【教養】2/20水曜日に広島市の「八丁堀丸善」で買った本10冊が今朝2/22金曜日に届いた。東京のAMAZONより遅い。
10冊の中に筒井清忠『日本型「教養」の運命:歴史社会学的考察』(岩波現代新書)があった。目録に入力しながら目次と序論の箇所を読んだ。「教養主義」なるものについては、慶応大の川成洋の類書がいくつかある。
筒井は京大文学部卒で、文学部では社会学を教えないから、まず専門外だ。
「教養」「教養主義」VS 「修養」と「修養主義」を対立概念と捉え、前者は「学歴エリート」のもの、後者は「一般大衆のもの」と規定しているが、実証的根拠がぜんぜんない。
そのくせ、「近代日本文化を階層的視点から明らかにした歴史社会学的研究は皆無に等しい」と大見得をきっている。
「アノミー的状況」が日清・日露の戦勝のあとで明治日本に生じたという。「アノミー」はデュルケム社会学の用語で、彼の『自殺論』は真の社会学的方法を駆使した名著で、自殺に関する一級の古典である。アノミーとは個人が社会的紐帯を失い、分子に還元された状態をいう。すでに著者がデュルケムの用語を誤解しているのが明らかである。
統計も全然無いし、ゴミみたいな本だ。
「神」のように実在しないモノに空想的に名前をつけることもあるが、まず「教養」という言葉が日本語としていつ登場したか、翻訳語か自前語かそこから明らかにすることが必要なのだ。
明治22年に出た大槻文彦『言海』には「教養」も「修養」も収録されていない。
昭和29年に出た東京堂『模範国語辞典』にも載っていない。「修養」もない。
三省堂『新明解語源辞典』によると、「教養」という文字は中国で「教育」の意味で使われいたのが、明治初期に日本に伝わったという。但し、Educationの訳語として「教育」が定着すると、「教養」は廃れたという。
また、「文化的知識」という現在の意味での使用例は、阿部次郎『三太郎の日記』、横光利一『旅愁』の本文中に認められるという。
私の知る限り、1946(昭和21)年に多田英次がマシュー・アーノルド『Culture And Anarchy』(1869)を、「教養と無秩序」と訳して岩波文庫から出したのが一般化の始まりである。(柳父章『翻訳語成立事情』, 岩波新書 は明治期の翻訳語を扱っているが、こに「教養」という語は含まれていない。これも傍証のひとつである。)
1946年、GHQは日本の教育制度の全面改革が必要と考え、米本国に「教育使節団」を派遣し、日本の教育制度と内容に関して調査・改革案を提出するように要請した。この調査団の報告書(『アメリカ教育使節団報告書』, 講談社学術文庫)に基づいて、昭和24年に旧制大学は新制に移行した。この時の改革の目玉が「教養部の設置」である。これによって言葉としての「教養」は普及し、今日的意味をもつようになったのである。
筒井は「教養」を定義せず、その概念変遷史の見当もしないで本を書きはじめ、p.33「結論」の項で、上記と同じことつまり「明治の教養は教育と同じ意味だった」と述べている。なんじゃこれは、だから社会科学は科学ではなく、文学なんだよ。
ところで英語のカルチャーは「教養」と訳されたが、もともと教育(Education)の語源はラテン語のerudire(教える)であり、これから派生してフランス語のeclairer(啓蒙する)が出ている。教育も啓蒙も教養も同じような意味である。カントの「啓蒙と何か」(岩波文庫)の「啓蒙」はAufklaerungつまりAuf(強調語)+klaeren(明るくする)という意味だ。
フランスの18世紀を「啓蒙主義の時代(Siecle de lumieres)」というが、この「啓蒙」はlumieres(イルミネーション)の訳だ。神戸の「ルミナリエ」の語源である。
つまり語源と語の歴史を各国に渡り見るかぎり、culture/education/enlightenmentの間、つまり教養/教育/啓蒙/修養の間に意味の大差はない。シソーラスなら、「同義語、言い換え語」の範囲に収まるだろう。
それを「教養主義」と「修養主義」の二項対立をわざわざ設定して、イデオロギー的に(未証明のドクトリンという意味で使っている)割り切ろうとする。ムダな著作だ。
先日もある新聞の一面コラムに「サイエンスとは知識を意味する」と書いてあったが、ホモ・サピエンスの「サピエンス」とサイエンスを混同した間違いだ。「サイエンス」はラテン語のscindo(切り裂く、配分する)から出た言葉で「分科的知識」のことだ。英語のハサミ(シザー)と同根である。サピエンスの方はsapio(賢明である)から来た言葉で、雑誌の名前にもある。教養のないコラム執筆者もいたものだ。
「教養」といえば、この前取りあげた小谷野敦『日本人のための世界史入門』(新潮新書)が、2/22の「産経」大阪版のベストセラー番付(梅田紀伊国屋調べ)で早くも4位に入っていた。私はAMAZONに予約注文したので一足先に読んだ。1.「ローマ以前」, 2.「中世」, 3.「ルネサンス」, 4.「フランス革命以後」5.「明治以後の近代世界」,6.「第二次大戦以後の現代」と6つに分けてあり、教科書的な知識だけでなく、逸話、関連書、学者の悪口などが語り口の端に出てきて、面白い読物になっている。
本業は英語の大学教師だが、新書270ページで世界史を語るというのは並大抵の力量ではできない。
10冊の中に筒井清忠『日本型「教養」の運命:歴史社会学的考察』(岩波現代新書)があった。目録に入力しながら目次と序論の箇所を読んだ。「教養主義」なるものについては、慶応大の川成洋の類書がいくつかある。
筒井は京大文学部卒で、文学部では社会学を教えないから、まず専門外だ。
「教養」「教養主義」VS 「修養」と「修養主義」を対立概念と捉え、前者は「学歴エリート」のもの、後者は「一般大衆のもの」と規定しているが、実証的根拠がぜんぜんない。
そのくせ、「近代日本文化を階層的視点から明らかにした歴史社会学的研究は皆無に等しい」と大見得をきっている。
「アノミー的状況」が日清・日露の戦勝のあとで明治日本に生じたという。「アノミー」はデュルケム社会学の用語で、彼の『自殺論』は真の社会学的方法を駆使した名著で、自殺に関する一級の古典である。アノミーとは個人が社会的紐帯を失い、分子に還元された状態をいう。すでに著者がデュルケムの用語を誤解しているのが明らかである。
統計も全然無いし、ゴミみたいな本だ。
「神」のように実在しないモノに空想的に名前をつけることもあるが、まず「教養」という言葉が日本語としていつ登場したか、翻訳語か自前語かそこから明らかにすることが必要なのだ。
明治22年に出た大槻文彦『言海』には「教養」も「修養」も収録されていない。
昭和29年に出た東京堂『模範国語辞典』にも載っていない。「修養」もない。
三省堂『新明解語源辞典』によると、「教養」という文字は中国で「教育」の意味で使われいたのが、明治初期に日本に伝わったという。但し、Educationの訳語として「教育」が定着すると、「教養」は廃れたという。
また、「文化的知識」という現在の意味での使用例は、阿部次郎『三太郎の日記』、横光利一『旅愁』の本文中に認められるという。
私の知る限り、1946(昭和21)年に多田英次がマシュー・アーノルド『Culture And Anarchy』(1869)を、「教養と無秩序」と訳して岩波文庫から出したのが一般化の始まりである。(柳父章『翻訳語成立事情』, 岩波新書 は明治期の翻訳語を扱っているが、こに「教養」という語は含まれていない。これも傍証のひとつである。)
1946年、GHQは日本の教育制度の全面改革が必要と考え、米本国に「教育使節団」を派遣し、日本の教育制度と内容に関して調査・改革案を提出するように要請した。この調査団の報告書(『アメリカ教育使節団報告書』, 講談社学術文庫)に基づいて、昭和24年に旧制大学は新制に移行した。この時の改革の目玉が「教養部の設置」である。これによって言葉としての「教養」は普及し、今日的意味をもつようになったのである。
筒井は「教養」を定義せず、その概念変遷史の見当もしないで本を書きはじめ、p.33「結論」の項で、上記と同じことつまり「明治の教養は教育と同じ意味だった」と述べている。なんじゃこれは、だから社会科学は科学ではなく、文学なんだよ。
ところで英語のカルチャーは「教養」と訳されたが、もともと教育(Education)の語源はラテン語のerudire(教える)であり、これから派生してフランス語のeclairer(啓蒙する)が出ている。教育も啓蒙も教養も同じような意味である。カントの「啓蒙と何か」(岩波文庫)の「啓蒙」はAufklaerungつまりAuf(強調語)+klaeren(明るくする)という意味だ。
フランスの18世紀を「啓蒙主義の時代(Siecle de lumieres)」というが、この「啓蒙」はlumieres(イルミネーション)の訳だ。神戸の「ルミナリエ」の語源である。
つまり語源と語の歴史を各国に渡り見るかぎり、culture/education/enlightenmentの間、つまり教養/教育/啓蒙/修養の間に意味の大差はない。シソーラスなら、「同義語、言い換え語」の範囲に収まるだろう。
それを「教養主義」と「修養主義」の二項対立をわざわざ設定して、イデオロギー的に(未証明のドクトリンという意味で使っている)割り切ろうとする。ムダな著作だ。
先日もある新聞の一面コラムに「サイエンスとは知識を意味する」と書いてあったが、ホモ・サピエンスの「サピエンス」とサイエンスを混同した間違いだ。「サイエンス」はラテン語のscindo(切り裂く、配分する)から出た言葉で「分科的知識」のことだ。英語のハサミ(シザー)と同根である。サピエンスの方はsapio(賢明である)から来た言葉で、雑誌の名前にもある。教養のないコラム執筆者もいたものだ。
「教養」といえば、この前取りあげた小谷野敦『日本人のための世界史入門』(新潮新書)が、2/22の「産経」大阪版のベストセラー番付(梅田紀伊国屋調べ)で早くも4位に入っていた。私はAMAZONに予約注文したので一足先に読んだ。1.「ローマ以前」, 2.「中世」, 3.「ルネサンス」, 4.「フランス革命以後」5.「明治以後の近代世界」,6.「第二次大戦以後の現代」と6つに分けてあり、教科書的な知識だけでなく、逸話、関連書、学者の悪口などが語り口の端に出てきて、面白い読物になっている。
本業は英語の大学教師だが、新書270ページで世界史を語るというのは並大抵の力量ではできない。
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