【官僚制】の弊害とその是正について同じく10/4「産経」の「正論」に屋山太郎が「消費税の次は官僚制度に断下せ」という論説を載せている。
弁護士出身で「百人斬り裁判から南京へ」(文春新書)という著書もある稲田朋美行政改革大臣に、人事院から国家公務員給与をランク付けしている「級別定数」の策定権を奪い、「内閣人事局」を設置しそこに移管するという荒技をおこない、「公務員の身分保障」を外せと迫っている。
つまりアメリカの「スポイルズ制」に似た、行政のトップ(米では大統領、日本では首相)が直接任免可能な高級官僚の数を増やせというものだ。米国ではこの対象が3000人以上にのぼるのに対して、本省局長級112人を対象として構想されているから、大した人数ではない。
日本の国家公務員はかつては「等級号俸制」により、ランク付けされていた。1982年に私が教授になったときのランクは「1等級5号俸」である。この頃は教官定停年63歳、事務官定年55歳だった。事務官の定年は全国一律なので「定年」と書くが、大学の教官定年は大学が決定するので「停年」と書く。当時、東大は60歳、岡山大は65歳、広島大は63歳だった。
ところが1987年頃、事務官の停年が60歳に延長となった。その時、人事院は財源がないので「等級号俸制」を改訂して、「級別号俸制」に変え、55歳以後の「年次昇給」を停止してしまった。どういうことかというと、それまでは事務官、教官とも毎年昇給があったが、事務官・教官とも定期昇給は55歳でうち切り、「特別昇給」のみとして、余剰財源を事務官の定年延長分の財源にしたのである。
従来の等級号俸制だと、教官に感づかれて騒ぎになるから、「一等級」を「5級」に、従来の「五等級」を「1級」にと序列を逆にした。世事に疎い教授が何が何だかわからなかったが、別に給料が減ったわけでないから、感づかれなかった。これが今の「級別号俸制」である。
この「級別号俸制」は明らかに国家公務員の身分秩序を表していて、時に「官号俸を名乗れ」といわれたこともある。また「5級17号俸」以上だと、公用旅券で海外出張する場合、ビジネスクラスの利用が可能となるなど、いくつかの特権がある。私は5級16号俸で昇給ストップになったので、残念ながらこの特典を利用した経験がない。
屋山氏がいうように、各省庁本省の局長以上が「5級17号俸」以上で、多くの特典に恵まれ身分保障のうえに、「「局>省>国家」の順に目先の利益を追っていることは間違いないだろう。大学のような小さな組織でも、事務官も教官も大学全体のことよりも、自分の部局・部課や講座の利益を優先しがちだ。
それはある意味で、人間の本性に由来しているので、拙速に「日本版スポイルズ制」を導入すると、議院内閣制のもとでは、えてして内閣は短命なので朝令暮改の拙速人事がおこなわれ、行政方針の混乱を招きかねない。米国でこの制度が機能しているのは、大統領制で4年間は人事が安定しているからだ。
日本の官僚制が戦前からの遺残物であることは、保坂正康「そして官僚は残った」(毎日新聞社, 2011)が明らかにし、経産省における官僚制弊害の実態は、古賀茂明「日本中枢の崩壊」(講談社, 2011)に詳しい。ことに彼が雑誌「エコノミスト」に発表しようとして大臣官房から差し止められた「東京電力の処理策」は、巻末に「補論」として掲載されているが、第一次策と第二次策に分けて書かれた、このおおむね妥当な提言だ。これが発表禁止になったこと自体が、経産省を東電が操っていることを物語っている。
しかしながら、病理総論的見地からはこれらの研究は不十分で、近代官僚制の起源、つまり明治初年の「太政官政府」における高級官僚の誕生と彼らによる官僚制度の創設にまでさかのぼって研究する必要がある。しかし日本の近代官僚制の起源と変遷に関する研究はきわめて不十分である。
慶応4(1868)年の「太政官制度」導入、
明治2(1869)の「職員令」施行(省の設置と卿=大臣、大輔=次官の呼称導入)
明治6年以後の仏人法律顧問ボアソナードによる刑法、民法の策定
熊本出身の元田永孚(ながざね)と井上毅(こわし)による、慶應義塾派系の官僚、福沢諭吉、矢野文雄、尾崎行雄らの追放に至る「明治14年の政変」(この結果、明治16年7月から「官報」が創刊になった。村山龍平が社長の「朝日新聞」への政府補助も開始された。)
井上毅による「明治憲法」の起草、
元田永孚と井上毅による「教育勅語」の起草、
などが主なところだが、元を糾せば「太政官制」というのは、平安時代の官職制である。「大蔵省」はすでにこの時にあり、たったこの間まで名称が持続していた唯一の省だ。よって「財務省官僚」が官僚の官僚なのである。
Cf. 坂本多加雄「日本の近代2:明治国家の建設」(中央公論社, 1998)
Cf. 佐々木隆「日本の近代14: メディアと権力」(同, 1999)
Cf. 和田英松「新訂官職要解」(講談社学術文庫, 1983)
国家公務員は「公僕(パブリック・サーバント)」であり、うち大臣、副大臣、政務官、裁判官、自衛官などは「特別職」に属する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/特別職
また各省庁の事務次官クラスは「指定職」として特別な待遇を受けている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/指定職
特別職と指定職の総数を合わせたいわゆる「支配官僚」の総数はおよそ1,500名であろう。
屋山提案は、これらを人事院の支配から切り離してアメリカの「スポイルズ制」と同様に、政治任命しようというものだが、前述のように政権がめまぐるしく変わる政治システムのもとでは、かえって統治機構の不安定性を招きかねない。
清少納言が「凄まじきもの」のひとつに「除目に司得ぬ人の家」(発令の日に、当てにしていた官職にありつけなかった人の家)をあげているが、高級官僚が本務そっちのけで、権力の座にある政治家のご機嫌伺いにはせ参じる光景を想像するだに、滑稽でもあり情けなくもある。
Cf.「枕草子」22段
首相公選制を導入して、4年任期にするか、「大統領制」を導入するかすれば、スポイルズ制は機能する可能性があるが、首相権限が強化される分、独裁制に陥る危険性がたかまる。「道州制」を導入して、中央政府権限を縮小するのが同時になされるべきだろう。
それよりも、復興増税を国民に課すのなら、東電役員は全員無報酬、国会議員と閣僚は給料半額に引き下げるべきだろう。原子力関係の省庁も同様だ。
誠意と責任は、金で示すしかない。「同情するなら金をくれ」(「家なき子」)
トップが模範を示してこそ、国民はそれに従うものだ。本末を転倒した「法人復興税先送り廃止」など論外である。
弁護士出身で「百人斬り裁判から南京へ」(文春新書)という著書もある稲田朋美行政改革大臣に、人事院から国家公務員給与をランク付けしている「級別定数」の策定権を奪い、「内閣人事局」を設置しそこに移管するという荒技をおこない、「公務員の身分保障」を外せと迫っている。
つまりアメリカの「スポイルズ制」に似た、行政のトップ(米では大統領、日本では首相)が直接任免可能な高級官僚の数を増やせというものだ。米国ではこの対象が3000人以上にのぼるのに対して、本省局長級112人を対象として構想されているから、大した人数ではない。
日本の国家公務員はかつては「等級号俸制」により、ランク付けされていた。1982年に私が教授になったときのランクは「1等級5号俸」である。この頃は教官定停年63歳、事務官定年55歳だった。事務官の定年は全国一律なので「定年」と書くが、大学の教官定年は大学が決定するので「停年」と書く。当時、東大は60歳、岡山大は65歳、広島大は63歳だった。
ところが1987年頃、事務官の停年が60歳に延長となった。その時、人事院は財源がないので「等級号俸制」を改訂して、「級別号俸制」に変え、55歳以後の「年次昇給」を停止してしまった。どういうことかというと、それまでは事務官、教官とも毎年昇給があったが、事務官・教官とも定期昇給は55歳でうち切り、「特別昇給」のみとして、余剰財源を事務官の定年延長分の財源にしたのである。
従来の等級号俸制だと、教官に感づかれて騒ぎになるから、「一等級」を「5級」に、従来の「五等級」を「1級」にと序列を逆にした。世事に疎い教授が何が何だかわからなかったが、別に給料が減ったわけでないから、感づかれなかった。これが今の「級別号俸制」である。
この「級別号俸制」は明らかに国家公務員の身分秩序を表していて、時に「官号俸を名乗れ」といわれたこともある。また「5級17号俸」以上だと、公用旅券で海外出張する場合、ビジネスクラスの利用が可能となるなど、いくつかの特権がある。私は5級16号俸で昇給ストップになったので、残念ながらこの特典を利用した経験がない。
屋山氏がいうように、各省庁本省の局長以上が「5級17号俸」以上で、多くの特典に恵まれ身分保障のうえに、「「局>省>国家」の順に目先の利益を追っていることは間違いないだろう。大学のような小さな組織でも、事務官も教官も大学全体のことよりも、自分の部局・部課や講座の利益を優先しがちだ。
それはある意味で、人間の本性に由来しているので、拙速に「日本版スポイルズ制」を導入すると、議院内閣制のもとでは、えてして内閣は短命なので朝令暮改の拙速人事がおこなわれ、行政方針の混乱を招きかねない。米国でこの制度が機能しているのは、大統領制で4年間は人事が安定しているからだ。
日本の官僚制が戦前からの遺残物であることは、保坂正康「そして官僚は残った」(毎日新聞社, 2011)が明らかにし、経産省における官僚制弊害の実態は、古賀茂明「日本中枢の崩壊」(講談社, 2011)に詳しい。ことに彼が雑誌「エコノミスト」に発表しようとして大臣官房から差し止められた「東京電力の処理策」は、巻末に「補論」として掲載されているが、第一次策と第二次策に分けて書かれた、このおおむね妥当な提言だ。これが発表禁止になったこと自体が、経産省を東電が操っていることを物語っている。
しかしながら、病理総論的見地からはこれらの研究は不十分で、近代官僚制の起源、つまり明治初年の「太政官政府」における高級官僚の誕生と彼らによる官僚制度の創設にまでさかのぼって研究する必要がある。しかし日本の近代官僚制の起源と変遷に関する研究はきわめて不十分である。
慶応4(1868)年の「太政官制度」導入、
明治2(1869)の「職員令」施行(省の設置と卿=大臣、大輔=次官の呼称導入)
明治6年以後の仏人法律顧問ボアソナードによる刑法、民法の策定
熊本出身の元田永孚(ながざね)と井上毅(こわし)による、慶應義塾派系の官僚、福沢諭吉、矢野文雄、尾崎行雄らの追放に至る「明治14年の政変」(この結果、明治16年7月から「官報」が創刊になった。村山龍平が社長の「朝日新聞」への政府補助も開始された。)
井上毅による「明治憲法」の起草、
元田永孚と井上毅による「教育勅語」の起草、
などが主なところだが、元を糾せば「太政官制」というのは、平安時代の官職制である。「大蔵省」はすでにこの時にあり、たったこの間まで名称が持続していた唯一の省だ。よって「財務省官僚」が官僚の官僚なのである。
Cf. 坂本多加雄「日本の近代2:明治国家の建設」(中央公論社, 1998)
Cf. 佐々木隆「日本の近代14: メディアと権力」(同, 1999)
Cf. 和田英松「新訂官職要解」(講談社学術文庫, 1983)
国家公務員は「公僕(パブリック・サーバント)」であり、うち大臣、副大臣、政務官、裁判官、自衛官などは「特別職」に属する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/特別職
また各省庁の事務次官クラスは「指定職」として特別な待遇を受けている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/指定職
特別職と指定職の総数を合わせたいわゆる「支配官僚」の総数はおよそ1,500名であろう。
屋山提案は、これらを人事院の支配から切り離してアメリカの「スポイルズ制」と同様に、政治任命しようというものだが、前述のように政権がめまぐるしく変わる政治システムのもとでは、かえって統治機構の不安定性を招きかねない。
清少納言が「凄まじきもの」のひとつに「除目に司得ぬ人の家」(発令の日に、当てにしていた官職にありつけなかった人の家)をあげているが、高級官僚が本務そっちのけで、権力の座にある政治家のご機嫌伺いにはせ参じる光景を想像するだに、滑稽でもあり情けなくもある。
Cf.「枕草子」22段
首相公選制を導入して、4年任期にするか、「大統領制」を導入するかすれば、スポイルズ制は機能する可能性があるが、首相権限が強化される分、独裁制に陥る危険性がたかまる。「道州制」を導入して、中央政府権限を縮小するのが同時になされるべきだろう。
それよりも、復興増税を国民に課すのなら、東電役員は全員無報酬、国会議員と閣僚は給料半額に引き下げるべきだろう。原子力関係の省庁も同様だ。
誠意と責任は、金で示すしかない。「同情するなら金をくれ」(「家なき子」)
トップが模範を示してこそ、国民はそれに従うものだ。本末を転倒した「法人復興税先送り廃止」など論外である。
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