【ある女優の死:アニタ・エクバーグ】
1/12日経が、この映画女優の死を報じていた(「ローマ=共同」)。他紙には記事がなく、忘れられた女優なのだろう。Ekbergは恐らくドイツ語のEckebergと同じもので「角山」という意味だろう。Anitaがイタリアの芸名なら「アニータ」と発音するはずだが、実際はどうだったのだろう?
名前には記憶があった。スウェーデン出身で「戦争と平和」に出た後、「甘い生活」で主演し、その後アメリカでは落ち目になり、イタリアに移住したのだそうだ。1931年生まれだから、私の兄と同年だ。
「セクシーな姿で世界を魅了した」とあるので、昔、雑誌「Life」に載った列車内で乗客がいっせいに一人の女優を見つめている、有名な写真を思いだした。「あれがアニタ・エクバーグだったか?」と疑問に思い、「The Best of Life」という写真集を探し出して開いてみた。
違った…。あれはニューヨーク=シカゴ間を走る特別列車の車内食堂で撮影されたキム・ノヴァクだった。
窓側のテーブルに並んで坐った中年男どもの、ぎらぎらした視線が見事に写っており、傑作報道写真といえよう。本がアート紙で分厚いため、画面の右にスキャナーによるハレーションが出ているが、もちろん元の写真にはそんなものはない。
前にも気になったのが、右下の左手と彼女の席の位置だ。普通なら左肩越しに、車内の光景が見えないといけない。それとも席が4人用のテーブルで、背後が片仕切りになっているのだろうか?
左手の意味もよくわからなかったが、今回見ていて、これは冬の季節で、彼女が毛皮のコートを右肩から脱ぎ、左腕にコートの白い襟と左手首の袖口が写っているのだ、とわかった。たった今、席についたところなのだ。
それと左下隅の黒いシルエットは、バックスバニーかなにかのマスコットだとわかった。尻尾と頭の間に、向こうのテーブル前端に新聞が写っているから、禿げ男の手前でしかめ面をしている男はビジネスマンか…。
窓外の景色が写らず、通路天井の照明が窓に映っているから、時刻は夜で新聞は夕刊だろう。まだどのテーブルにも水も酒も料理も出ていないから、列車は駅を出て間がない時刻だと思われる。画面に写っている窓は3つしかなく、奥の天井の照明が彼女の鼻先で終わっているから、坐っている位置は車両中央部のテーブルで、手前の入口から入って来て、席まで歩いてきたのであろう。だったら、グラマーな美女だから目立つ。
画面奥から入って来たのなら、男どもは後ろ姿しか見えず、中には「あれはキム・ノヴァクじゃないか」とささやいているヤツがいそうだが、それがいない。
すると身長168センチの大柄な美女が、ミンクのコートか何かを着て向こうから、セクシーな歩き方で入ってくる。思わず男たちは食い入るようにその姿に見とれた、というのが状況説明としてはいちばんぴったり来る。
彼女は、
<『ピクニック』(1955)、『愛情物語』(1956)、アルフレッド・ヒッチコック監督の『めまい』(1958)>で有名になったから、撮影された時期は1950年代の終わり頃だろう。
ともかく自分が記憶ちがいをしていたことがよくわかった。これが「時間経過による記憶の変容」というやつで、始末におえないのは「確信はあっても、記憶ちがい」ということがいくらでもある。特に幼少時の記憶は、他人に聞かされたことを「自己体験」として記憶しがちだから、警戒が必要だ。
1/12日経が、この映画女優の死を報じていた(「ローマ=共同」)。他紙には記事がなく、忘れられた女優なのだろう。Ekbergは恐らくドイツ語のEckebergと同じもので「角山」という意味だろう。Anitaがイタリアの芸名なら「アニータ」と発音するはずだが、実際はどうだったのだろう?
名前には記憶があった。スウェーデン出身で「戦争と平和」に出た後、「甘い生活」で主演し、その後アメリカでは落ち目になり、イタリアに移住したのだそうだ。1931年生まれだから、私の兄と同年だ。
「セクシーな姿で世界を魅了した」とあるので、昔、雑誌「Life」に載った列車内で乗客がいっせいに一人の女優を見つめている、有名な写真を思いだした。「あれがアニタ・エクバーグだったか?」と疑問に思い、「The Best of Life」という写真集を探し出して開いてみた。
違った…。あれはニューヨーク=シカゴ間を走る特別列車の車内食堂で撮影されたキム・ノヴァクだった。
窓側のテーブルに並んで坐った中年男どもの、ぎらぎらした視線が見事に写っており、傑作報道写真といえよう。本がアート紙で分厚いため、画面の右にスキャナーによるハレーションが出ているが、もちろん元の写真にはそんなものはない。
前にも気になったのが、右下の左手と彼女の席の位置だ。普通なら左肩越しに、車内の光景が見えないといけない。それとも席が4人用のテーブルで、背後が片仕切りになっているのだろうか?
左手の意味もよくわからなかったが、今回見ていて、これは冬の季節で、彼女が毛皮のコートを右肩から脱ぎ、左腕にコートの白い襟と左手首の袖口が写っているのだ、とわかった。たった今、席についたところなのだ。
それと左下隅の黒いシルエットは、バックスバニーかなにかのマスコットだとわかった。尻尾と頭の間に、向こうのテーブル前端に新聞が写っているから、禿げ男の手前でしかめ面をしている男はビジネスマンか…。
窓外の景色が写らず、通路天井の照明が窓に映っているから、時刻は夜で新聞は夕刊だろう。まだどのテーブルにも水も酒も料理も出ていないから、列車は駅を出て間がない時刻だと思われる。画面に写っている窓は3つしかなく、奥の天井の照明が彼女の鼻先で終わっているから、坐っている位置は車両中央部のテーブルで、手前の入口から入って来て、席まで歩いてきたのであろう。だったら、グラマーな美女だから目立つ。
画面奥から入って来たのなら、男どもは後ろ姿しか見えず、中には「あれはキム・ノヴァクじゃないか」とささやいているヤツがいそうだが、それがいない。
すると身長168センチの大柄な美女が、ミンクのコートか何かを着て向こうから、セクシーな歩き方で入ってくる。思わず男たちは食い入るようにその姿に見とれた、というのが状況説明としてはいちばんぴったり来る。
彼女は、
<『ピクニック』(1955)、『愛情物語』(1956)、アルフレッド・ヒッチコック監督の『めまい』(1958)>で有名になったから、撮影された時期は1950年代の終わり頃だろう。
ともかく自分が記憶ちがいをしていたことがよくわかった。これが「時間経過による記憶の変容」というやつで、始末におえないのは「確信はあっても、記憶ちがい」ということがいくらでもある。特に幼少時の記憶は、他人に聞かされたことを「自己体験」として記憶しがちだから、警戒が必要だ。
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