌』(私家版, 2006)の功績は大きい。
日本の考古学者は、「岩宿遺跡」(1946)発見した相沢忠洋(これも民間人)が、最初の旧石器発見者だと信じこんだから、明治期にすでに発見していた、マンローの業績を正当に評価しなかった。恥ずかしいことだ。この新しいカタログはモノグラフといってよいほど、N.G.マンローとその生い立ち、家族、来日後の交友関係にまで写真、資料、年表が整理されいて、たんなる「収蔵品カタログ」ではない。マンローが生涯に4度結婚しており、最初の結婚の際に日本名を「満郎」として帰化していたことを初めて知った。だったら、マンローの旧石器発見は「日本人の発見」ではないか。
昨年の5月に亡くなった角張淳一さんが、このカタログを見たら、きっとよろこぶだろうなと思った。
関東圏にお住まいの方、5/22まで横浜市歴史博物館で特別展が開催中ですので、一見をお薦めいたします。
http://www.rekihaku.city.yokohama.jp/kikak/detail.php?ak_seq=118
「書誌」を見直して、すでに昭和49(1974)に北海道史研究という雑誌に、出村さんはマンローに関する論文を発表しておられることがわかった。40年も前のことだ。私はこの頃アメリカにいて、血液がんの研究をしていた。
出村さんも山口さんも、おそらく私と同年代だと思うが、お互いに定年後、「好きなこと」を見つけて、それに打ち込めるのはハッピーですね。堺屋太一はそれを「黄金の時代」と表現しています。(『団塊の世代<黄金の時代>が始まる』, 文春文庫)
本当に、ありがとうございました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます