ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【空気清浄機】難波先生より

2013-04-08 12:31:22 | 難波紘二先生
【空気清浄機】日本語の中国NES「レコードチャイナ」によると、大気汚染のおかげで日本製空気清浄機がバカ売れしているそうだ。
 http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0227&f=national_0227_024.shtml
 たったこの間まで「日本製品ボイコット」を掲げて、反日デモや暴動を繰り返していた連中がこの有様だ。


 中国政府が「中国人の死因の15%は大気汚染による」と発表したくらいだから、大都市や工場地帯の空気汚染はそうとう深刻に違いない。北京の外国企業では社員や社員の家族を国外退去させるところも出てきたらしい。


 日本でも1970年代は「光化学スモッグ」がひどく学校閉鎖になるところもあった。「四日市ぜんそく」というのもあった。自動車の排ガス規制と工場排煙の規制により、1980年代には排除に成功した。「東京の空気は汚染がひどく、眼がチカチカする」と来日したアメリカ人にいわれることもなくなった。
 あの当時、東京の大気汚染を無視して、「お焦げを食うとガンになる」と日本のガン学者は唱えていたのだから、脳天気というほかない。胃がんがピロリ菌で起こることが証明されて、いまは誰もいわない。


 1987年に北京に行ったら、みんな自転車に乗っていて、車で通勤する市民がいないのに驚いた。学者のツアーで、天津に行く途中バスが小休止したので、路傍の民家に入ってみたら、石壁の小屋で床がなく、窓もなく暗い土間に寝台が置かれていた。1992年にアフリカの村を訪れ、民家をのぞいたらほとんど同じ構造だったが、土間部分と寝台のある床部分が分かれていた。水道も屋内トイレもなかった。アフリカの村は自衛のためか中央に広場があり、それを囲んで円形に民家(小屋)が建っている。


 1987年の中国の印象は「40年前の日本がある」というものだった。PM2.5の大発生で死者が出ている今の中国は、高度成長期にあり排ガス対策が遅れた70年代の日本とそっくりで、やはり「40年遅れている」と思う。ただ違うのは、中央及び地方政府に対して「公害規制」を求めるつよい住民の声も、政府の対策の遅れを糾弾するメディアも、存在しないという点だ。


 中国には『苦海浄土』を書いて水俣の水銀汚染を告発した、石牟礼道子のような作家が存在しない。市民も「汚染の根源」に眼を向けるよりも、「自分が助かればよい」と空気清浄機で解決しようとする。魯迅が『阿Q正伝』で告発した国民性そのものだ。
 中国も朝鮮も、だから自力では国民国家を樹立できなかった。清朝は日本の進出と袁世凱の軍閥政府により滅びた。李氏朝鮮は国民により倒されるのではなく、朽ちるように日本に併合された。それなのに今になって、70年前のことを言挙げする。理解できない。


 2500年もの長い間専制君主制になじんできた中国では、民主主義の制度というのは無理なのかもしれない。北朝鮮も同様で、圧政に対して民衆の暴動が起こるかと思って来たが、一向にその気配がない。江戸期の農民は数え切れないくらい、一揆を起こしてきた。藩主に譲歩を迫り、年貢を免除させた例もある。


 安倍首相がモンゴルを訪問し、北から中国に圧力をかける姿勢を示したのは結構だ。「中国包囲環」を築き、民主主義と自由市場経済の文化を浸透させる必要がある。環中国の諸国家から留学生や技術者を招き、中国にまさる自由主義国家を建設するのを援助する必要がある。
 が、古くから中華帝国の心臓部をなしていた北京と南京の住民が、どれほど変われるか、はなはだ疑問に思えてくる。
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