ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【繰り言】難波先生より

2013-03-01 12:06:17 | 難波紘二先生
【繰り言】江戸中期の貝原益軒も、後期の佐藤一斎も徳川幕府の官学であった朱子学を学んだのだが、いったり書いたりしていることは対照的である。


 益軒は上野益三により『博物学者列伝』(八坂書房)において、本邦博物学者の嚆矢とされている。博物学はいま、生物学、地学、医学に分かれてしまったが、益軒はこれを一身に体得していた。その基本となるのは「観察」の精神である。
 益軒が老人と老いについて書いたものを読むと、病気と病人について書いたものと同様に、妙に納得できるところが多い。


 「この年頃(70歳を超えると)になると、一年が経つのが若い頃の一・二ヶ月が過ぎるよりも早い。」
 「このように年月が早く経つのであるから、今後の余命は余りないということを考えておくべきである。」
 「老いて後は、一日をもって十日と勘定し、日々を楽しんで暮らすべきである。」
 「常に時間を惜しんで、一日も無為に暮らすべきではない。」(『養生訓』:拙現代語訳)


 「年老いては次第に仕事を省略して、少なくすべきである。いろいろな事に手を出して、仕事を増やすべきではない。好奇心の対象が広がれば、仕事が増える。仕事が増えれば心気疲れて(ストレスが溜まって)、楽しむことができなくなる。」


 彼のいう「楽しみ」とは、「天地四時、山川の光景、草木の成長」を心にわずらいなく楽しむことをいう。「芸術」つまり芸能や武術に打ちこんで気力を消耗すべきではない、とする。貝原益軒にとって、「ほどほどの暮らし」が心と身体の「養生」にもっとも叶うものだったようである。
 その点で、吉田兼好に似ている。『徒然草』(123段)にはこうある。


 「考えてもみよ、人がやむをえず働くのは、まず第一に食べるため、第二に着るもののため、第三に住むところのためである。
人間の大事はまずこの三つである。餓えず、寒からず、風雨にさらされずに、のどかに日を過ごすのを楽しみという。
 ただし、人間には病気ということがある。医療を忘れてはいけない。この四つを求めて得ることができないのを<貧しい>という。この四つに欠けることがないのを<富める>とする。」(岩波文庫版『徒然草』:拙現代語訳)


 兼好法師は14世紀前半の人だから、朱子(1130~1200)よりも後の人だ。よって、その書を読んでいたかもしれないが、上の文言の背後にある思想は、儒教とは関係がないように思われる。むしろ仏教の思想であろう。
 その思想がなぜ、400年後の貝原益軒に現れて来るのであろうか?不思議である。
 
 佐藤一斎はどうみても博物学者とはいえない。益軒に弟子がいなかったのに対して、湯島昌平黌の教授(儒官)だった一斎には、弟子のなかから佐久間象山、横井小南、中村正直など著名人が出ている。
 一斎の『言志四録(全4冊)』(講談社学術文庫)には、精神主義と行動主義が鮮烈に出ていて、とても朱子学とは思えない。むしろ陽明学であり、弟子筋を見ると佐久間象山がいて、その門下に吉田松陰あり、その門下に高杉晋作、久坂玄瑞、木戸孝允、伊藤博文がいる。また他の象山門下に坂本龍馬、勝海舟がいる。いずれも行動派である。


 西郷南洲隆盛は一斎の弟子ではないが、『言志四録』全1034条から101条を抜き書きし、『手抄言志録』として座右の銘としていた。(『西郷南洲遺訓』, 岩波文庫所収)その中には、
 「<憤>の一字はこれ進学(学問を進める)の機関(エンジン)なり。(夏王朝の皇帝)舜も人ぞ、我も人なり、というのはまさに憤である。」、
 という有名な言葉もあるし、


 「小にして学べば、壮にしてなすことあり、
 壮にして学べば、老いて衰えず、
 老いて学べば、死して朽ちず」
 という超有名な言葉もある。
 
 西郷の『手抄言志録』の第101条は、
「身に老少あり、しかして心に老少なし。
 気に老少あり、しかして理に老少なし。
 すべからく老少の別なき心をとりて、
 老少の別なき理を体得すべし。」、
 で終わっている。
 これは「格物致知」を主張した朱子の思想である。同じ書物を読んでも、益軒と一斎では理解がかなり違っている。


 私は常々、「医者を選ぶのも寿命のうち」といっていますが、この出典は貝原益軒ではないかと思っていました。
が、『養生訓』には医者に対する戒めとして「前医の悪口を言ってはならない」というのはありますが、該当する文章がない。
考えてみれば貝原益軒は医者ですから、こういうことは思っていても書けない。
 ところが、『言志四録』中の「言志晩録」に、ほぼ同意の言葉がある。


 「家庭が日頃委託する医師は、精選する必要がある。いったん委託した以上、これを信じ医師の治療に従うべきである。
 このようにして治らなければ、すなわち天命である。」


 メソポタミアで発掘された粘土板の文字を解読したら、「近頃の若者は…」と書いてあったという話がある。
 一斎はこう書いている。
 「近頃の人はやたら<忙しい>と口にする。しかし、やっていることを見ると、実際に大事なことをやっているのはせいぜい一割か二割で、どうでもよいような仕事が八割か九割である。それでこのどうでもよいような仕事を大事な仕事と思っている。忙しいのは当然である。」(『言志四録』中「言志録_)
 これはちょっと耳が痛い(いや目か)話である。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2月28日(木)のつぶやき | トップ | 【スペインの修復腎移植】難... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

難波紘二先生」カテゴリの最新記事