【原節子】
12/5に宇和島市で近藤俊文先生の新著「日本の腎臓病患者に夜明けを」(創風社、2015/8)の出版記念会とそれに先だって記念講演会が開かれる。久しぶりに宇和島まで車で走ってみようと、点検を終えたばかりの愛車の給油とその他の買い物に西高屋モールに出かけた。
「原節子特集」が載っている週刊誌を買いに入った書店で、「小津安二郎映画9作セット」DVDコレクションを2000円で売っていた。ためらわずに買った。もちろん「東京物語」「麦秋」「晩春」「一人息子」「戸田家の兄妹」「お茶漬けの味」など小津の代表作が入っている。
「週刊新潮」はグラビア3頁、本文19頁を使って原節子大特集を組んでいる。愛読紙は「毎日」と「日経」だったそうだ。
戻って早速「東京物語」のさわり部分を見た。チャプター化されているので、場面を探すのが簡単だ。
「わしらあ、ええ方じゃのう」という夫に対して、妻が「ええ方でさあ、ええ方ですとも」と相づちを打つ場面は、熱海の堤防に腰掛けての会話ではなく、尾道の自宅に戻っての会話だった。私の記憶ちがいだ。
実の子供たちがそそくさと帰った後、教師の末娘が腕時計をはめて学校に行き、家にいるのは昼過ぎの列車で帰る予定の戦死した次男の嫁紀子(原節子)と父(笠智衆)だけになる。
これからが全体のクライマックスで、二人だけになると義父は嫁に「あんたは実の子ども以上に、わしらに親切にしてくれた」と礼をいい、「あんたのようないい人をいつまでも一人にさせておくわけにはいかん」と再婚を勧める。
初めは笑顔で応対していた紀子だが、「これは、今は流行らんかもしれんが、お母さんがちょうどあんたくらいの歳に買った時計じゃ。形見と思うてもろうとくれ」と時計を押しやられる。とたんに紀子の顔がひきつり、俯いたかと思うと、両手で顔を覆って声をあげて泣き出す。
女優だからここで大粒の涙を流すのは造作もないだろうが、小津監督はそこまでの過剰演技を求めず、顔を伏せた演技にしたのは、かえって抑制の効いた映像になっている。
この間約2分。その間カメラは庭先からローアングルで、父親の後から原の演技をとらえている。スタンダード画面だが、まったくそのハンディを意識させない。アップと全景のモンタージュがよい。
「形見分け」でもらうものをもらったら、さっさと帰ってしまった兄姉たちを非難する義妹に、紀子が「結婚して家族ができ、自分たちの生活が始まると、誰でもそれが一番大切になるものです」と説得する。この紀子の意見は、まるでその後の日本的家族の変容を予言する託宣のように聞こえた。
長男の医師(山村総)は開業していて、入口脇の壁に視力検査図(ランドルト環)が貼ってあるのに今回気づいた。これは東京下町の内科開業医だ。母親の臨終場面で、往診した医師は看護婦なし、白衣なしだ。長男の医師に「ブルート・ドゥルック(血圧)が下がりました」といい、長男が瞳孔反射を調べ「レアクチオン(反応)がにぶくなっとりますな」と答える。そして、差し出された濡れ手ぬぐいで、手を拭いて立ち去る。
当時(1950年代)の医療はこの程度のものだったのだと、あらためて思った。肥満体の母親は、旅の疲れと持病の高血圧のために脳卒中を起こし、意識不明となった。点滴なし人工呼吸なしで、家族に見守られながら自宅で「自然死」を迎える。これが本来の人間の死に方だ、とあらためて思った。
最後の2分間。
▼ 教室で生徒に数学を教えている京子(香川京子)、
▼ 尾道水道の傍の鉄道を走り、尾道駅に向かう上り蒸気機関車の列車
▼ (夏の午後)自宅で蚊取り線香をたき、団扇を使っている父周吉(笠智衆)
▼ 尾道水道を通り過ぎる機帆船(ポンポン船=焼き玉エンジンを搭載)、
▼ 動く客車の中、形見にもらった時計の蓋を開いて見る紀子(原節子)。(観客には初めて懐中時計とわかる。)
▼ 尾道水道の俯瞰、鉄道には列車がいない。
▼ 尾道水道を行く、ポンポン船。
▼ 再び、周吉の自宅。隣のおかみさん(高橋豊子)が声をかける。「お淋しいこってすのう」
周吉「こげんにあっけなく亡くなるんなら、生きとるうちにもっとやさしうしときゃ、よかったと思います。ひとりになると、急に日が長うなりますなあ」と応答する。
▼再び一人いる周吉。蚊取り線香の煙が立ちのぼる。
▼ 尾道水道を行くポンポン船(音楽高まる)。汽笛の音大きく響く。
▼ ポンポン船の全景アップ
▼ 続いて「終」の画面。
2分間で台詞があるのは、周吉と隣のおかみさんの会話部分しかない。これも映像だけで世界に通じる名場面だと思う。
12/5に宇和島市で近藤俊文先生の新著「日本の腎臓病患者に夜明けを」(創風社、2015/8)の出版記念会とそれに先だって記念講演会が開かれる。久しぶりに宇和島まで車で走ってみようと、点検を終えたばかりの愛車の給油とその他の買い物に西高屋モールに出かけた。
「原節子特集」が載っている週刊誌を買いに入った書店で、「小津安二郎映画9作セット」DVDコレクションを2000円で売っていた。ためらわずに買った。もちろん「東京物語」「麦秋」「晩春」「一人息子」「戸田家の兄妹」「お茶漬けの味」など小津の代表作が入っている。
「週刊新潮」はグラビア3頁、本文19頁を使って原節子大特集を組んでいる。愛読紙は「毎日」と「日経」だったそうだ。
戻って早速「東京物語」のさわり部分を見た。チャプター化されているので、場面を探すのが簡単だ。
「わしらあ、ええ方じゃのう」という夫に対して、妻が「ええ方でさあ、ええ方ですとも」と相づちを打つ場面は、熱海の堤防に腰掛けての会話ではなく、尾道の自宅に戻っての会話だった。私の記憶ちがいだ。
実の子供たちがそそくさと帰った後、教師の末娘が腕時計をはめて学校に行き、家にいるのは昼過ぎの列車で帰る予定の戦死した次男の嫁紀子(原節子)と父(笠智衆)だけになる。
これからが全体のクライマックスで、二人だけになると義父は嫁に「あんたは実の子ども以上に、わしらに親切にしてくれた」と礼をいい、「あんたのようないい人をいつまでも一人にさせておくわけにはいかん」と再婚を勧める。
初めは笑顔で応対していた紀子だが、「これは、今は流行らんかもしれんが、お母さんがちょうどあんたくらいの歳に買った時計じゃ。形見と思うてもろうとくれ」と時計を押しやられる。とたんに紀子の顔がひきつり、俯いたかと思うと、両手で顔を覆って声をあげて泣き出す。
女優だからここで大粒の涙を流すのは造作もないだろうが、小津監督はそこまでの過剰演技を求めず、顔を伏せた演技にしたのは、かえって抑制の効いた映像になっている。
この間約2分。その間カメラは庭先からローアングルで、父親の後から原の演技をとらえている。スタンダード画面だが、まったくそのハンディを意識させない。アップと全景のモンタージュがよい。
「形見分け」でもらうものをもらったら、さっさと帰ってしまった兄姉たちを非難する義妹に、紀子が「結婚して家族ができ、自分たちの生活が始まると、誰でもそれが一番大切になるものです」と説得する。この紀子の意見は、まるでその後の日本的家族の変容を予言する託宣のように聞こえた。
長男の医師(山村総)は開業していて、入口脇の壁に視力検査図(ランドルト環)が貼ってあるのに今回気づいた。これは東京下町の内科開業医だ。母親の臨終場面で、往診した医師は看護婦なし、白衣なしだ。長男の医師に「ブルート・ドゥルック(血圧)が下がりました」といい、長男が瞳孔反射を調べ「レアクチオン(反応)がにぶくなっとりますな」と答える。そして、差し出された濡れ手ぬぐいで、手を拭いて立ち去る。
当時(1950年代)の医療はこの程度のものだったのだと、あらためて思った。肥満体の母親は、旅の疲れと持病の高血圧のために脳卒中を起こし、意識不明となった。点滴なし人工呼吸なしで、家族に見守られながら自宅で「自然死」を迎える。これが本来の人間の死に方だ、とあらためて思った。
最後の2分間。
▼ 教室で生徒に数学を教えている京子(香川京子)、
▼ 尾道水道の傍の鉄道を走り、尾道駅に向かう上り蒸気機関車の列車
▼ (夏の午後)自宅で蚊取り線香をたき、団扇を使っている父周吉(笠智衆)
▼ 尾道水道を通り過ぎる機帆船(ポンポン船=焼き玉エンジンを搭載)、
▼ 動く客車の中、形見にもらった時計の蓋を開いて見る紀子(原節子)。(観客には初めて懐中時計とわかる。)
▼ 尾道水道の俯瞰、鉄道には列車がいない。
▼ 尾道水道を行く、ポンポン船。
▼ 再び、周吉の自宅。隣のおかみさん(高橋豊子)が声をかける。「お淋しいこってすのう」
周吉「こげんにあっけなく亡くなるんなら、生きとるうちにもっとやさしうしときゃ、よかったと思います。ひとりになると、急に日が長うなりますなあ」と応答する。
▼再び一人いる周吉。蚊取り線香の煙が立ちのぼる。
▼ 尾道水道を行くポンポン船(音楽高まる)。汽笛の音大きく響く。
▼ ポンポン船の全景アップ
▼ 続いて「終」の画面。
2分間で台詞があるのは、周吉と隣のおかみさんの会話部分しかない。これも映像だけで世界に通じる名場面だと思う。
死ぬべき時に死ぬ。これは自然の法則。
良寛和尚は言いました。「災難に遭う時は災難に遭うのが良く、死ぬ時は死ぬのが良い」