【月の暈】
「雨降りお月さん雲の陰(かげ)
お嫁にゆくときゃ誰(たれ)とゆく
ひとりで傘(からかさ)さしてゆく」
(野口雨情作詞、中山晋平作曲,大正14年:「日本童謡集」,岩波文庫より)
子供の頃からこの歌には馴染んできたが、「月が唐傘をさす」という表現の意味が判らなかった。70年近く経ってやっと意味が判った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/20/f2/a4078da39e08d70ffa06e5e2c5faa2d0_s.jpg)
5/16の深夜、母屋に戻る途中で屋根の上に満月が見えた。終日雨だった。夜更けにやんだが、空はまだ曇っている。が雲がすうっと晴れる途端に、月の暈(かさ)が現れた。
「ああ、これか…」と初めて合点がいった。
ポケットから急いでカメラを取りだし、ISOを6400に設定して写真を撮った。薄い雲の高さが変わるらしく、1分ほどの間に傘の直径が拡大して、傘の左端は屋根の端近くまで達した。虹は太陽を背にすると見えるが、暈は月に向かわないと見えない。
都会の濁った空気ではこれは見えないだろう。それに都市の照明がじゃまして、月は見えてもこんな微かな暈は見えないのではないか。空気がまだ汚れていなかった大正時代には、こんな光景がよく見られたのだと思う。
「暈(うん)」はラテン語でアレオーラといい、小さな広場のことだが、医学用語では乳首の周りにある乳暈(にゅううん)を指す。今は乳輪ともいう。「学研漢和辞典」を見ると、暈は「日や月の周りを、丸く取りまいた光の輪」とあり、「傘」の意味はない。雨情は月の暈(かさ)を「傘」に見立ててあの歌をつくったのだな、と思った。
「雨降りお月さん雲の陰(かげ)
お嫁にゆくときゃ誰(たれ)とゆく
ひとりで傘(からかさ)さしてゆく」
(野口雨情作詞、中山晋平作曲,大正14年:「日本童謡集」,岩波文庫より)
子供の頃からこの歌には馴染んできたが、「月が唐傘をさす」という表現の意味が判らなかった。70年近く経ってやっと意味が判った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/20/f2/a4078da39e08d70ffa06e5e2c5faa2d0_s.jpg)
5/16の深夜、母屋に戻る途中で屋根の上に満月が見えた。終日雨だった。夜更けにやんだが、空はまだ曇っている。が雲がすうっと晴れる途端に、月の暈(かさ)が現れた。
「ああ、これか…」と初めて合点がいった。
ポケットから急いでカメラを取りだし、ISOを6400に設定して写真を撮った。薄い雲の高さが変わるらしく、1分ほどの間に傘の直径が拡大して、傘の左端は屋根の端近くまで達した。虹は太陽を背にすると見えるが、暈は月に向かわないと見えない。
都会の濁った空気ではこれは見えないだろう。それに都市の照明がじゃまして、月は見えてもこんな微かな暈は見えないのではないか。空気がまだ汚れていなかった大正時代には、こんな光景がよく見られたのだと思う。
「暈(うん)」はラテン語でアレオーラといい、小さな広場のことだが、医学用語では乳首の周りにある乳暈(にゅううん)を指す。今は乳輪ともいう。「学研漢和辞典」を見ると、暈は「日や月の周りを、丸く取りまいた光の輪」とあり、「傘」の意味はない。雨情は月の暈(かさ)を「傘」に見立ててあの歌をつくったのだな、と思った。
時々、気まぐれにブログを拝見させていただいております。
野口雨情の生まれ故郷、茨城県磯原に行ったことがあります。そんなこと何にも知らなかったのですが、JR磯原駅構内に代表作(『十五夜お月さん』『七つの子』『赤い靴』『青い眼の人形』『シャボン玉』『こがね虫』)が掲示されており、詩の深さに感動し、ウルウルしながら思わず口ずさむ自分にびっくりした覚えがあります。
水戸国学の発祥の地であり、磯原からちょっと北へ行けば黒船より50年ほど前に捕鯨船(イギリスのですけど)の乗組員が上陸した場所があったりして、自分のつぼにはまる所でした。(仕事だけで、どこも観光してませんけど)