ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【老眼鏡】難波先生より

2013-02-28 12:03:00 | 難波紘二先生
【老眼鏡】「江戸時代には眼鏡をかけた人はいなかった」と書きましたが、貝原益軒は「四十歳以後は、早く眼鏡をかけて眼力を養うべし」と『養生訓』巻五に書いています。眼鏡のレンズには、和水晶と硝子製のものがあるが、「硝子製は壊れやすい」とも書いています。自らが老眼鏡を使用したとは書いていませんが、「今八十三歳だが、目に病なく、夜、細字を読み書く」と述べています。


 映画やテレビの時代劇で、「天下のご意見番」大久保彦左衛門(1560~1639)がたらいに乗って登城し、丸い眼鏡を紐で耳にかけて出てきます。「あれは時代考証がおかしい」と思って来ましたが、貝原益軒(1630~1714)より少し時代が早いだけですので、彦左衛門が老眼鏡をかけていた可能性は必ずしも否定できない、と思います。いずれ彼の著『三河物語』を読んでみましょう。
 それにしても『養生訓』が書かれた正徳3(1713)年には、新井白石『采覧異言』、寺島良安『和漢三才図会』が刊行されており、文化的には豊穣な年だったようです。いずれにせよ「江戸に眼鏡なし」は間違いでしたので、訂正してお詫びします。


 『養生訓』は「医は仁術なり」とか「良医を選ぶには医学を学ぶべし」とか、「貧民は医なきゆえに死し、愚民は凡医に誤られて死す、哀れむべし」とか、なかなかよいことを言っています。「買いたい新書」で書評しましょう。


 緒方洪庵『病学通論』第二巻「疾病総論」のところに、「およそ人身の諸器官の形質に欠けるところがなく、血液の循環に滞るところがなく、機能が常を保ちているものを<健康>とし、常が失われたものを疾病とする」と書いてあります。
 しかし、この後で、「健康には<完全なる健康>と<病的健康>の二種があり、もし前者をもって<真の無病>とすれば、今の人はことごとく病人になるだろう」と述べています。
 これは洪庵のオリジナルな思想ではなく、和蘭の病理学書を訳しているわけですが、「病的状態」と「病気」とを区別する私の考え方と一致したところがあります。温故知新といいますが、問題意識を持って古い書物を読むと、「古人と対話ができる」というは本当だと思います。
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