【モニュメント・バレー】1987年の春だったと思うが、デンバーからロッキー山脈を越えてアリゾナの砂漠の中を車で走っていると、「モニュメント・バレー」というところがあり、こんな風景を沢山見かけた。(添付1)
当時のスライドや8ミリは屋根裏部屋に置いてあり、すぐには取り出せないので、とりあえず「Landscapes of America」(Crescent Books, 1986)という写真集からスキャンした。
この柱状構造がどうしてできるのか、ずっと不思議だった。
ところが、裏庭の仕事場の脇に、そっくり同じ構造物ができているのを発見した。(添付2)
裏庭は芝生が貼ってあるのだがもともと、前庭の芝を一部切り取っては移植したもので、金がかかっていない。そこで駐車場兼用になっているのだが、さすがに芝が痛む。もともとあったバラスが、芝の間から顔を覗かせたところもある。
そこで家内が園芸店に「正土(まさつち)」をトラック一杯分運んでもらい、仕事場の東側の窓際の庭に、山盛りにしてもらった。「まさつち」というのは、この辺の方言かと思っていたら、「広辞苑」にちゃんと「上等の土、田畑の表土の下にある土」として載っている。
ともかくはじめは小山をなしていたが、片側からスコップで取り崩すので、南側は「富士山の断面」みたいなかたちになっている。ところが11/27日、小雨の合間によく見ると、断崖絶壁の部分にはアリゾナの風景と同じような柱状紋理ができており、さらに、添付した写真のように孤立した柱が沢山形成されている。
スケールがミクロかマクロかという違いがあるが、現象としては同じものである。
「不思議なことがあるものよ…」と思ってよく見ると、庭の柱のてっぺんには白い石英のかけらが載っている。つまりこれが雨水の浸食作用を防ぐため、その下の土が雨に流されないため、柱状構造が形成されるのである。正土の断崖部に柱状紋理が形成されるのも、断崖の途中に石英の破片が載っかっているためだ。
そう思ってアリゾナ砂漠の写真をよく見ると、太い柱状構造物のてっぺんには平たい岩石があり、さらに柱の部分には水平に走る地層が何層か認められる。
これは基本的には湖底に溜まった「堆積岩」だとわかった。
つまり、何万年か前、ロッキーとシェラネヴァダ山脈の間には巨大な湖があった。その湖の堤がどこかで決壊して、水が流れ、その後、湖底が浸食されて軟らかい部分が流れ去り、固い部分が柱状部として残った。こういうことだろう。
いきなりそう説明されても、すぐにはピンと来ないが、裏庭で実際に起こった現象(これは一夏のことだ)を見てみると、地球的な時間経過だと、あの広大なアリゾナ砂漠に、そういうことが起こっても不思議はないように思われる。
北米中西部の北側、カナダのマニトバ州から米国のミネソタ、ノースダコタ州にかけて、「アガシ湖」という巨大な湖が、1万3000年前に存在したことはわかっているが、アリゾナに水成岩をもたらした湖については、ネットでも見つからない。
Cf. B.フェイガン:「古代文明と気候大変動」、河出書房新社, 2005

当時のスライドや8ミリは屋根裏部屋に置いてあり、すぐには取り出せないので、とりあえず「Landscapes of America」(Crescent Books, 1986)という写真集からスキャンした。
この柱状構造がどうしてできるのか、ずっと不思議だった。
ところが、裏庭の仕事場の脇に、そっくり同じ構造物ができているのを発見した。(添付2)

裏庭は芝生が貼ってあるのだがもともと、前庭の芝を一部切り取っては移植したもので、金がかかっていない。そこで駐車場兼用になっているのだが、さすがに芝が痛む。もともとあったバラスが、芝の間から顔を覗かせたところもある。
そこで家内が園芸店に「正土(まさつち)」をトラック一杯分運んでもらい、仕事場の東側の窓際の庭に、山盛りにしてもらった。「まさつち」というのは、この辺の方言かと思っていたら、「広辞苑」にちゃんと「上等の土、田畑の表土の下にある土」として載っている。
ともかくはじめは小山をなしていたが、片側からスコップで取り崩すので、南側は「富士山の断面」みたいなかたちになっている。ところが11/27日、小雨の合間によく見ると、断崖絶壁の部分にはアリゾナの風景と同じような柱状紋理ができており、さらに、添付した写真のように孤立した柱が沢山形成されている。
スケールがミクロかマクロかという違いがあるが、現象としては同じものである。
「不思議なことがあるものよ…」と思ってよく見ると、庭の柱のてっぺんには白い石英のかけらが載っている。つまりこれが雨水の浸食作用を防ぐため、その下の土が雨に流されないため、柱状構造が形成されるのである。正土の断崖部に柱状紋理が形成されるのも、断崖の途中に石英の破片が載っかっているためだ。
そう思ってアリゾナ砂漠の写真をよく見ると、太い柱状構造物のてっぺんには平たい岩石があり、さらに柱の部分には水平に走る地層が何層か認められる。
これは基本的には湖底に溜まった「堆積岩」だとわかった。
つまり、何万年か前、ロッキーとシェラネヴァダ山脈の間には巨大な湖があった。その湖の堤がどこかで決壊して、水が流れ、その後、湖底が浸食されて軟らかい部分が流れ去り、固い部分が柱状部として残った。こういうことだろう。
いきなりそう説明されても、すぐにはピンと来ないが、裏庭で実際に起こった現象(これは一夏のことだ)を見てみると、地球的な時間経過だと、あの広大なアリゾナ砂漠に、そういうことが起こっても不思議はないように思われる。
北米中西部の北側、カナダのマニトバ州から米国のミネソタ、ノースダコタ州にかけて、「アガシ湖」という巨大な湖が、1万3000年前に存在したことはわかっているが、アリゾナに水成岩をもたらした湖については、ネットでも見つからない。
Cf. B.フェイガン:「古代文明と気候大変動」、河出書房新社, 2005
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