ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【マレー博士の死】難波先生より

2012-11-30 12:20:46 | 修復腎移植
【マレー博士の死】28日(水)の新聞によると、1954年12月に世界で初めて「一卵性双生児間の生体腎移植」を行ったボストンのジョセフ・マレー博士が93歳で亡くなった。骨髄移植を実用に持ち込んだシアトルのドン・トーマス博士とともに1990年、「ノーベル生理学・医学」賞を受賞している。

 22歳の青年R.H.は慢性糸球体腎炎のため末期状態となっていた。コルフ型の人工腎臓はすでにあったが、これでの長期生存は無理である。青年には双子の兄弟があった。そこでこの兄弟が熱心に自分の腎臓を提供することを申し出た。と書物では美談になっているのだが、医者の側からの「誘導」がどの程度あったかわからない。

 何しろ当時は、HLAシステムも発見されておらず、「間違いなく一卵性双生児である」のを確認するために、切手サイズの皮膚を交換移植することが行われた。:これは完全に生着し、一卵性であることは確定した。

 第二の問題は、移植しても移植腎に糸球体腎炎が再発するのではないか?という問題だったが、これは当時は移植例がなく不明だった。

 第三の問題は、「病人を救うためとはいえ、健康な体にメスを入れ、臓器を摘出することが許されるか?」という、倫理的問題だった。
 
 医師団は3ヶ月以上議論を重ねたが、結局、「移植以外に方法がない」としてクリスマスの前、12月23日に移植手術を実施した。手術は成功し、すぐに腎機能が改善したが、おそらく倫理的非難を恐れて公表はされなかった。(論文は1956年になって報告された。) しかし手術成功のうわさは、口コミで医者の世界に広まり、当初、「腎移植を必要とする患者」で、「健康な一卵性双生児のきょうだいを持つ」ものは、きわめて少ないだろうと考えられたが、1963年秋までに世界中で30例の同様な手術が実施された。

 手術がおこなわれた病院がハーバード大付属「ピーター・ベント・ブリガム病院」という名門病院だったこともあるが、「健康な若者の臓器を摘出した!」とヒステリックなバッシング起こらなかったことが、「生体腎移植」から「死体臓器提供」へと臓器移植の範囲を広げて行くのに貢献した。確かに、ボストンは文化の中心地であり、週刊の「ニューイングランド医学雑誌」が発行されている都市である。

 それにアメリカ人は、あるアイデアが提出されたとき、そのプラスの面を評価し、よりよいものへと発展させることを好む。だから発案者と実用化に踏み切る実行者はしばしば異なる。電話はエジソンの発明だが、実用化したのはベルだ。映画もラジオ放送もテレビも、発案者と事業化したのは別の人物だ。
 パソコンもアップルの方が先だったが、商業ベースではマイクロソフトがシェアーを奪って伸ばした。

 マレーの腎移植第1例を、「一卵性双生児以外に広げるにはどうしたらよいか?」と考えるところから、ステロイドなどの免疫抑制剤が開発され、さらにマレー博士の移植免疫に関する基礎的研究から、HLAシステムの研究が進み、他人間でも移植可能な臓器を見つける方法が発展した。
 
 さらに、健康な体にメスを入れるという倫理的問題をクリアーし、「利用できる臓器」の範囲を広げるところから、「脳死」の概念が生み出された。ドナー臓器数を一挙に増やし、マレー手術、以後50年間に臓器移植は目覚ましく進歩した。

 アメリカ社会を観察していて感じるのだが、あるアイデアが出されたとき、あの国では真っ向から否定することはない。必ず、その案よりもすぐれた対案を出すことで、そのアイデアをほうむろうとする。ここが、たとえば「修復腎移植」についての反応でも、日本とアメリカがまったく異なる点だ。日本では権威主義的に否定する。

 日本移植学会はいぜん頑として「修復腎移植」を認めようとしないが、サンフランシスコ、西オーストラリア、スペインでは「修復腎移植」のネットワーク化が始まっている。スペインは世界一「死体からの臓器提供率」が高い国だが、それでも移植用臓器は不足している。

 1955年に、アメリカ医師会がマレー博士らの腎移植を「非倫理的」と断罪していたら、臓器移植の普及は大きく遅れたろう。日本では逆に、移植学会が「和田移植は殺人であった」と認め、公式に謝罪しないから、移植医療への不信が解消できず、ドナーのなり手がほとんどいない。

 マレー博士による腎移植で一命を救われたR.H.は、その後退院し、職も得て、入院中の病棟のナースと結婚した。しかし7年後、糸球体腎炎が再発し、翌年その合併症である冠状動脈疾患で死亡した。しかし移植後8年間生存でき、QOLの高い人生を送れたことは評価される。

 その後、一卵性双生児間の移植の場合、糸球体腎炎再発のリスクは極めて高いことが明らかとなった。これもM.R.が残してくれた教訓のひとつである。
 マレー博士の腎移植は、決して美談ばかりでない。しかしあの移植が、ドン・トーマスの骨髄移植(今や、この手法はがん治療法としても利用されている)のような高度に洗練された移植医療につながったことは間違いない。だからノーベル賞選考委員会は、「マレー博士とトーマス博士」をセットにして、1990年に授賞者として選んだのであろう。
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