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ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【Tattoo】難波先生より

2013-09-17 12:35:00 | 難波紘二先生
【Tattoo】入れ墨のことだ。日本語では、文身、刺青などの表現がある。
 南方系の縄文人はみな刺青していた。古事記、日本書紀は弥生人が書いたので、入れ墨が刑罰だったと書いてある。
 明治維新の時、風習としての入れ墨が残っていたのは、沖縄人と北海道アイヌだけだった。
 明治5年7月政府は「入れ墨禁止令」を出した。いまは、北海道でも沖縄でも風習としての入れ墨はなくなった。


 9/13「毎日」が入れ墨をしたニュージーランド・マオリ族の女性が、北海道恵庭の温泉で入湯を断られたことを報じている。
 http://mainichi.jp/select/news/20130913k0000m040069000c.html


 当然だろう。日本では「入れ墨者」の入店を断るのが、ホテルでも温泉でも常識だ。「禁止令」は1947年に廃止されているが、それは法によらずとも、社会の文化的伝統として「入れ墨をしない」ことが根付いたと判断されたからだ。
 琉球の入れ墨については、1816年英国艦隊を率いて朝鮮・琉球を探険したベイジル・ホール提督「朝鮮・琉球航海記」(岩波文庫)p.281にある、腕に入れた稚拙な図柄のものが最初の記録と思われるが、この訳本では「付録と語彙」がカットされているので、女性の入れ墨についてはわからない。


 アイヌの入れ墨については、イサベラ・バード「日本奥地紀行」(東洋文庫)が、明治11年、北海道ピラトリ(平取)村における、アイヌ人の入れ墨の風習を絵入りで詳しく記載している。(p.295-296)。明治政府の入れ墨禁止令に対して、「彼らは最近政府が入れ墨を禁止したのを、たいそう悲しみ、また困惑している。神々は怒るだろうし、女は入れ墨をしなければ結婚できないのだ。彼らは、シボールト氏(注:有名なシーボルトの息子)や私に、どうか日本政府に対して、この点を訴えてもらえないか、と懇願した」とある。


 「魏志倭人伝」(岩波文庫)p.43に「倭人男子は大小となく入れ墨をしている」とあり、南九州(縄文系)にはアイヌと同様の風習があった。この風習はもともと南中国にあり、そこから台湾への移住に伴いBC4000年頃、台湾に伝えられ、そこでアウトリッガー・カヌーが発明されたため、さらに北は日本、南はマレー半島、東はニューギニア、タヒチ、イースター島、北はハワイへ、タヒチからは西のニュージーランドに波及したものだ。


 ニュージーランドへのマオリ人の移住はもっとも遅く、900年頃だ。マオリ語はポリネシア語の方言で「普通」という意味だ。英語のtattooはポリネシア語で入れ墨を意味する「Tatau」が語源で、クック船長は英語でtatowと記載している。ニュージーランドのマオリ族の間に最後まで残ったのは、移住がタヒチ島から最後に行われたからだ。移民が本国の習慣を忠実に残そうとするのは、どこでも認められる現象だ。


 問題のマオリ人女性がどういう入れ墨をしていたのか知らないが、「文化的伝統だ」と主張するのなら、マオリ王族の入れ墨(添付3)くらいに、印象的なものをして、せいぜい伝統を守ってもらいたい。(「Lands and Peoples Vol.5」, Grolier, 1964, p.381より)
 ただそれは自分たちのコミュニティーの中だから許されるので、日本では日本の慣習に従うのが当然だろう。
 水着を着て、頭巾をかぶり、温泉に入ったらよかろう。温泉では裸で入湯できるからと、海水浴場で同じことをしたら、公然わいせつ罪で逮捕されるだろう。
 毎日の森記者にはもっと勉強して貰いたい。
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