ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【記憶】難波先生より

2013-04-08 12:25:59 | 難波紘二先生
【記憶】プルーストの『失われた時を求めて』は邦訳すると、400字詰め原稿で8,700枚になるという、世界一長くてつまらない作品だ。


 男性同性愛者の作者が、アルベルチーヌという若い女に恋をする物語だから、生き生きとしたものになるはずがない。
 この作品が世人の記憶に残るのは、ある冬帰省した「私」が、母の出してくれた紅茶にマドレーヌの一片を浸して口にすることで言いようのない喜びに包まれ、幼少時を過ごした村で、叔母が出してくれたマドレーヌの記憶を思い出し、ついで幼少年時代の記憶をすっかり思い出すという、情動心理-連想ー記憶想起という、小説の構想上での新味があるからだ。


 マルセル・プルーストが死んだのは1922年で、その頃は意識や記憶に関する心理学や脳生理学はまったく未発達だった。今では彼のプロットは、「紅茶に浸したマドレーヌの味信号が視床下部に送られ、それが類似記憶である叔母が出してくれたお茶とマドレーヌの記憶に結びつき、海馬が活性化して脳内の皮質のあちこちに蓄えられている意味、画像、音声が<エピソード記憶>としてまとめられ、意識の座である前頭前野により再生される」というものだ、とわかっている。


 記憶には、映画のシーンのような「エピソード記憶」のほかに、以下の3種がある1)。
 2)意味記憶=眼や耳から受容した刺激が、それぞれの皮質に短期記憶され、海馬に送られた後、側頭葉皮質との間で記憶のやり取りが行われ、側頭葉皮質で暗号化(記号化)され、前頭前野の意識的活動により再現される。俗に「記憶」と称するものがこれに入る。


 3)恐怖記憶=恐怖症やPTSDで関与し、フラッシュバック現象を起こす。記憶部位は扁桃体である。この記憶再生には意識の座である前頭前野が関与しない。無意識あるいは反射的に記憶が再生されるからやっかいなのである。


 4)手順記憶=上記3つの記憶は「なに?」に関するものだが、手順記憶は「どうやって?」に関する記憶である。
 この記憶は海馬を必要としない。この記憶の一次中枢は海馬とは別の「被穀」であり、二次中枢は小脳である。
 すぐれたスポーツ選手はこの「手順記録」に秀でている。手順記憶の再生には前頭前野の意識を必要としない。だから自転車でも自動車でも無意識に動かすことができる。ニュートンが卵の代わりに懐中時計をゆでたのも、これである。
 習慣化された行動もこの手順記憶に入る。いわゆる「習い性となる」がこれである。


 手術により海馬を摘出されたある患者は、「2年前以後の出来事」について完全記憶喪失となった。また視覚、聴覚に関して学習能力を失う。この症例と他の患者の経験から、海馬が短期記憶を定着させるまでに2年かかることが明らかとなった。(今では3年かかる例も見いだされている。)


 さらに「手続き記憶」は被穀ー小脳系で記憶されるために、手を使ってする作業(ピアノで新曲を弾く、普通の字を見てその鏡文字を書くなど)は学習可能であることが分かった。(認知症の治療に役立つ知識である。)


 記憶が定着されるまでの記憶を「短期記憶」といい、定着後の記憶を「長期記憶」という。短期記憶が消去されるかどうかや、長期記憶に転化するまでの所要時間には個人差があり、かつその刺激を受けたときの「情動のつよさ」に左右される。
 著者によっては短期記憶を60秒程度しか持続しない一過性の記憶と定義しているものもある2)。しかし、「長期」、「短期」というのは、あくまでも人為的な分け方であり両者は連続的なものと考える方が妥当である。永続記憶に残す必要のある短期記憶とその場限りで忘れた方がよい「超短期記憶」とがある。30秒から3年に至るさまざまな短期記憶がある。


 高校の先輩に東大に進み、後に弁護士になった山岳部のOBがいた。1960年の夏に、高校での同級生Tらが安保闘争がらみで大学から処分を食らった時に、ハンストの応援にきた。その時、付近の喫茶店で話をしたが、1年後に東京で会ったら、すらすらとその喫茶店の電話番号を言ったので驚いたことがある。これは「短期記憶」が1年間保持されていた例である。これくらい暗記力がよくないと、いくら法学部とはいえ在学中に司法試験には合格しない。


 「週刊文春」に「風」という匿名で、朝日新聞の文化部にいた百目鬼恭三郎が6年間、辛辣な書評を掲載した(1977~1982)。その書評集『続風の書評』(文藝春秋)にこういう話が載っている。


 ある若い衛作家の文章に、「故郷に帰郷する」の類の「重言」があることを、別な評論家が雑誌で批判していることを、朝日新聞の無署名コラムで面白おかしく書いた。15年後、その前衛作家をインタビューすることがあった。終わって別れ際にその作家が、「あの時のあの記事を書いたのは貴方ではないのか?」と聞いてきたという。
 本人は忘れていても、コラムに激怒した相手は「情動」を伴う記憶なので、すぐに「長期記憶」になるのである。


 「長期記憶」といっても、貸金庫に重要書類をあずけるように、預けっぱなしではない。記憶を思い出す毎に、それは「短期記憶」として海馬に蓄えられる。これはヴァーチャル・リアリティだが現実の体験と同じように処理され、長期記憶に上書きされる。この記憶のリプレイは夜、睡眠中に行われる。


 嫌な経験を思い出すと、その日一日気分が悪いことがあるのは、想起した記憶が海馬に残っており、ここから信号が視床下部の「情動中枢」に伝えられるからである。
 海馬におけるリプレイを繰り返す過程で、記憶の細部は失われ、要点だけが長期記憶に残るようになる。また「記憶の変容」も起こる3)。長期裁判が冤罪を生みやすいのは、証人の記憶変容現象を知らない、裁判官の無知のせいである。


 夢は海馬が大脳皮質の記憶をリプレイする過程で見るものである。夢が滅多に記憶に残らないのは、活性化している大脳皮質の情報が前頭前野で直接感知され、海馬の方にフィードバックされないからである。ちょうどCD-ROMやDVDを再生するように、夢は記憶に上書きされない。


 ある人から学術会議のURLを紹介された。
 www.scj.go.jp/omoshiro/kioku3/kioku3_1.html
 素人向けとはいえ、あまりにも単純化していて誤りが多いので、記憶についてちょっと書いてみた。
 【参考文献】
 1)R.カーター:「新・脳と心の地形図」, 原書房, 2012
 2)B. J. Gibb: 「The Brain 2nd ed.」, Penguin Books, 2012
 3)C.チャブリス, D.シモンズ:「錯覚の科学」, 文藝春秋, 2011
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