【1000例目腎移植】 に立ち会うため、水曜日の13:00に自宅前から路線バスに乗った。ところが、西条駅から呉駅行きのJRバスの接続が悪く、おまけにJRバスが少し遅れて15:30頃呉駅に着いたので、15:32発の松山行き水中翼船の便を逃した。これは2時間に1便しかないから結局17:53分に乗船し、松山港からリムジンバスでJR松山駅まで行き、宇和島行きの特急に乗り、宇和島に着いたのが20:56、自宅を出てから8時間もかかった。 信じられないほどの時間距離の長さだ。
万波先生が、駅まで出迎えてくれて、付近の料理屋「たぐち」で開かれている「前祝い」に出席した。聖マルチン病院の西先生は少し前に丸亀に帰ったとのこと。
万波移植の初期にHLA検査などを担当した、当時の技師の宮本直明さんに初めてお会いした。まだ若々しい。焼酎お湯割り3杯を飲んだら、近藤先生から「飲み過ぎた」と注意された。万波さんは酒を飲まず、他の6人もあまり飲まない。酒もタバコも飲むのはわたしだけ。みんな健康的だ。
木曜日は10:00過ぎに宇和島徳洲会病院に行き、患者の状態と手術の予定時間を聞く。ドナーは50代後半の妻で、レシピは60代前半の夫。妻がA型、夫がO型で血液型不適合とHLA不適合があるが、いまはよい免疫抑制剤があるので問題ないとのこと。またレシピの血漿交換により、抗A型抗体価は落ちているので、予定通りドナー手術を11:00から、レシピの手術を12:00から開始するということだった。
その後、市立宇和島病院時代から泌尿器科に勤務しているナースのMさんに「1000例の根拠」をたずねた。
それによると、「病腎移植」騒動が起きたときに、かつて記録していた市立宇和島病院での腎移植記録を調べたら、
1977/12~2004/3=549例であった。
2004/4~2012/12(宇和島徳洲会病院)=443例
2013/1~2013/3/6=7例で、合計999例となり今日で1000例になるとのこと。
13:00過ぎに手術室に入り、レシピエントの手術場に入った。もう摘出された腎臓が小骨盤腔に植えられつつあり、30分もしないうちに腎動脈と腎静脈のレシピエントへの吻合が終わった。(添付1)
「修復腎移植」と異なり、隣室で摘出されたばかりの腎臓なので「冷却保存」されていないので、すぐに尿管から尿が、それこそほとばしるように出る。尿管の端を25mlのメスシリンダーに差し込み、「1分間流出量」を計測すると24mlもある。1.4リットル/時間という多量である。(添付2)![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/27/7f/0d0962558f5e7c3fd96b2e1c71d65f59_s.jpg)
レシピエントは1年間、透析を受けていたそうだが、身体中に水分が溜まりすぎているのである。
出血量を尋ねると麻酔医が「96mlです」と答えてくれた。これは実質的にはゼロに等しく、輸血の必要性はまったくない。術前の患者管理のよさと万波さんの手術の手際のよさによるものである。後は尿管を膀胱に吻合するところが残っているだけなので、一足先にオペ室を出た。
泌尿器科の外来に戻ると、間もなく昨夜お会いした近藤先生も見えた。雑談しているうちに、オペが終りスタッフが戻ってきた。万波さんには、「1000例を達成した」という意識はぜんぜんない。淡々としている。普通と変わらない。
17:30から岡山大の生命倫理学者粟屋教授の講演があるということだった。出たいのはやまやまだが、それに出席すると今日中に自宅に戻れないおそれがあるので、宇和島駅に急ぎ16:03の松山行き特急に乗った。
今日は接続がよくて、18:50に呉港に着き、家内が迎えに来てくれて、東広島市のレストランで食事し、22:00頃に自宅にもどった。それでも6時間。長い一日だった。
万波先生が、駅まで出迎えてくれて、付近の料理屋「たぐち」で開かれている「前祝い」に出席した。聖マルチン病院の西先生は少し前に丸亀に帰ったとのこと。
万波移植の初期にHLA検査などを担当した、当時の技師の宮本直明さんに初めてお会いした。まだ若々しい。焼酎お湯割り3杯を飲んだら、近藤先生から「飲み過ぎた」と注意された。万波さんは酒を飲まず、他の6人もあまり飲まない。酒もタバコも飲むのはわたしだけ。みんな健康的だ。
木曜日は10:00過ぎに宇和島徳洲会病院に行き、患者の状態と手術の予定時間を聞く。ドナーは50代後半の妻で、レシピは60代前半の夫。妻がA型、夫がO型で血液型不適合とHLA不適合があるが、いまはよい免疫抑制剤があるので問題ないとのこと。またレシピの血漿交換により、抗A型抗体価は落ちているので、予定通りドナー手術を11:00から、レシピの手術を12:00から開始するということだった。
その後、市立宇和島病院時代から泌尿器科に勤務しているナースのMさんに「1000例の根拠」をたずねた。
それによると、「病腎移植」騒動が起きたときに、かつて記録していた市立宇和島病院での腎移植記録を調べたら、
1977/12~2004/3=549例であった。
2004/4~2012/12(宇和島徳洲会病院)=443例
2013/1~2013/3/6=7例で、合計999例となり今日で1000例になるとのこと。
13:00過ぎに手術室に入り、レシピエントの手術場に入った。もう摘出された腎臓が小骨盤腔に植えられつつあり、30分もしないうちに腎動脈と腎静脈のレシピエントへの吻合が終わった。(添付1)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7e/90/5c773c05c43e2aa8f141b857591096df_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/27/7f/0d0962558f5e7c3fd96b2e1c71d65f59_s.jpg)
レシピエントは1年間、透析を受けていたそうだが、身体中に水分が溜まりすぎているのである。
出血量を尋ねると麻酔医が「96mlです」と答えてくれた。これは実質的にはゼロに等しく、輸血の必要性はまったくない。術前の患者管理のよさと万波さんの手術の手際のよさによるものである。後は尿管を膀胱に吻合するところが残っているだけなので、一足先にオペ室を出た。
泌尿器科の外来に戻ると、間もなく昨夜お会いした近藤先生も見えた。雑談しているうちに、オペが終りスタッフが戻ってきた。万波さんには、「1000例を達成した」という意識はぜんぜんない。淡々としている。普通と変わらない。
17:30から岡山大の生命倫理学者粟屋教授の講演があるということだった。出たいのはやまやまだが、それに出席すると今日中に自宅に戻れないおそれがあるので、宇和島駅に急ぎ16:03の松山行き特急に乗った。
今日は接続がよくて、18:50に呉港に着き、家内が迎えに来てくれて、東広島市のレストランで食事し、22:00頃に自宅にもどった。それでも6時間。長い一日だった。
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