【ブレークスルー】
これに味をしめ、1/3には戦争映画コレクションから「総攻撃」(91分,1950米ワーナーブラザース)という映画を見た、原題が「Breakthrough」だった。「攻撃」というとカーク・ダグラス主演、スタンリー・カブリック監督の第一次大戦の塹壕戦を描いた戦争映画の名作だが、この映画は米軍の1個小隊(プラトゥーン)の闘いをとおして、ノルマンディー上陸作戦を描いたものだ。字幕に「Ph.D.」を「修士号」と訳すなどのミスもあるが、「歴史に残る」作戦というところを「史上最大の作戦」と訳すという面白い発見があった。(たぶん後のコーネリアス・ライアン「史上最大の作戦(The Longest Day)」の邦題はこれに由来するのであろう。)
作戦実施からたった6年後に、実写フィルムと組み合わせて、こういう映画「Breakthrough」が作られていたとは知らなかった。
私はこの言葉を辞書からではなく、1970年代半ばの米国立がん研究所(NCI)で耳から憶えた。その頃のNCIには喫煙者が多かった。病理部長のドン・トーマスはシガーを吸っていたし、室長のコス・ベラードはシガレットを吸っていた。技師長のラルフ・アイゼンバーグもシガレット派だった。細胞診の研究室長で、スペイン系のホセ・フアンはパイプを吸っていた。夜になるとよく私の研究室に来て「エニー・ブレークスルー・トゥデイ?」という。「何か研究上の大進展があったか?」という意味だが、そんなもの毎日あるはずがない。
これは前置きで、次に「メイ・アイ・ボロー・ユア・シガレット?」という。「タバコを1本くれないか」という意味だ。「ボロ—」(借りる)は婉曲語法で、返ってきたためしがない。
ワシントンでもロンドンでも乞食はプライドが高く、「恵んでくれ」とはいわない。「惜しむ(スペア)」という動詞を用いて、「ドゥ・ユー・スペア・◯◯?」と呼びかけてくる。
この◯◯のところに、アメリカでは「クォーター(25セント)」とか「ダイム(10セント)」が入り、ロンドンでは英国の小銭名が入る。
ともかく、このホセは後にスイスの大学教授になった。その彼からBreakthroughが「研究上の大発見、大躍進」を意味することを教わったのだが、この映画を見ていて現代の語義と違うのに気づいた。
それで1962年版の「American College Dictionary」を引いたら、「1.軍事用語:敵の防御陣地を完全に突破し、無防備の後側に進出すること」とあった。それならまさに「ノルマンディー上陸作戦」にピタリだ。
この映画はマロリィ中尉の率いる米陸軍の小隊が、英国の基地で上陸作戦のための猛訓練を受けるところから始まる。やがて作戦日「Dディ」の発表と上陸地区が「オマハビーチのB地区」だと明らかにされる。輸送船に乗り込み、ノルマンディー海岸に向かう小隊。
基地で犬を飼っていた軍曹が、「みんな喜んでくれ、俺に家族ができた。いっぺんに8人もだ!」と興奮して、小隊が待機する下甲板に降りてくる。犬がお産をしたのだ。「規則違反だ!」と叱る鬼の中隊長。
やがて上陸用舟艇に分乗し、オマハビーチに上陸、迎え撃つドイツ軍との間にはげしい戦闘が展開される。敵陣地をひとつずつ潰して行く小隊。背後で乗って来た輸送船が炎上している。肩を叩いてそれを知らせる戦友。振り向いた軍曹が、顔をくしゃくしゃにして涙を流す。
この映画は、高校の英語教師で将来は、Ph.D.を取り、大学教授になりたいという新米の小隊長、学徒出陣の眼鏡の少年兵など小隊のメンバーの個性と人物像が豊かで、単純な戦争映画ではない。
ドイツ軍が撤退した町を占領した小隊が、ドイツ軍から解放されて歓迎する住民と浮かれているところを、突然塔の上に隠れていた「狙撃兵」に射撃されパニックに陥る。このエピソードは少し修飾されて、スピルバーグの映画「プライベート・ライアン」にも出てくる。
休む間も与えず、またもマロリー小隊を偵察に出す中隊長。爆撃で撤退したドイツ軍は戦車とともに、町の南方800メートルの地点、果樹の繁みに潜んでいた。両側に植え込みのある細い道路を、町に向かって再び迫ってくるドイツ軍戦車。小隊のバズーカ砲は2台とも敵の砲撃で使えなくなった。敵戦車の後部に取りつき、ハッチに忍び寄り、内部に手投げ弾を落とす兵士。「戦争が終わったら、政治家になる」と言っていたが、重傷を負ってしまい、本国送還となる。
担架の上から仲間に別れをつげる場面に、アメリカ流の愛国心の描き方を見た。
「みんな、戦争が終わったら、ワシントンにおれに会いに来てくれ。下院議員になっていて、国のために働いているからな」。
歩兵だけでは「ブレークスルー」は困難と判り、総司令部は「パットン戦車軍団」を投入して突破口を開く戦略に転換する。歩兵はその援護に廻るので中隊の再編成が行われる。「鬼中隊長」は大隊司令部の参謀に廻され、後任にマロリー中尉が昇任する。
異議を唱える中尉に、鬼の大尉が告白する。「北アフリカ戦線で、(ロンメル戦車軍団のため)キャサリーヌ峠で大敗北を喫した後、司令官が指揮官たちを集めた会合で、泣きながら一人一人に握手してまわり、詫びたことがあった。皆で精神科医に連れて行った。あまりにも多くの決断をしていると、(部下を死なせていると)精神が変調してくる。おれもそれに近い状況だ。おれには決断しないですむ場所が必要だ。お前はおれの部下のうちでもっとも優秀だから、おれの後任なるのだ」。
そして最後にこういう。「戦争がすんだら、Ph.D.をとれよ」(ここは「博士号」と正しい字幕が出た。)ここまで見て、「これは単なる戦争映画ではなく、ビルドゥングス・ロマンになっているな」と思った。
編成変えをした中隊は新しい中隊長のもとに、戦車部隊を追尾する。士官学校を出たての少尉にもとの小隊を委ねた中隊長は、軍曹を呼び「よろしく頼むよ」という。ニヤリと笑って敬礼する軍曹。
映画は実質的にはここで終わる。後は、ドイツ本土の空爆シーンやパリ解放のパレードなど映像資料が流れ、ナレーションで連合軍の最終勝利までの道のりが語られる。
実際の欧州戦争は、この後英軍のモントゴメリー将軍による「マーケット・ガーデン」作戦の失敗(映画「遠すぎた橋」)、独軍によるアルデンヌの森からの反撃(映画「バルジ大作戦」)があり、パットン戦車軍団によるライン川に架かる橋(映画「レマゲン鉄橋」)の確保により、ドイツ本土への侵攻が可能になった(映画「パットン戦車軍団」)。
1950年というと昭和25年で、評判の洋画なら高校時代に二番館か三番館で見たはずだが、この映画は初見だ。「キネマ旬報」特別号を見ると、1950年公開「外国映画上位27本」には入っていない。この頃はまだ日本では「ノルマンディー上陸作戦」の意義について、理解が進んでいなかったのであろう。それにまだ「戦争」そのものへの反感が強かった。
ロッセリーニ「戦火のかなた」(伊、1949)、同「無防備都市」(伊, 1950)などイタリア映画がブームで、「キネ旬」のベストテン入りをしたアメリカ映画は少ないが、いま観るとけっこういい作品もある。
これに味をしめ、1/3には戦争映画コレクションから「総攻撃」(91分,1950米ワーナーブラザース)という映画を見た、原題が「Breakthrough」だった。「攻撃」というとカーク・ダグラス主演、スタンリー・カブリック監督の第一次大戦の塹壕戦を描いた戦争映画の名作だが、この映画は米軍の1個小隊(プラトゥーン)の闘いをとおして、ノルマンディー上陸作戦を描いたものだ。字幕に「Ph.D.」を「修士号」と訳すなどのミスもあるが、「歴史に残る」作戦というところを「史上最大の作戦」と訳すという面白い発見があった。(たぶん後のコーネリアス・ライアン「史上最大の作戦(The Longest Day)」の邦題はこれに由来するのであろう。)
作戦実施からたった6年後に、実写フィルムと組み合わせて、こういう映画「Breakthrough」が作られていたとは知らなかった。
私はこの言葉を辞書からではなく、1970年代半ばの米国立がん研究所(NCI)で耳から憶えた。その頃のNCIには喫煙者が多かった。病理部長のドン・トーマスはシガーを吸っていたし、室長のコス・ベラードはシガレットを吸っていた。技師長のラルフ・アイゼンバーグもシガレット派だった。細胞診の研究室長で、スペイン系のホセ・フアンはパイプを吸っていた。夜になるとよく私の研究室に来て「エニー・ブレークスルー・トゥデイ?」という。「何か研究上の大進展があったか?」という意味だが、そんなもの毎日あるはずがない。
これは前置きで、次に「メイ・アイ・ボロー・ユア・シガレット?」という。「タバコを1本くれないか」という意味だ。「ボロ—」(借りる)は婉曲語法で、返ってきたためしがない。
ワシントンでもロンドンでも乞食はプライドが高く、「恵んでくれ」とはいわない。「惜しむ(スペア)」という動詞を用いて、「ドゥ・ユー・スペア・◯◯?」と呼びかけてくる。
この◯◯のところに、アメリカでは「クォーター(25セント)」とか「ダイム(10セント)」が入り、ロンドンでは英国の小銭名が入る。
ともかく、このホセは後にスイスの大学教授になった。その彼からBreakthroughが「研究上の大発見、大躍進」を意味することを教わったのだが、この映画を見ていて現代の語義と違うのに気づいた。
それで1962年版の「American College Dictionary」を引いたら、「1.軍事用語:敵の防御陣地を完全に突破し、無防備の後側に進出すること」とあった。それならまさに「ノルマンディー上陸作戦」にピタリだ。
この映画はマロリィ中尉の率いる米陸軍の小隊が、英国の基地で上陸作戦のための猛訓練を受けるところから始まる。やがて作戦日「Dディ」の発表と上陸地区が「オマハビーチのB地区」だと明らかにされる。輸送船に乗り込み、ノルマンディー海岸に向かう小隊。
基地で犬を飼っていた軍曹が、「みんな喜んでくれ、俺に家族ができた。いっぺんに8人もだ!」と興奮して、小隊が待機する下甲板に降りてくる。犬がお産をしたのだ。「規則違反だ!」と叱る鬼の中隊長。
やがて上陸用舟艇に分乗し、オマハビーチに上陸、迎え撃つドイツ軍との間にはげしい戦闘が展開される。敵陣地をひとつずつ潰して行く小隊。背後で乗って来た輸送船が炎上している。肩を叩いてそれを知らせる戦友。振り向いた軍曹が、顔をくしゃくしゃにして涙を流す。
この映画は、高校の英語教師で将来は、Ph.D.を取り、大学教授になりたいという新米の小隊長、学徒出陣の眼鏡の少年兵など小隊のメンバーの個性と人物像が豊かで、単純な戦争映画ではない。
ドイツ軍が撤退した町を占領した小隊が、ドイツ軍から解放されて歓迎する住民と浮かれているところを、突然塔の上に隠れていた「狙撃兵」に射撃されパニックに陥る。このエピソードは少し修飾されて、スピルバーグの映画「プライベート・ライアン」にも出てくる。
休む間も与えず、またもマロリー小隊を偵察に出す中隊長。爆撃で撤退したドイツ軍は戦車とともに、町の南方800メートルの地点、果樹の繁みに潜んでいた。両側に植え込みのある細い道路を、町に向かって再び迫ってくるドイツ軍戦車。小隊のバズーカ砲は2台とも敵の砲撃で使えなくなった。敵戦車の後部に取りつき、ハッチに忍び寄り、内部に手投げ弾を落とす兵士。「戦争が終わったら、政治家になる」と言っていたが、重傷を負ってしまい、本国送還となる。
担架の上から仲間に別れをつげる場面に、アメリカ流の愛国心の描き方を見た。
「みんな、戦争が終わったら、ワシントンにおれに会いに来てくれ。下院議員になっていて、国のために働いているからな」。
歩兵だけでは「ブレークスルー」は困難と判り、総司令部は「パットン戦車軍団」を投入して突破口を開く戦略に転換する。歩兵はその援護に廻るので中隊の再編成が行われる。「鬼中隊長」は大隊司令部の参謀に廻され、後任にマロリー中尉が昇任する。
異議を唱える中尉に、鬼の大尉が告白する。「北アフリカ戦線で、(ロンメル戦車軍団のため)キャサリーヌ峠で大敗北を喫した後、司令官が指揮官たちを集めた会合で、泣きながら一人一人に握手してまわり、詫びたことがあった。皆で精神科医に連れて行った。あまりにも多くの決断をしていると、(部下を死なせていると)精神が変調してくる。おれもそれに近い状況だ。おれには決断しないですむ場所が必要だ。お前はおれの部下のうちでもっとも優秀だから、おれの後任なるのだ」。
そして最後にこういう。「戦争がすんだら、Ph.D.をとれよ」(ここは「博士号」と正しい字幕が出た。)ここまで見て、「これは単なる戦争映画ではなく、ビルドゥングス・ロマンになっているな」と思った。
編成変えをした中隊は新しい中隊長のもとに、戦車部隊を追尾する。士官学校を出たての少尉にもとの小隊を委ねた中隊長は、軍曹を呼び「よろしく頼むよ」という。ニヤリと笑って敬礼する軍曹。
映画は実質的にはここで終わる。後は、ドイツ本土の空爆シーンやパリ解放のパレードなど映像資料が流れ、ナレーションで連合軍の最終勝利までの道のりが語られる。
実際の欧州戦争は、この後英軍のモントゴメリー将軍による「マーケット・ガーデン」作戦の失敗(映画「遠すぎた橋」)、独軍によるアルデンヌの森からの反撃(映画「バルジ大作戦」)があり、パットン戦車軍団によるライン川に架かる橋(映画「レマゲン鉄橋」)の確保により、ドイツ本土への侵攻が可能になった(映画「パットン戦車軍団」)。
1950年というと昭和25年で、評判の洋画なら高校時代に二番館か三番館で見たはずだが、この映画は初見だ。「キネマ旬報」特別号を見ると、1950年公開「外国映画上位27本」には入っていない。この頃はまだ日本では「ノルマンディー上陸作戦」の意義について、理解が進んでいなかったのであろう。それにまだ「戦争」そのものへの反感が強かった。
ロッセリーニ「戦火のかなた」(伊、1949)、同「無防備都市」(伊, 1950)などイタリア映画がブームで、「キネ旬」のベストテン入りをしたアメリカ映画は少ないが、いま観るとけっこういい作品もある。
「2001年宇宙の旅」の監督でもあるKubrick は、日本では「キューブリック」と表記されています。それを先生は「カブリック」とされていますが、いったい何故、「カブリック」が正しく「キューブリック」は間違い?
そこでWeb辞書で調べたら、Marrian-Webster では[ku-] [kyu-], Oxford では[kyu-]となっていました。cut, cup, sun … などの[u]の発音は[∧]ですが、Kubrickは「キューブリック」の表記で問題なさそうです。「クーブリック」でもよさそうですが、「カブリック」はまずいように思われます。