ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【修復腎移植ものがたり (3)山家公頼】難波先生より

2014-09-01 14:50:18 | 修復腎移植ものがたり
【修復腎移植ものがたり (3)山家公頼】
 神主は、遠くに見える宇和島城の南側、かつて武家屋敷があったあたりに視線をさまよわせた。
「あの城に登る坂の入り口にある門の近くに、かつて山家(やんべ)さまのお屋敷があったのです。
 筆頭家老の山家さまは宇和郡の地が貧しい状況にあるのを知ると、殖産興業の道を指導し、家康から命じられた大阪城の石垣修築工事にも勢力を注がれました。当時、幕府は関ヶ原の合戦で西軍に味方した外様大名に対しては、土木工事を命じるなど、その力を殺ぐ政策をとっておりました。
 この修築工事は本来なら、薩摩藩が命じられた利根川の治水工事と同じように、藩財政の破綻を引き起こすところでした。ところが山家さまは、仙台藩から六万石を借り入れられ、工事を達成しただけでなく、藩内の農漁業の振興策にも成果をあげました。その見事な才能が同僚に嫉妬され、藩主に讒言(ざんげん)されたのでございます。讒言をしたのは家老の桜田玄蕃の一派だといわれております。
 悪いことに主君の秀宗さまも山家清兵衛さまがお好きではなかったのです。もともと父君政宗さまの重臣で、いわば大目付として宇和藩に派遣され、秀宗さまにも遠慮なく意見をされたからでありましょう。
 玄蕃の申し立てを信じた暗愚な秀宗さまは、山家の暗殺を許可されたのです。暗殺者たちは夜の闇にまぎれて山家屋敷を襲撃し、ご家老だけでなく一族を皆殺しにしてしまいました。元和六(1620)年六月のことです。
 山家一族が非業の最期をとげた後、一連の異変が起こりました。暗殺関係者はつぎつぎと発狂したり、病死したり、雷に撃たれて死んだりしました。期を同じくして天変地変が相つぎました。民百姓は「山家ご家老の怨念のせいだ」と恐れおののき、怨霊の噂は広く人びとのうわさに上るようになりました。秀宗さまもご病気になられ、ついに承応二(1653)年、山家さまの屋敷跡に神社を建てて、御霊を安らげることにされたのでございます。山家清兵衛さまの正式の名前が公頼であることから、「山頼和霊神社」と当初は申しておりました。
 これが「和霊神社」の縁起でございます。当社はその後、享保二十(1735)年、この須賀川右岸の高台に遷宮したのでございます。
 山家清兵衛を死ぬほど嫉妬した桜田玄蕃という方も、仙台から来た家老でございます。ただこの方は武功でご出世になったので、山家さまのように内政や経済に明るい人ではなかったようです。
 いや「男の嫉妬」というものは恐ろしゅうございます。相手を倒すために、どんな手でも使いかねません。
 先生はお見受けしたところ、敵ができそうにも思えませんが、まだお若いし、先が長い。
 ふとしたことから「男の嫉妬」を抱いた相手が出てくることもありましょう。これが始末に負えないのは、嫉妬する側は自分を動かしているのが嫉妬心だということに、ちっとも気づかないで「正義」を振りかざすことです。桜田玄蕃がまさにそうでした…。あなた様も、やがて思い当たられる日もあろうかと思います。」
 初老の神主は、眼鏡の奥から謎めいた目でじっと男の顔を見つめた。
「いや、これは余計なことまで申しあげ、まことに失礼をいたしました。思わぬ長話をいたしました。
 以上は当神社の言い伝えでありますが、これを裏付ける古文書もございます。
あれが愛宕山、あの山のこちら、北のふもとに宇和津彦神社がございます。」
 と神主は遥か南をさし示した。市立病院の東方、宇和島城から東南の方角に緑の丘が見えている。
「その古文書は『宇和旧記』と申します。これに、元和七(1621)年、愛宕山の宇和津彦神社に奉納された刀の鍔の銘が写し取られております。刀は前年の六月に殺された山家清兵衛の鎮魂を願ったもので、奉納者名は「豫州宇和島居住桜田玄蕃助藤原元親」とあります。玄蕃は玄蕃助とも称しておりました。藤原元親は、先祖が奥州藤原氏であることを示す別称でございます。つまり刀を奉納したのは桜田玄蕃その人なのです。
 この鍔の銘から、板島という地名がこの年に「宇和島」に変えられたことがわかるのでございます。」
 山家清兵衛殺害により筆頭家老になった桜田玄蕃は、清兵衛の怨念が恐くて、藩主秀宗に働きかけ地名を変えた。こうして「宇和島」城と「宇和島」藩が誕生したのだ。「和霊」は夫婦和合ではなかった…。
 男は自分の早とちりに内心は苦笑しながらも、丁寧に神主に礼をいい、春ゼミの鳴く境内を後にした。(続)
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5 コメント

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嫉妬の中核 (からしだね)
2014-09-03 12:58:49
修復腎移植については何も知りませんので、先生のブログを読むことをご縁に少し勉強させていただこうと思い、この連載を楽しみに読ませていただいております。私は理解の遅いところがありますので、この連載も再度第1回から読ませていただきました。
今回印象に残りましたのは、「・・・これが始末に負えないのは、嫉妬する側は自分を動かしているのが嫉妬心だということに、ちっとも気づかないで「正義」を振りかざすことです。」という文章です。
先生は「男の嫉妬」という言葉を使っておられますが、嫉妬心は男女関係なく、人間にとって最も厄介なもののひとつですね。自分の嫉妬心を認めることが出来る人は、とても強い人だと思います。
「嫉妬の中核には、愛の欠如がある。」とはC.G.ユングの言葉ですが、この「愛」を広く人間愛(隣人愛)ととらえて克服しようとしても、そう出来ないのが人間の弱さでしょうか。
この「嫉妬」という言葉が、これからこの連載のキーポイントになるのかな?などと考えつつ、次回を楽しみにしております。
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嫉妬 (Mr.S)
2014-09-03 13:52:34
STAP論文が発表された時、確かに嫉妬を感じました。
科学者でも研究者でもないのですが、IPSをバカにされた気がして、非常に悔しかった覚えがあります。
修復腎移植について、批判派が万波医師に嫉妬を感じている部分が最初にあったとしても、慎重な構えは必要ではないでしょうか。
擁護派、批判派の対立の中から最善策が生まれれば良いのです。
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本当にそうですね (からしだね)
2014-09-03 14:08:16
To Mr. S

私はこの問題(修復腎移植)については本当に何も知らないのですが、Mr.Sの仰る通り、「擁護派、批判派の対立の中から最善策が生まれれば良い」ですね。
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カテゴリー違い (ysjournal)
2014-09-12 01:55:38
この第3回はカテゴリーが「修復腎移植」ではなく「難波紘二先生」になっております。

危うく和霊神社の由来をスキップするところでした。
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訂正しました (武田)
2014-09-12 08:35:07
ysjournalさん、
ありがとうございます。
訂正しておきました。
同級生なんですね。
貴ブログもたまに覗かせてください。
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