【バードの旅】
鳥のことではない。イサベラ・バード(Isabella L. Bird)という『日本奥地紀行』(東洋文庫)を書いた英国の女性旅行家のことだ。彼女は明治11(1878)年5月、サンフランシスコから船で横浜に着いた。まだ外国人の国内旅行に制限があった時代に、英国公使パークスを味方につけ、日本人の通訳1人を供に、東北と北海道への旅を3ヶ月かけておこなった。その旅行記の原題は「Unbeaten Tracks in Japan(日本の未踏の旅路)」という。
6/5「中国」一面コラム「天風録」がバードにふれていて、思わずニヤリとした。宮本常市『イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を読む』(平凡社, 2002)からの連想で、書き手として宮本常市についての著書もある、編集委員の某氏の顔が浮かんだからだ。
バードは一部、船で川を下っているが8.きょう、基本的には東北も北海道も徒歩で旅行している。
6/20~21に山形市で学会があるので、その後、バードの旅路を山形―天童―尾花沢―新庄―金山―湯沢―横手―田沢湖―鹿角―十和田湖―黒石―大釈迦―新城―青森と車で走って、青森まで辿ってみたい。できれば六ヶ所村も訪問したい。バードは秋田(当時は久保田)に寄ったので、このルートにほぼ30日をかけているが、今なら1泊2日か、2泊3日で十分だろう。
「アカデミカの旅」なるものを例年有志とやっているが、今年はみな忙しく「同行二人」になるかも知れない。寺嶋さん、よかったらご一緒しませんか…。「古人も多く旅に死せるあり」、「片雲の風にさそわれて漂泊の思ひやまず」(芭蕉)、てな感じで行ってきたい。
鳥のことではない。イサベラ・バード(Isabella L. Bird)という『日本奥地紀行』(東洋文庫)を書いた英国の女性旅行家のことだ。彼女は明治11(1878)年5月、サンフランシスコから船で横浜に着いた。まだ外国人の国内旅行に制限があった時代に、英国公使パークスを味方につけ、日本人の通訳1人を供に、東北と北海道への旅を3ヶ月かけておこなった。その旅行記の原題は「Unbeaten Tracks in Japan(日本の未踏の旅路)」という。
6/5「中国」一面コラム「天風録」がバードにふれていて、思わずニヤリとした。宮本常市『イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を読む』(平凡社, 2002)からの連想で、書き手として宮本常市についての著書もある、編集委員の某氏の顔が浮かんだからだ。
バードは一部、船で川を下っているが8.きょう、基本的には東北も北海道も徒歩で旅行している。
6/20~21に山形市で学会があるので、その後、バードの旅路を山形―天童―尾花沢―新庄―金山―湯沢―横手―田沢湖―鹿角―十和田湖―黒石―大釈迦―新城―青森と車で走って、青森まで辿ってみたい。できれば六ヶ所村も訪問したい。バードは秋田(当時は久保田)に寄ったので、このルートにほぼ30日をかけているが、今なら1泊2日か、2泊3日で十分だろう。
「アカデミカの旅」なるものを例年有志とやっているが、今年はみな忙しく「同行二人」になるかも知れない。寺嶋さん、よかったらご一緒しませんか…。「古人も多く旅に死せるあり」、「片雲の風にさそわれて漂泊の思ひやまず」(芭蕉)、てな感じで行ってきたい。
申し訳ありません、まだ読んでおりませんでした。早速手にしたいと思います。