【一億総白痴化】
かつて1950年代に白黒の「民放TV」が始まった時に、評論家の大宅壮一が述べた言葉だ。
3/23(水)22:00〜23:24のフジテレビ「さまぁーずのギ問」という番組を見て、取材にあたった「新垣」という女性が、まったくポイントの理解力がないのに気づいた。視聴者が白痴化しているのでなく、取材スタッフがすでに「白痴化」しているのである。
視聴者から寄せられた疑問は「ABO式血液型の名称は、A、Bの次がどうしてOと(アルファベット順で)遠くに離れているのか?」だった。番組では「やくみつる」などと東京医科歯科大(法医学)の名誉教授が、専門家として答えていたが、まったく回答になっていない。
2/23の「新垣瀬梨菜」の質問に対して、私は以下の資料をメールで送った。(ここでは引用文献を復元した。)
****************************************************
第2章 どうしてあなたはA型でB型と呼ばれないのか
2.1.【ABO式血液型はどうやって命名されたのか】
Rh式血液型の場合は、すべてのアカゲザル(Rhesus monkey)の赤血球に発現している血液型物質が、Rh因子として定義されています。ヒトで同じ型物質をもつ赤血球がRh+ですから、命名は非常に客観的です。ところがABO式の場合はそうではありません。今ではABOの血液型を決める型物質は詳しくわかっています(3.3.を参照)。しかし血液型というものが初めて見つかったときにはそうではありませんでした。では、どうやって「A型」という名称が決まったのでしょうか?
1900年の3月、ウィーン大学医学部の病理学教室助手カール(Karl)・ランドシュタイナー(Landsteiner)は血清の研究をしていて、正常人の血清が別人の赤血球を凝集させる現象を偶然に見つけました。ここからが彼の非凡なところです。すぐに教室の職員や学生たち合わせて22人から血液を採取し、血清と赤血球を分離しました。血清にも赤血球にも番号を付けました2-1)。(図2-1)
彼は1番目の血清が残りの21人の赤血球を凝集させるかどうかを調べました。同様に2番目の血清についても調べました。縦軸に血清の番号、横軸に赤血球の番号をとり、そのマス目に結果を+, -で書き込んで行きました。22×22、合わせて484個のマス目を埋めたのです。夜が明ける頃、やっと全部のマス目を埋めることができました。結果は明瞭でした。一番多い血清(約45%)は、もう一つの群の赤血球(約10%)を凝集させました。後者の血清は、最初の群に属する赤血球を凝集させました。三番目に来たもの(約40%)は、以上2種の血清では凝集しない赤血球をもつ血液でした。
彼はこの一覧表を見て考えこみました。血清中に赤血球を凝集させる物質(凝集素)があり、赤血球表面にそれと反応する物質があることは明白です。22人は三つのグループ(ドイツ語でグルッペ(Gruppe))に分かれました。一番多い群を、とりあえずアルファベットの最初の文字をとってAグルッペと名付けました。二番目の群はAグルッペの血清により、赤血球が凝集反応を起こすのでBグルッペと命名しました。第三の群はAともBとも異なります。そこでこれをCグルッペと名付けました。AB型は頻度が低く、この時は見つかっていません。翌1901年さらに大がかりに200人の血液を調べた際に初めて見つかっています。
こうして20世紀初めのウィーンにおける血液型の相対頻度は、A型45%、B型10%、AB型5%、C型40%、であることが分かったのです。なお「血液型発見の年」を多くの本が1901年と記載していますが、最初の論文1-9)は1900年に雑誌掲載されています。
後にランドシュタイナーは、Cグルッペの名称を赤血球表面に血中の凝集素と反応する物質が「ない」という意味で「ゼロ(0)グルッペ」に変更しました。これがABO式血液型の命名の由来です。ですから「O」の本来の意味は「オー」ではなく、「ゼロ」なのです1-6, 2-2)。
もともとドイツ語では「AもBもない」という意味で「0(ゼロ)」が使われていたのですが、後にアメリカ英語で0がOと混同されたのです1-6)。その後、反ユダヤ主義が強くなり、ユダヤ人であるランドシュタイナーは1922年アメリカに亡命し、ニューヨークのロックフェラー医学研究所に移りました。ドイツにナチズムが台頭し、オーストリアがドイツに併合されるのは1938年3月です2-3)。その頃のアメリカでは「モス(Moss)分類」という別の血液型分類が使用されていました1-10)。ランドシュタイナーが移民したせいもあり、ABO式血液型分類がアメリカにも広まったのですが、その過程で「0」が間違って「オー」と発音されるようになりました。アメリカ英語ではよくこれが起こります。ジェームス・ボンド主演の映画「007」は英国では「ゼロ・ゼロ・セブン」と発音されますが、アメリカでは「ダブル(Double)・オー(O)・セブン(Seven)」と発音されます。(電話番号も同様で、「内線0123」は「エクステンション・オー・ワン・ツー・スリー」と普通発音されます。)1927年米国でABO式を正式採用することが決定され、1928年には国際連盟がラントシュタイナーの業績を称えて「ABO式血液型」という名称に統一しました1-4)。1930年には彼の業績に対してノーベル医学生理学賞が授与されました。これで血液型の場合も、とうとうアメリカ式の読み方が世界中に定着してしまったのです。
ですから「A型」というのは、1900年にウィーンの住民のなかで一番多かった血液型である、という意味しかありません。ベトナムのハノイではB型が30%いて、A型の20%よりも多いのです。もしランドシュタイナーがハノイで実験していたら、一番多いB型が「A型」とされ、A型が「B型」と命名されていたでしょう。A型、B型というタイプ分けが相対的なものにすぎない、という点は従来の「血液型と性格」に関する論議では完全に見過ごされてきました。A型、B型などに対応する特定の生化学的な物質(特定の糖類)は実在しています。しかし今の「A型」、「B型」という名称そのものは、恣意的で便宜的なものです。
昔、秦の始皇帝の息子で暗愚だった二世皇帝に実力者の大臣が馬を鹿と偽って献上し、疑った皇帝が並びの者に訊ねたところ、大臣の威光を怖れて多くが「鹿です」と返答したといいます。馬と鹿は実在していますが、名前は便宜的なものです。大臣は自分への絶対的忠誠度を試すために馬を鹿と偽って献上したのです。このとき正直に「馬です」と答えた臣下は後に大臣により殺されました。これが「馬鹿」の語源だといいます。
これと同じように、血液型物質は存在していますが、型の名称の方は恣意的なものです。ABO式血液型と性格や運勢が関係すると信じるのは「馬」を「鹿」と呼ぶのと同じことです。
なお、ドイツ語のウィキペディアで「ABO-System」を検索すると、こう書かれています。
<Im deutschsprachigen Raum haben sich die Bezeichnungen A, B, AB und die Ziffer 0 (Null) durchgesetzt. Im angloamerikanischen Sprachraum wird dagegen der Buchstabe O ([ˈoʊ]) verwendet.(ドイツ語圏ではA, B, ABという記号と数字の0(ゼロ)が用いられている。これに対して、英米語圏ではアルファベットの「O」が採用されている。)>
Nullというのは「ゼロ」の別名です。ドイツ語では「深夜零時」のことを「Null Uhr」といいます。Uhrは英語のhour(時)と同じです。ドイツでは1933年にヒトラー内閣が誕生し、同年10月に国際連盟を脱退しています。だからユダヤ人であるランドシュタイナーの「ABO式血液型」も彼のノーベル賞受賞も受け容れられなかったのでしょう。どうやら、オーストリアとドイツではABO式血液型を元の呼び方(A,B,0)を「A、B、ヌル」と呼び変えたようです
〔引用文献〕
1-4)霜山龍志(2006):「新版・今日の輸血」、北海道大学出版会
1-6)中竹俊彦(2009):「<流れる臓器>血液の科学」、講談社ブルーバックス
1-9) Landsteiner K. (1900): Zur Kenntnis der antifermentativen, lytishen und agglutinierenden Wirkung des Blutserums und der Lymphe. Zentralblatt Bakteriologie 27:357-362
1-10)M.M.ウィントローブ(柴田昭監訳)(1982):「血液学の源流Ⅱ. 血液型・白血病・輸血の物語」、西村書店
2-1) D. Starr (1998): Blood; An epic history of medicine and commerce. Knopf, (ダグラス・スター, 山下篤子訳:「血液の歴史」、河出書房新社、2009)
2-2)山本茂(1986):「知っておきたい血液型の科学」、研成社
2-3)松岡正剛監修(1996):「増補 情報の歴史」、NTT出版
これは「血液型依存文化症」というタイトルで、ある出版社から出す予定で書き上げた新書原稿の一部だが、編集者が大幅に組み替えたため本文と引用文献番号が食い違ってしまった。番号はオリジナル原稿のもので、復元にはとても手間がかかった。それに「横書き、英語ルビ」という私のコンセプトが受け容れられないので、出版予定をキャンセルしたものだ。
「ソシュール=チョムスキーの言語理論」を踏まえて、名称(シニフェ)と名称が示すもの(シニファン)との間には、必然的結びつきがないことを明示してある。私は清の始皇帝の馬鹿息子(二代皇帝)の例を出して、馬と鹿の名称も恣意的であり、どっちがどう呼ばれるかに必然性はないことを示し、たかが分子量200ダルトンにすぎないABO血液型物質の糖部分に「性格」を規定する能力などない(しかもこの糖部分はニューロンには存在していない)ことをこの本で繰り返し説明している。
ここに掲げた短い文章が意味するところを完全には理解できない番組スタッフが「資料を共有」したところで、価値ある番組ができるはずがない。
番組では東京医科歯科大名誉教授(法医学)が専門家として、「ドイツ語ではヌルといい、英語のゼロと同じものだ」と正しい説明をしていた。しかし同氏は番組全体のチェックはしなかったとみえて、ナレーションとパネルでは「血液型物質はタンパク質である」という間違った説明が二度も出た。
血液型物質と反応する凝集素は抗体だからタンパク質だが、ABO式血液型物質は糖鎖であり、タンパク質ではない。細胞膜表面にある糖鎖末端にH物質と呼ばれる「ガラクトース=フコース」からなる配列があるだけなのがO型で、このガラクトースにNアセチルガラクトサミンが結合したものがA型物質、ガラクトースにもう1個ガラクトースが結合するとB型物質になる。AB型では同じ細胞膜表面に両方の物質が共存している。元がオリゴ糖(数個の糖鎖)だから、体液中にも出てくる。これが出やすいのが「分泌型」だ。
「一億総白痴化」どころか、製作スタッフがすでに「白痴化」しているのだから。こんな番組早急に打ち切るべきだろう。どうも背景に写った参考書(「大人のリアル:血液型占い、自分と相手との隠れた本性をあぶり出す!」、藤田紘一郎「血液型の暗号」などの表紙を見ると、「血液型性格占い」などをやりそうな局とみえたので、以下に先制批判をしておきたい。
かつて1950年代に白黒の「民放TV」が始まった時に、評論家の大宅壮一が述べた言葉だ。
3/23(水)22:00〜23:24のフジテレビ「さまぁーずのギ問」という番組を見て、取材にあたった「新垣」という女性が、まったくポイントの理解力がないのに気づいた。視聴者が白痴化しているのでなく、取材スタッフがすでに「白痴化」しているのである。
視聴者から寄せられた疑問は「ABO式血液型の名称は、A、Bの次がどうしてOと(アルファベット順で)遠くに離れているのか?」だった。番組では「やくみつる」などと東京医科歯科大(法医学)の名誉教授が、専門家として答えていたが、まったく回答になっていない。
2/23の「新垣瀬梨菜」の質問に対して、私は以下の資料をメールで送った。(ここでは引用文献を復元した。)
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第2章 どうしてあなたはA型でB型と呼ばれないのか
2.1.【ABO式血液型はどうやって命名されたのか】
Rh式血液型の場合は、すべてのアカゲザル(Rhesus monkey)の赤血球に発現している血液型物質が、Rh因子として定義されています。ヒトで同じ型物質をもつ赤血球がRh+ですから、命名は非常に客観的です。ところがABO式の場合はそうではありません。今ではABOの血液型を決める型物質は詳しくわかっています(3.3.を参照)。しかし血液型というものが初めて見つかったときにはそうではありませんでした。では、どうやって「A型」という名称が決まったのでしょうか?
1900年の3月、ウィーン大学医学部の病理学教室助手カール(Karl)・ランドシュタイナー(Landsteiner)は血清の研究をしていて、正常人の血清が別人の赤血球を凝集させる現象を偶然に見つけました。ここからが彼の非凡なところです。すぐに教室の職員や学生たち合わせて22人から血液を採取し、血清と赤血球を分離しました。血清にも赤血球にも番号を付けました2-1)。(図2-1)
彼は1番目の血清が残りの21人の赤血球を凝集させるかどうかを調べました。同様に2番目の血清についても調べました。縦軸に血清の番号、横軸に赤血球の番号をとり、そのマス目に結果を+, -で書き込んで行きました。22×22、合わせて484個のマス目を埋めたのです。夜が明ける頃、やっと全部のマス目を埋めることができました。結果は明瞭でした。一番多い血清(約45%)は、もう一つの群の赤血球(約10%)を凝集させました。後者の血清は、最初の群に属する赤血球を凝集させました。三番目に来たもの(約40%)は、以上2種の血清では凝集しない赤血球をもつ血液でした。
彼はこの一覧表を見て考えこみました。血清中に赤血球を凝集させる物質(凝集素)があり、赤血球表面にそれと反応する物質があることは明白です。22人は三つのグループ(ドイツ語でグルッペ(Gruppe))に分かれました。一番多い群を、とりあえずアルファベットの最初の文字をとってAグルッペと名付けました。二番目の群はAグルッペの血清により、赤血球が凝集反応を起こすのでBグルッペと命名しました。第三の群はAともBとも異なります。そこでこれをCグルッペと名付けました。AB型は頻度が低く、この時は見つかっていません。翌1901年さらに大がかりに200人の血液を調べた際に初めて見つかっています。
こうして20世紀初めのウィーンにおける血液型の相対頻度は、A型45%、B型10%、AB型5%、C型40%、であることが分かったのです。なお「血液型発見の年」を多くの本が1901年と記載していますが、最初の論文1-9)は1900年に雑誌掲載されています。
後にランドシュタイナーは、Cグルッペの名称を赤血球表面に血中の凝集素と反応する物質が「ない」という意味で「ゼロ(0)グルッペ」に変更しました。これがABO式血液型の命名の由来です。ですから「O」の本来の意味は「オー」ではなく、「ゼロ」なのです1-6, 2-2)。
もともとドイツ語では「AもBもない」という意味で「0(ゼロ)」が使われていたのですが、後にアメリカ英語で0がOと混同されたのです1-6)。その後、反ユダヤ主義が強くなり、ユダヤ人であるランドシュタイナーは1922年アメリカに亡命し、ニューヨークのロックフェラー医学研究所に移りました。ドイツにナチズムが台頭し、オーストリアがドイツに併合されるのは1938年3月です2-3)。その頃のアメリカでは「モス(Moss)分類」という別の血液型分類が使用されていました1-10)。ランドシュタイナーが移民したせいもあり、ABO式血液型分類がアメリカにも広まったのですが、その過程で「0」が間違って「オー」と発音されるようになりました。アメリカ英語ではよくこれが起こります。ジェームス・ボンド主演の映画「007」は英国では「ゼロ・ゼロ・セブン」と発音されますが、アメリカでは「ダブル(Double)・オー(O)・セブン(Seven)」と発音されます。(電話番号も同様で、「内線0123」は「エクステンション・オー・ワン・ツー・スリー」と普通発音されます。)1927年米国でABO式を正式採用することが決定され、1928年には国際連盟がラントシュタイナーの業績を称えて「ABO式血液型」という名称に統一しました1-4)。1930年には彼の業績に対してノーベル医学生理学賞が授与されました。これで血液型の場合も、とうとうアメリカ式の読み方が世界中に定着してしまったのです。
ですから「A型」というのは、1900年にウィーンの住民のなかで一番多かった血液型である、という意味しかありません。ベトナムのハノイではB型が30%いて、A型の20%よりも多いのです。もしランドシュタイナーがハノイで実験していたら、一番多いB型が「A型」とされ、A型が「B型」と命名されていたでしょう。A型、B型というタイプ分けが相対的なものにすぎない、という点は従来の「血液型と性格」に関する論議では完全に見過ごされてきました。A型、B型などに対応する特定の生化学的な物質(特定の糖類)は実在しています。しかし今の「A型」、「B型」という名称そのものは、恣意的で便宜的なものです。
昔、秦の始皇帝の息子で暗愚だった二世皇帝に実力者の大臣が馬を鹿と偽って献上し、疑った皇帝が並びの者に訊ねたところ、大臣の威光を怖れて多くが「鹿です」と返答したといいます。馬と鹿は実在していますが、名前は便宜的なものです。大臣は自分への絶対的忠誠度を試すために馬を鹿と偽って献上したのです。このとき正直に「馬です」と答えた臣下は後に大臣により殺されました。これが「馬鹿」の語源だといいます。
これと同じように、血液型物質は存在していますが、型の名称の方は恣意的なものです。ABO式血液型と性格や運勢が関係すると信じるのは「馬」を「鹿」と呼ぶのと同じことです。
なお、ドイツ語のウィキペディアで「ABO-System」を検索すると、こう書かれています。
<Im deutschsprachigen Raum haben sich die Bezeichnungen A, B, AB und die Ziffer 0 (Null) durchgesetzt. Im angloamerikanischen Sprachraum wird dagegen der Buchstabe O ([ˈoʊ]) verwendet.(ドイツ語圏ではA, B, ABという記号と数字の0(ゼロ)が用いられている。これに対して、英米語圏ではアルファベットの「O」が採用されている。)>
Nullというのは「ゼロ」の別名です。ドイツ語では「深夜零時」のことを「Null Uhr」といいます。Uhrは英語のhour(時)と同じです。ドイツでは1933年にヒトラー内閣が誕生し、同年10月に国際連盟を脱退しています。だからユダヤ人であるランドシュタイナーの「ABO式血液型」も彼のノーベル賞受賞も受け容れられなかったのでしょう。どうやら、オーストリアとドイツではABO式血液型を元の呼び方(A,B,0)を「A、B、ヌル」と呼び変えたようです
〔引用文献〕
1-4)霜山龍志(2006):「新版・今日の輸血」、北海道大学出版会
1-6)中竹俊彦(2009):「<流れる臓器>血液の科学」、講談社ブルーバックス
1-9) Landsteiner K. (1900): Zur Kenntnis der antifermentativen, lytishen und agglutinierenden Wirkung des Blutserums und der Lymphe. Zentralblatt Bakteriologie 27:357-362
1-10)M.M.ウィントローブ(柴田昭監訳)(1982):「血液学の源流Ⅱ. 血液型・白血病・輸血の物語」、西村書店
2-1) D. Starr (1998): Blood; An epic history of medicine and commerce. Knopf, (ダグラス・スター, 山下篤子訳:「血液の歴史」、河出書房新社、2009)
2-2)山本茂(1986):「知っておきたい血液型の科学」、研成社
2-3)松岡正剛監修(1996):「増補 情報の歴史」、NTT出版
これは「血液型依存文化症」というタイトルで、ある出版社から出す予定で書き上げた新書原稿の一部だが、編集者が大幅に組み替えたため本文と引用文献番号が食い違ってしまった。番号はオリジナル原稿のもので、復元にはとても手間がかかった。それに「横書き、英語ルビ」という私のコンセプトが受け容れられないので、出版予定をキャンセルしたものだ。
「ソシュール=チョムスキーの言語理論」を踏まえて、名称(シニフェ)と名称が示すもの(シニファン)との間には、必然的結びつきがないことを明示してある。私は清の始皇帝の馬鹿息子(二代皇帝)の例を出して、馬と鹿の名称も恣意的であり、どっちがどう呼ばれるかに必然性はないことを示し、たかが分子量200ダルトンにすぎないABO血液型物質の糖部分に「性格」を規定する能力などない(しかもこの糖部分はニューロンには存在していない)ことをこの本で繰り返し説明している。
ここに掲げた短い文章が意味するところを完全には理解できない番組スタッフが「資料を共有」したところで、価値ある番組ができるはずがない。
番組では東京医科歯科大名誉教授(法医学)が専門家として、「ドイツ語ではヌルといい、英語のゼロと同じものだ」と正しい説明をしていた。しかし同氏は番組全体のチェックはしなかったとみえて、ナレーションとパネルでは「血液型物質はタンパク質である」という間違った説明が二度も出た。
血液型物質と反応する凝集素は抗体だからタンパク質だが、ABO式血液型物質は糖鎖であり、タンパク質ではない。細胞膜表面にある糖鎖末端にH物質と呼ばれる「ガラクトース=フコース」からなる配列があるだけなのがO型で、このガラクトースにNアセチルガラクトサミンが結合したものがA型物質、ガラクトースにもう1個ガラクトースが結合するとB型物質になる。AB型では同じ細胞膜表面に両方の物質が共存している。元がオリゴ糖(数個の糖鎖)だから、体液中にも出てくる。これが出やすいのが「分泌型」だ。
「一億総白痴化」どころか、製作スタッフがすでに「白痴化」しているのだから。こんな番組早急に打ち切るべきだろう。どうも背景に写った参考書(「大人のリアル:血液型占い、自分と相手との隠れた本性をあぶり出す!」、藤田紘一郎「血液型の暗号」などの表紙を見ると、「血液型性格占い」などをやりそうな局とみえたので、以下に先制批判をしておきたい。
擁護者も教祖様と同じ様に捏造しまくり。類は類を呼ぶ。虎ブログで記事をさっさと書けよ。
四面楚歌の理研。企み満載の小保方擁護著名人。
これらすべてを引っ掻き回す、恐るべしサイコパス。
過去に若山博士がハワイ大で開発した技術を使って近大の学部生が世界最年少でクローンに成功したという記事に若山博士が先駆者としてコメントを寄せてるんだろ
近大に限らず世界中で成功してるよ
どこをどう読んだら近大にいた事になるだろ
まさかお一人ということはありません。
学部生でも成功している
http://www.kindai.ac.jp/topics/2007/12/4.html
本人しかできない秘密のレシピとは違う
ところでクックパッドにSTAPのレシピがのってたけどあっちは簡単そうね
「再現性の無いものばかり」←読解力なさすぎ。
「若山氏の態度の怪しさに疑問を持つように」
←主観的。嗜好で判断。
面白い人ですね。
どこをどう読んだら、「再現性のないものばかり」になるの????? 再現しまくりじゃん!!!
はぐらかさないで、きちんと私の2つの問に答えてください。
時期尚早。
アノニマスさん、大丈夫?
一研究者・教育者のブログのアノニマスさんと私が同一人物と言うなら、証拠を見せてください。
質問に答えてなくて急に反論。悪いくせです。
>要するに若山さんの研究は再現性のないものばかり。
根拠は何ですか。示してください。
ちなみに、クローンマウスを世界で初めて作成したのが若山氏で、その技術が土台になって、改良が加えられながら世界中でクローンマウスやキメラマウスが作られています。iPS細胞の多能性の確認にも若山氏が関わっていたそうです。
若山さんもそうですか?
じゃあ若山さんの作り方で、クローンマウスが作られているということですね。
最近、酵母を使った研究で、細胞を飢餓状態においたり酸に浸けたりすると細胞質が固くなるという現象が報告されたそうだ。ホノルル法は飢餓ストレスを与えるし、酢漬け細胞と強引に関連づけて騒ぐバカがいるかも知れない、と思った。
今書き込んだ者ですが、よく専門家の皆さん再現性が大事だと言われますね。
若山先生の論文の再現性を調べれば、皆さん納得されるでしょうね。
興味深く読ませていただきました。
実験ノートは大事てすよね。
疑問を持っている人もノートを見れば納得するんじゃないですか。
スタップ細胞論文でも若山先生の実験ノートが調査委員会の調査に役立ったようです。
ノートには詳しく書いてあるでしょうから、見せて貰えばいいと思います。
逆に16年前に冷凍したまうすでないかも知れないという疑いを持つ根拠は何ですか?1年前に冷凍したか、16年前に冷凍したか見分ける方法は?仮に見分ける検査方法があるにも関わらずその結果が示されていないという指摘なら解りますが。そういうことであれば、研究者が指摘するでしょう。だからこそ実験ノートが大切なのです。ただただあなたのような根拠のない主張は印象操作でしかないと言われるのです。
マンモスの復活に繋がる研究ということでしたが、肝心の16年間冷凍保存という部分の説明がありません。そもそも16年間という判定は誰がしたのでしょう。
完結じゃなくて、簡潔
16年間冷凍保存されていたということの証明は論文に有るのでしょうか?
小保方の最近リトラクトされた論文は、マウスの系統さえ書いてない。そもそも系統が理解できてるのか分からない。細胞の由来も書いてない。エラーバーはぶっとんでたり片方しかなかったりする。そりゃ、リトラクトだわ。
どこから手にいるたの
どこから手に入れたのです。
あなたの他のコメント見ても、若山さん必死で擁護してるね。
あなたにも聞きます。
16年間冷凍保存されていた死んだマウス、どこから手にいるたの?
あなたならわかるよね。
ご自分の書き込み、よく読んで下さいね。
名誉毀損なら、若山氏が訴えられたらいいでしょう。
説明しただけ。あなたこそ反論できないから、私を揶揄するしかないのね。違うと言うなら中身にきっちり反論してね。
あなた話が長いの。
大丈夫?
完結に、要点だけ書けないの?
ネット工作に忙しくて国会中継見てないね。
文科が調査委の答弁として、もうしてるから。
マウス博士の例の16年間冷凍保存されてた死んだマウス。
あれどこから持ってきたの?
お話はそれからね。
マウス博士の研究は再現性あるの?
まずそれから説明しなきゃね。
宇宙マウス、マンモス復活、ニホンオオカミ再生、、、
だれもやらないトンデモ研究。
今まではバレなかった、良かったね。
でもスタップのせいでバレちゃった。
マウス博士のキャラクター詐欺。
第41条3項に「できる限り苦痛を与えない方法」とあり、4項に基づく環境省の告示で示された基準では「速やかに致死量以上の麻酔薬の投与、頸椎脱臼等の化学的又は物理的方法による等指針に基づき行うこと。」とある。冷凍庫でそのまま凍らせる、という動物実験計画を書いたらまず通らないよ。
ところで、小保方のテラトーマ実験の全記録の公開はまだかな? どのテラトーマがアメリカに行ってた時に作ったの? 論文に載せたテラトーマはいつ作って、いつ染めたの?
ホープページとか作ってるけど、STAPができるというならそれを証明するのは本人しかない。最低でも過去に出来ていた証拠を出すべき。キメラは若山氏のパートというなら、若山氏はすでにSTAPは誰かの捏造だと考えているだろうから、証明するのは「STAPはありま~すと希望してま~す」といまだに主張している小保方の責任だろう。小保方が過去に多能性を証明した実験は、in vitro分化とテラトーマとRNA-seqだ。RNA-seqは残念ながら誰かさんがESを混入していたから無理。in vitroとテラトーマの詳細データを公開する事こそが、「STAPまだ諦めないよ」と愚かな主張を続けるために必要な事。再現できなかった検証実験で使ったプロトコルなんて、出しても全く意味ない。
2014年1月29日午後8時21分、ポールノフラーというブログのコメントでした。スタップ細胞論文の疑義が詳しく書いて有りました。
若山氏もノフラー氏も疑われなかったのでしょうか。
立ち止まって、冷静に考察する。
先生の様な人生の大先輩に失礼を承知の上で、申し上げます。
スタップ論文論文Letter Fig.1c ES キメラ50例、STAPキメラ10例 若山氏の担当映像が隠蔽されました。これが若山氏の捏造の証拠です。理研調査委も共犯です。