【学問の世界】
メタフィクションという用語が出た。
「メタ」という言葉に初めて接したのは、高校の化学の授業だった。ベンゼン核の炭素の位置を、オルソ、パラ、メタと覚えさせられた。これらは全てギリシア語由来である。
これらの接頭語は化学に特有かというと、そうでもない。
医学生の頃、整形外科のことを「オルソ」と呼んでいた。あの頃の医学生/医者用語は、ドイツ語とラテン語・ギリシア語がチャンポンになっていて、それに一部内科あたりで、英語が導入され始めていた時代だった。いちいち語源まで確かめられないので、「そういうもの」と覚え込んだ。
やがて「整形外科」は英語でOrthopaedics、ドイツ語でOrthopaedieといい、Ortho-(正す)、Paedia(脚)の合成語だと知った。つまり元々は、折れた脚や手を元に戻す(正しくする)のが専門の診療科をいうのである。
ところが日本では、小保方晴子もやっていたと週刊誌が報じているが、一重の瞼を二重にするとか、おっぱいをシリコン注入で大きくするとかの「美容成形」の方が先に有名になり、「整形外科」という本来の科名の方は普及が遅れた。
たぶん、自動車の普及により鞭打ち事故が多発した、1970年代に整形外科が知られるようになったと思うが、原語のOrthopaedicsは未だに知られていない。
< The planes of vibration of the two halteres are orthogonal to each other.>
というハルテーレの説明にある「orthogonal」という用語も初めは面食らった。五角形を「ペンタゴン(Pentagon)」というから、ヘキサゴン(Hexagon)が六角形だとわかるが、「オルソゴン」という言葉は聞いたことがない。これは「数学入門辞典」を調べたら、「直角、直交」の原語だとわかった。英語ではorhtogonalという形容詞としてしか使われていないようだ。
Haltereは「平均棍」と訳されているが、もとは「首吊り用の輪縄」の意味だそうだ。棒の先が脹らんでいることからの連想だろうが、原語、訳語ともにあまりよい言葉と思えない。
これも何とかならないものかと思う。
「パラ(para-)」の方では、接頭語にPara-を持つ英語医学用語は150くらいあるが、ギリシア語接頭辞の「para」を正確に意識して作られた、日本語訳語は乏しいようだ。
「パラ」はギリシア語では「近い(near)、越えて(beyond)、逆に(contrary)、余分の(excess)」などを指す、かなり「あいまい度(ambiguous)」が高い接頭辞である。
主に文系の用語としては、以下がある。
パラドックス(paradox)=「逆説、パラドックス」がある。これは「ドクサ(doxa)=言説、命題に反する」、という意味だ。
パラグラフ(paragraph)=これは「書く(graphien)」というギリシア語に由来するグラフ(書かれたもの)に、場所が違うを意味するpara-がついたもので、文章の節とか段落を意味する。
パラダイム(paradigm)=もとは文法上の規則を意味していたが、20世紀の後半になって科学哲学で、「社会的な暗黙の規範」という意味で使用されるようになった。
パラフレーズ(para-phrase)=パラ(別の)+言い方(フラーシス=phrasis)で、「言い替え、意訳」を意味している。
自然科学や医学では、
交感神経(symphatics)に対して副交感神経(para-sympathics)
甲状腺(thyroid)に対して副甲状腺(para-thyroid)、
パラノイア(paranoia)=偏執病:ギリシア語のノソス(nosos)が「病気」、病人がノイア。パラノイアとは「ほとんどビョーキの人」という意味。
他には、パラフィン(paraffin)=溶けたパラフィンは他のものにくっつかない。つまり「親和力(affinity)」がない、という意味。
他にもパラソル(ソル=sol=太陽、をさえぎる)、パラレル(レロス=lelos=他のもの、に並ぶ)=平行線、緯度線、
化学では立体構造や旋光性が異なる「異性体」を意味してパラという接頭辞が用いられる。
「メタ(meta=後の、上位の)」については形而上学(メタフィジックス)とか、これまでにも述べたので省略する。
こうしてみると、西欧の学問はギリシア語とそれを受け継いだ近世のラテン語の学問の上に組み立てられているのが明瞭である。
もし高校の英語の過程か、大学の必修教養科目に、基礎ギリシア語が取り入れられていたら、オルソ、メタ、パラの意味が誰にもわかり、同じ「コンスタント(constant=不変)」という言葉が物理で「定数」、化学で「常数」、数学で「率」(円周率)という言葉で訳されるという、馬鹿げたことは起こらなかったような気がする。
そうしたら「文と理の相互理解」とか「文系の知と理系の知の総合」とかが、もっとスムーズにおこなわれるのではないか、と思ってみる。
メタフィクションという用語が出た。
「メタ」という言葉に初めて接したのは、高校の化学の授業だった。ベンゼン核の炭素の位置を、オルソ、パラ、メタと覚えさせられた。これらは全てギリシア語由来である。
これらの接頭語は化学に特有かというと、そうでもない。
医学生の頃、整形外科のことを「オルソ」と呼んでいた。あの頃の医学生/医者用語は、ドイツ語とラテン語・ギリシア語がチャンポンになっていて、それに一部内科あたりで、英語が導入され始めていた時代だった。いちいち語源まで確かめられないので、「そういうもの」と覚え込んだ。
やがて「整形外科」は英語でOrthopaedics、ドイツ語でOrthopaedieといい、Ortho-(正す)、Paedia(脚)の合成語だと知った。つまり元々は、折れた脚や手を元に戻す(正しくする)のが専門の診療科をいうのである。
ところが日本では、小保方晴子もやっていたと週刊誌が報じているが、一重の瞼を二重にするとか、おっぱいをシリコン注入で大きくするとかの「美容成形」の方が先に有名になり、「整形外科」という本来の科名の方は普及が遅れた。
たぶん、自動車の普及により鞭打ち事故が多発した、1970年代に整形外科が知られるようになったと思うが、原語のOrthopaedicsは未だに知られていない。
< The planes of vibration of the two halteres are orthogonal to each other.>
というハルテーレの説明にある「orthogonal」という用語も初めは面食らった。五角形を「ペンタゴン(Pentagon)」というから、ヘキサゴン(Hexagon)が六角形だとわかるが、「オルソゴン」という言葉は聞いたことがない。これは「数学入門辞典」を調べたら、「直角、直交」の原語だとわかった。英語ではorhtogonalという形容詞としてしか使われていないようだ。
Haltereは「平均棍」と訳されているが、もとは「首吊り用の輪縄」の意味だそうだ。棒の先が脹らんでいることからの連想だろうが、原語、訳語ともにあまりよい言葉と思えない。
これも何とかならないものかと思う。
「パラ(para-)」の方では、接頭語にPara-を持つ英語医学用語は150くらいあるが、ギリシア語接頭辞の「para」を正確に意識して作られた、日本語訳語は乏しいようだ。
「パラ」はギリシア語では「近い(near)、越えて(beyond)、逆に(contrary)、余分の(excess)」などを指す、かなり「あいまい度(ambiguous)」が高い接頭辞である。
主に文系の用語としては、以下がある。
パラドックス(paradox)=「逆説、パラドックス」がある。これは「ドクサ(doxa)=言説、命題に反する」、という意味だ。
パラグラフ(paragraph)=これは「書く(graphien)」というギリシア語に由来するグラフ(書かれたもの)に、場所が違うを意味するpara-がついたもので、文章の節とか段落を意味する。
パラダイム(paradigm)=もとは文法上の規則を意味していたが、20世紀の後半になって科学哲学で、「社会的な暗黙の規範」という意味で使用されるようになった。
パラフレーズ(para-phrase)=パラ(別の)+言い方(フラーシス=phrasis)で、「言い替え、意訳」を意味している。
自然科学や医学では、
交感神経(symphatics)に対して副交感神経(para-sympathics)
甲状腺(thyroid)に対して副甲状腺(para-thyroid)、
パラノイア(paranoia)=偏執病:ギリシア語のノソス(nosos)が「病気」、病人がノイア。パラノイアとは「ほとんどビョーキの人」という意味。
他には、パラフィン(paraffin)=溶けたパラフィンは他のものにくっつかない。つまり「親和力(affinity)」がない、という意味。
他にもパラソル(ソル=sol=太陽、をさえぎる)、パラレル(レロス=lelos=他のもの、に並ぶ)=平行線、緯度線、
化学では立体構造や旋光性が異なる「異性体」を意味してパラという接頭辞が用いられる。
「メタ(meta=後の、上位の)」については形而上学(メタフィジックス)とか、これまでにも述べたので省略する。
こうしてみると、西欧の学問はギリシア語とそれを受け継いだ近世のラテン語の学問の上に組み立てられているのが明瞭である。
もし高校の英語の過程か、大学の必修教養科目に、基礎ギリシア語が取り入れられていたら、オルソ、メタ、パラの意味が誰にもわかり、同じ「コンスタント(constant=不変)」という言葉が物理で「定数」、化学で「常数」、数学で「率」(円周率)という言葉で訳されるという、馬鹿げたことは起こらなかったような気がする。
そうしたら「文と理の相互理解」とか「文系の知と理系の知の総合」とかが、もっとスムーズにおこなわれるのではないか、と思ってみる。
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