【献本お礼など】
★馬屋原宏先生から「面白いから」と、
ルイス・ウォルパート(白上純一訳)「ヒトはなぜうつ病になるのか:世界的発生生物学者のうつ病体験(原題:Malignant Sadness)」(ミネルヴァ書房、2018/12, 3,000円)
の御贈呈を受けた。ありがとう存じます。
ウォルパートの著書は、前に「発生生物学:生物はどのように形づくられるか」(丸善新書, 2013/7)を「買いたい新書」の書評で紹介した。
https://frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1397627651
この新書は変わっていて、表紙にはLewis Wolpertとのみ表記があり、本文には「ウォルポート」と書いてある。読み方は訳者を信用するほかないから、EXCELの書籍DBには「ウォルポート」と入力したが、本にヒットしない。「発生生物学」で検索したら出てきたが、所在位置がM-2書架とある。
だが所定位置にないので、恐らく横積みになったままの、未整理本の中に入っているのだろう。目下探しようがない。
訳文は森鷗外のいう「原文が透けて見える」訳で、今AMAZONのレビューを見たが、たった1件しかない。岡山大と徳島大の教授ふたりの共訳なのに…
その点、本書の訳文は美事である。索引もしっかりしている。(序文と本文が別ページ番号になっているのが、少し不便)「うつ病の周期は6ヶ月」と著者は書いているが、私の場合昨年7月7日に「うつ病」を発症し、今年の2月11日に回復したので、やはり約6ヶ月である。
アリストテレスがすでに「憂鬱症(melancholikos)」(メランコリー)について言及していると本文あったので、たぶん全集第11巻(岩波書店)「問題集」にあるのだろうと見当をつけて開いたら、果たして第30巻「思慮・理性・知恵に関する諸問題」の冒頭にあった。
彼は1項目7頁に亘り、躁うつ病について考察している。「哲学、政治、詩、技術などの領域で、並外れた脳力を示した人間はすべて躁欝症である」(p.413)と書いてあり、てんかんは当時「Nosos Helakleie(ヘラクレス病)」と呼ばれていたとある。(岩波の訳文では「聖なる病」と誤訳されている。)
ともかく古代ギリシアには 精神病に対する社会的偏見がなかったことは事実だろう。精神病は脳という臓器の病気で、医学的には肺や肝臓や腎臓の病気と変わりはない。作家曽野綾子の夫三浦朱門(元文化庁長官)に『うつを文学的に解きほぐす:欝は知性の影』(青萠堂,2008/6)があり、妻の綾子には『うつを見つめる言葉』(イースト・プレス, 2007/5)がある。
友人知人が私の「躁うつ病(双極性障害)」を知った時、多くは離れて行ったが、同時に私を利用するために近づいて来る奴もいなくなって、ほっとした。私は講義で学生に「障害や病気は個性である」と説いてきたので、それを理解してくれた学生もいるだろう。
その中で唯一、札幌から電話をかけて来て、「お目出とうございます。アメリカでは偉い人はみな躁うつ病になっても、堂々と精神科医にかかっていますよ」と言ってくれたのが、北大医学部がん研究所・細胞制御部門の初代教授になった竹市紀年(のりとし)君の奥さんだ。NIH留学時代に出来た友人だが、惜しいことに1994年、54歳の若さで大腸がんのため死去した。
1995年に出版された「竹市紀年先生を偲んで:随筆と業績」を今、開いてあらためて彼を追憶している。
彼の訃報に接したとき、私は広島大の広報委員長として「翔べ!フェニックス:広島大学統合移転完了 記念誌」の編集長をしていて、とても札幌まで出かけるいとまがなかった。事実この年にストレスから「躁病」を発症し、人生初の入院を体験したのである。学長が病室まで見舞いに来てくれた。
そこで知人で東大卒・北大病理教授の長嶋和郎さんに電話して、香典を届けてもらった。彼は定年退官後、北大名誉教授となり「札幌東徳洲会病院」の病理診断科部長になった。
話をもとに戻す。ウォルパートが、自分がうつ病だったとはいえ、ここまで調べて本書を執筆したことに驚嘆した。訳文はとても読みやすい、こなれた文章になっていて、一般教養書としてもお薦めだ。
双極性障害(躁うつ病の新しい病名=DSM-4分類に基づく)は、俳優の竹脇無我(「壮絶な生還:うつ病になってよかった」マキノ出版、2003/7, 1300円)やプロ棋士の先崎学「うつ病九段:プロ棋士が将棋を失くした一年間」(文藝春秋, 2018/7, 1250円)によく描かれている。
先崎の場合は47歳の誕生日の前日(6/23)にうつ病を発症し、兄が精神科医だったので、「日本一の治療環境」として慶応病院精神神経科を手配してくれ、7/26に同科に入院している。8/28に退院しているから約1ヶ月の入院加療を受けた。竹脇無我と同様に自殺願望も出ている。自覚的にうつ病からの、回復を意識したのは12月中旬なので、やはり6ヶ月かかっている。
私の双極性障害ではうつ期に「自殺願望」はない。「どうせ死ぬのだから、死ぬまで放っておくさ」と思っている。
★ ★此々呂和人(筆名)さんから「日本語が崩壊する日:純日本語を世界無形文化遺産に」(文芸社、2018/8, 1300円)の御献本を受けた。カタカナ語の氾濫を嘆いた本だ。
英国の一流大学では今でも教養としてラテン語、ギリシア語が必須だが、英語しかできない多くの日本人には、明治人の西周や福沢諭吉のように適切な翻訳語を考案する力がない。
少なくともラテン語ができないと、カタカナの理学用語や医学用語は理解できないだろう。リンネの二項命名法はラテン語で出来ている。この辺が一番の問題だろう。
★★★小久保亜早子(医師、医学博士)さんから、「心臓移植はいかに受け容れられたか:日・米・南アでの<外科医>と<国家>の関係性」(志學社、2019/2, 3000円)のご恵送を受けた。感謝します。これは彼女の政治学博士(早稻田大)論文を出版したものだ。ドイツでは今でも医学博士論文は本として出版しないといけない制度になっている。
小久保さんは整形外科医で、新潟大の恩師藤田恒夫教授(故人)の雑誌「ミクロスコピア」を通じて、当初より「修復腎移植」支持派だ。「週刊医事新報」1) に日本語で、英語で国際法学雑誌に支持論文2)を寄せている。
1)小久保亜早子:病気腎移植をめぐる政治学」、医事新報, No.4508:89-94(2010)
2) Kokubo A.:The interaction of the international society concerning kidney transplants s—a consideration of diseased kidney transplants in Japan and transplant to tourism over the world. Leg Me (Tokyo). 2009, Suppl 1:S393-395
2)論文の邦訳タイトルは<腎移植を巡る国際学会の相互関係:日本の病腎移植と世界の海外渡航移植に関する考察>である。論旨は、
①日本では2006年に病腎移植が「発覚」し2007年に禁止された。しかし約1万2000人の腎移植待ち登録患者のうち、移植を受けることができるのはたった10%である。そこで日本では「海外渡航移植」が広がりつつある。
この背景には、グローバリズムにより渡航移植が容易になったことがある。
②移植に関する国際法の制定は困難である。
③移植に関わる経済格差は、国際間のみならず国内にも存在する。
よって病腎移植問題は専門家に任すのではなく、日本の文明化した市民のあいだで同時に議論されるべきである、
と主張している。
私はこれらの考えを支持する。本当は日本病理学会が主催して、公開討論会を行うべきであったと思う。
本書では和田心臓移植と修復腎移植が、札幌・宇和島という日本の辺縁部で初実施されたという点に、過剰なバッシングの要因があるのではないか、という視点で新しい切り口を見せている。
ともかくふたつ目の学位取得と著書の刊行をお祝い申し上げます。
泉下の藤田恒夫先生もお悦びであろう。
★★★★月2回刊の「医薬経済」誌は引き続きご恵送を受けているが、これについてはこの2ヶ月文をまとめ読みして、あらためて書きたい。
(無断転載禁止)
★馬屋原宏先生から「面白いから」と、
ルイス・ウォルパート(白上純一訳)「ヒトはなぜうつ病になるのか:世界的発生生物学者のうつ病体験(原題:Malignant Sadness)」(ミネルヴァ書房、2018/12, 3,000円)
の御贈呈を受けた。ありがとう存じます。
ウォルパートの著書は、前に「発生生物学:生物はどのように形づくられるか」(丸善新書, 2013/7)を「買いたい新書」の書評で紹介した。
https://frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1397627651
この新書は変わっていて、表紙にはLewis Wolpertとのみ表記があり、本文には「ウォルポート」と書いてある。読み方は訳者を信用するほかないから、EXCELの書籍DBには「ウォルポート」と入力したが、本にヒットしない。「発生生物学」で検索したら出てきたが、所在位置がM-2書架とある。
だが所定位置にないので、恐らく横積みになったままの、未整理本の中に入っているのだろう。目下探しようがない。
訳文は森鷗外のいう「原文が透けて見える」訳で、今AMAZONのレビューを見たが、たった1件しかない。岡山大と徳島大の教授ふたりの共訳なのに…
その点、本書の訳文は美事である。索引もしっかりしている。(序文と本文が別ページ番号になっているのが、少し不便)「うつ病の周期は6ヶ月」と著者は書いているが、私の場合昨年7月7日に「うつ病」を発症し、今年の2月11日に回復したので、やはり約6ヶ月である。
アリストテレスがすでに「憂鬱症(melancholikos)」(メランコリー)について言及していると本文あったので、たぶん全集第11巻(岩波書店)「問題集」にあるのだろうと見当をつけて開いたら、果たして第30巻「思慮・理性・知恵に関する諸問題」の冒頭にあった。
彼は1項目7頁に亘り、躁うつ病について考察している。「哲学、政治、詩、技術などの領域で、並外れた脳力を示した人間はすべて躁欝症である」(p.413)と書いてあり、てんかんは当時「Nosos Helakleie(ヘラクレス病)」と呼ばれていたとある。(岩波の訳文では「聖なる病」と誤訳されている。)
ともかく古代ギリシアには 精神病に対する社会的偏見がなかったことは事実だろう。精神病は脳という臓器の病気で、医学的には肺や肝臓や腎臓の病気と変わりはない。作家曽野綾子の夫三浦朱門(元文化庁長官)に『うつを文学的に解きほぐす:欝は知性の影』(青萠堂,2008/6)があり、妻の綾子には『うつを見つめる言葉』(イースト・プレス, 2007/5)がある。
友人知人が私の「躁うつ病(双極性障害)」を知った時、多くは離れて行ったが、同時に私を利用するために近づいて来る奴もいなくなって、ほっとした。私は講義で学生に「障害や病気は個性である」と説いてきたので、それを理解してくれた学生もいるだろう。
その中で唯一、札幌から電話をかけて来て、「お目出とうございます。アメリカでは偉い人はみな躁うつ病になっても、堂々と精神科医にかかっていますよ」と言ってくれたのが、北大医学部がん研究所・細胞制御部門の初代教授になった竹市紀年(のりとし)君の奥さんだ。NIH留学時代に出来た友人だが、惜しいことに1994年、54歳の若さで大腸がんのため死去した。
1995年に出版された「竹市紀年先生を偲んで:随筆と業績」を今、開いてあらためて彼を追憶している。
彼の訃報に接したとき、私は広島大の広報委員長として「翔べ!フェニックス:広島大学統合移転完了 記念誌」の編集長をしていて、とても札幌まで出かけるいとまがなかった。事実この年にストレスから「躁病」を発症し、人生初の入院を体験したのである。学長が病室まで見舞いに来てくれた。
そこで知人で東大卒・北大病理教授の長嶋和郎さんに電話して、香典を届けてもらった。彼は定年退官後、北大名誉教授となり「札幌東徳洲会病院」の病理診断科部長になった。
話をもとに戻す。ウォルパートが、自分がうつ病だったとはいえ、ここまで調べて本書を執筆したことに驚嘆した。訳文はとても読みやすい、こなれた文章になっていて、一般教養書としてもお薦めだ。
双極性障害(躁うつ病の新しい病名=DSM-4分類に基づく)は、俳優の竹脇無我(「壮絶な生還:うつ病になってよかった」マキノ出版、2003/7, 1300円)やプロ棋士の先崎学「うつ病九段:プロ棋士が将棋を失くした一年間」(文藝春秋, 2018/7, 1250円)によく描かれている。
先崎の場合は47歳の誕生日の前日(6/23)にうつ病を発症し、兄が精神科医だったので、「日本一の治療環境」として慶応病院精神神経科を手配してくれ、7/26に同科に入院している。8/28に退院しているから約1ヶ月の入院加療を受けた。竹脇無我と同様に自殺願望も出ている。自覚的にうつ病からの、回復を意識したのは12月中旬なので、やはり6ヶ月かかっている。
私の双極性障害ではうつ期に「自殺願望」はない。「どうせ死ぬのだから、死ぬまで放っておくさ」と思っている。
★ ★此々呂和人(筆名)さんから「日本語が崩壊する日:純日本語を世界無形文化遺産に」(文芸社、2018/8, 1300円)の御献本を受けた。カタカナ語の氾濫を嘆いた本だ。
英国の一流大学では今でも教養としてラテン語、ギリシア語が必須だが、英語しかできない多くの日本人には、明治人の西周や福沢諭吉のように適切な翻訳語を考案する力がない。
少なくともラテン語ができないと、カタカナの理学用語や医学用語は理解できないだろう。リンネの二項命名法はラテン語で出来ている。この辺が一番の問題だろう。
★★★小久保亜早子(医師、医学博士)さんから、「心臓移植はいかに受け容れられたか:日・米・南アでの<外科医>と<国家>の関係性」(志學社、2019/2, 3000円)のご恵送を受けた。感謝します。これは彼女の政治学博士(早稻田大)論文を出版したものだ。ドイツでは今でも医学博士論文は本として出版しないといけない制度になっている。
小久保さんは整形外科医で、新潟大の恩師藤田恒夫教授(故人)の雑誌「ミクロスコピア」を通じて、当初より「修復腎移植」支持派だ。「週刊医事新報」1) に日本語で、英語で国際法学雑誌に支持論文2)を寄せている。
1)小久保亜早子:病気腎移植をめぐる政治学」、医事新報, No.4508:89-94(2010)
2) Kokubo A.:The interaction of the international society concerning kidney transplants s—a consideration of diseased kidney transplants in Japan and transplant to tourism over the world. Leg Me (Tokyo). 2009, Suppl 1:S393-395
2)論文の邦訳タイトルは<腎移植を巡る国際学会の相互関係:日本の病腎移植と世界の海外渡航移植に関する考察>である。論旨は、
①日本では2006年に病腎移植が「発覚」し2007年に禁止された。しかし約1万2000人の腎移植待ち登録患者のうち、移植を受けることができるのはたった10%である。そこで日本では「海外渡航移植」が広がりつつある。
この背景には、グローバリズムにより渡航移植が容易になったことがある。
②移植に関する国際法の制定は困難である。
③移植に関わる経済格差は、国際間のみならず国内にも存在する。
よって病腎移植問題は専門家に任すのではなく、日本の文明化した市民のあいだで同時に議論されるべきである、
と主張している。
私はこれらの考えを支持する。本当は日本病理学会が主催して、公開討論会を行うべきであったと思う。
本書では和田心臓移植と修復腎移植が、札幌・宇和島という日本の辺縁部で初実施されたという点に、過剰なバッシングの要因があるのではないか、という視点で新しい切り口を見せている。
ともかくふたつ目の学位取得と著書の刊行をお祝い申し上げます。
泉下の藤田恒夫先生もお悦びであろう。
★★★★月2回刊の「医薬経済」誌は引き続きご恵送を受けているが、これについてはこの2ヶ月文をまとめ読みして、あらためて書きたい。
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