「ダイヤモンド・オンライン」に「学校が生徒ごとに推薦状の発行を判断する仕組みはなくすべき?」という世論調査項目があり、「なくすべき」が84.0%を占めていてほっとしました。
http://diamond.jp/articles/-/87887/votes
私は尾木何とかというゲイや「教育評論家」のように事件を他人ごととして評論する立場に立ちません。これはヘルマン・ヘッセ「車輪の下」が提起した問題と同じで、自分と引き比べて論じないといけない問題だと思います。
【学校指導】
私は小学5年生の時、悪ガキと一緒になって、同級生の好きな女の子が含まれていた下校女子集団に対してストーカー行為をしたことがある。翌日、担任に「少年院に送る」と恫喝された。(この担任は後に他校に転じ、そこで生徒に対する痴漢行為を起こした。)それが6年になると母の後輩が担任となり、担任の推薦で「中国新聞・模範学童」に選ばれ、無料で別府温泉旅行をした。(そのことは事件の60年後にクラス会で逢った、いじめた当の女の子から聞いた。その父親も教師で、自分が選ばれなかったいきさつを親から聞いたという。「模範学童」でないという自覚はあったせいか、その子に別府土産を渡したと、これもその子から聞いた。)
中学はひとつしかなく、あらかじめ進学校が決まっていた。ろくな教師がいなかった。そのまま次の高校に進学する気になれず、担任には無断で広島市にある国立大学の付属高校を受験した。田舎のことでろくな受験参考書がなく、夜間のラジオ短波放送と旺文社の過去問題集で勉強した。だから学校始まって以来の合格者なのに、受かっても学校からは何の祝辞もなかった。
高校3年時にも似たようなことが起こった。1959年の春に「広島大医学部」に受験したいというと、「君の学力では絶対無理だ」と担任教師は言った。それで必死に勉強した。予備校はもうあったが、そんなところに行くお金の余裕はなかった。またも旺文社のお世話になった。
結局、蓋を開けてみると、同期生200人中5人が同学部に合格し、同じクラスではTと私の2人だけが現役合格だった。(当時はまだ「国民皆保険制度」がなく、成績の良い生徒は国立の工学部に進んだ時代だ。)
この3つの自験例があるから、教師ごときが「進路指導権」を握ることに私は反対である。
40の歳に、広島大学の教授に転じた。それから63歳の定年まで24年を大学教師として暮らした。すでに「推薦入試」が始まっていた。
ある時、私が「健康科学」の試験で落とした女子学生が泣いてやって来た。教育学部の音楽科に「ピアノが上手」という理由により、推薦入試で入ったが、とても他の授業に付いて行けず、入学したことを後悔しているという内容だった。私の科目だけ合格させても、学力がアップするわけでなく、「泣き落とし」は拒否した。その子がどうなったかは知らない。
他の例では、文学部が「大理石病」という難病の女子を、事前に大学の医師に相談することなく、入学させた例がある。大理石病は骨の再構成に障害があり、骨が異常に固くもろくなる遺伝子病だ。なかでも視神経索が通る「視神経管」(骨のトンネル)が、視神経索の成長に合わせて広がらないために、失明が起こる。
たまたまその学生が私の授業をとった。目明きだから失明しているとは知らなかった。「来るべき情報化社会」の意味を説明するのに、19世紀の産業革命の例を取りあげ、「あの時に字の読める階層が事務職ホワイトカラーとなり、読めない階層が肉体労働者ブルーカラーとなり、社会に新たな階級分裂が生じた」と説明した。それを分かりやすく、「文盲か、そうでないかが階級を分けた」と述べた。盲目か目明きかとはちっともいっていない。
ところが、当人はさておいて、その子のサポーターがこれを「差別発言」として取り上げ、アホな左翼教師と学部長が問題としてとりあげ、私は吊し上げられた。その時に「大理石病」だと初めて聞かされ、仰天した。このままだと、階段の多いこのキャンパスでは、事故による外傷で死ぬ確率が高いと思ったからだ。
案の定、2年も経たないうち、この子は転倒事故による頭蓋骨折で死亡した。大理石病の骨は、固いがもろいのが特徴である。
「養護大学」というのがあるかどうか知らないが、重大な障害学生は特別な施設とスタッフのいる大学に入れないといけない。病気の本質を知らない、浅はかな「善意」は、かえってその子が持っている寿命や能力を縮めるだけだ。それが私の教師生活を通じての体験である。
たかが中学3年間、それも成績表と断片的な指導記録をもとにして、その観察だけで生徒の一生を「指導」しようなどという制度と精神がおかしい。悲劇の再発を防ぐためには、「推薦制度」を全廃すべきだろう。私は自分の経験に照らして、それをきっぱりと断言する。
http://diamond.jp/articles/-/87887/votes
私は尾木何とかというゲイや「教育評論家」のように事件を他人ごととして評論する立場に立ちません。これはヘルマン・ヘッセ「車輪の下」が提起した問題と同じで、自分と引き比べて論じないといけない問題だと思います。
【学校指導】
私は小学5年生の時、悪ガキと一緒になって、同級生の好きな女の子が含まれていた下校女子集団に対してストーカー行為をしたことがある。翌日、担任に「少年院に送る」と恫喝された。(この担任は後に他校に転じ、そこで生徒に対する痴漢行為を起こした。)それが6年になると母の後輩が担任となり、担任の推薦で「中国新聞・模範学童」に選ばれ、無料で別府温泉旅行をした。(そのことは事件の60年後にクラス会で逢った、いじめた当の女の子から聞いた。その父親も教師で、自分が選ばれなかったいきさつを親から聞いたという。「模範学童」でないという自覚はあったせいか、その子に別府土産を渡したと、これもその子から聞いた。)
中学はひとつしかなく、あらかじめ進学校が決まっていた。ろくな教師がいなかった。そのまま次の高校に進学する気になれず、担任には無断で広島市にある国立大学の付属高校を受験した。田舎のことでろくな受験参考書がなく、夜間のラジオ短波放送と旺文社の過去問題集で勉強した。だから学校始まって以来の合格者なのに、受かっても学校からは何の祝辞もなかった。
高校3年時にも似たようなことが起こった。1959年の春に「広島大医学部」に受験したいというと、「君の学力では絶対無理だ」と担任教師は言った。それで必死に勉強した。予備校はもうあったが、そんなところに行くお金の余裕はなかった。またも旺文社のお世話になった。
結局、蓋を開けてみると、同期生200人中5人が同学部に合格し、同じクラスではTと私の2人だけが現役合格だった。(当時はまだ「国民皆保険制度」がなく、成績の良い生徒は国立の工学部に進んだ時代だ。)
この3つの自験例があるから、教師ごときが「進路指導権」を握ることに私は反対である。
40の歳に、広島大学の教授に転じた。それから63歳の定年まで24年を大学教師として暮らした。すでに「推薦入試」が始まっていた。
ある時、私が「健康科学」の試験で落とした女子学生が泣いてやって来た。教育学部の音楽科に「ピアノが上手」という理由により、推薦入試で入ったが、とても他の授業に付いて行けず、入学したことを後悔しているという内容だった。私の科目だけ合格させても、学力がアップするわけでなく、「泣き落とし」は拒否した。その子がどうなったかは知らない。
他の例では、文学部が「大理石病」という難病の女子を、事前に大学の医師に相談することなく、入学させた例がある。大理石病は骨の再構成に障害があり、骨が異常に固くもろくなる遺伝子病だ。なかでも視神経索が通る「視神経管」(骨のトンネル)が、視神経索の成長に合わせて広がらないために、失明が起こる。
たまたまその学生が私の授業をとった。目明きだから失明しているとは知らなかった。「来るべき情報化社会」の意味を説明するのに、19世紀の産業革命の例を取りあげ、「あの時に字の読める階層が事務職ホワイトカラーとなり、読めない階層が肉体労働者ブルーカラーとなり、社会に新たな階級分裂が生じた」と説明した。それを分かりやすく、「文盲か、そうでないかが階級を分けた」と述べた。盲目か目明きかとはちっともいっていない。
ところが、当人はさておいて、その子のサポーターがこれを「差別発言」として取り上げ、アホな左翼教師と学部長が問題としてとりあげ、私は吊し上げられた。その時に「大理石病」だと初めて聞かされ、仰天した。このままだと、階段の多いこのキャンパスでは、事故による外傷で死ぬ確率が高いと思ったからだ。
案の定、2年も経たないうち、この子は転倒事故による頭蓋骨折で死亡した。大理石病の骨は、固いがもろいのが特徴である。
「養護大学」というのがあるかどうか知らないが、重大な障害学生は特別な施設とスタッフのいる大学に入れないといけない。病気の本質を知らない、浅はかな「善意」は、かえってその子が持っている寿命や能力を縮めるだけだ。それが私の教師生活を通じての体験である。
たかが中学3年間、それも成績表と断片的な指導記録をもとにして、その観察だけで生徒の一生を「指導」しようなどという制度と精神がおかしい。悲劇の再発を防ぐためには、「推薦制度」を全廃すべきだろう。私は自分の経験に照らして、それをきっぱりと断言する。
一年時の万引き非行を矯正指導するのが教師であり、3年時には既に改心させて真面目な生徒にさせる努力をしないといけない。
それを怠っておきながら生徒を高校に推薦できないとは、己の恥を知らせているようなもんだ。で、最終的に死なせてしまう。
推薦自体はあっても良いと思うが、スポーツ推薦は止めた方が良い。勉強しなくても良いよという事になるからね。
我が愛知県の古豪、中京大中京高校は今や進学校並みのレベルであり、野球部も勉強ができないと入部できないんだよ。
1年のときに指導していないのに3年でいきなり悪者扱い。機械みたいな先生。
気立ての良い子は傷ついて死んでいく。笹井先生。
悪い奴が生き残る。
学校の先生に「絶対無理」と言われたらやる気が削がれそう。ちょっと傷つく。
難波少年は、暗示にかからず突き進み、現在も唯我独尊… 。 わりと特殊なケースですね。
ALSやパーキンソン病って、頑張り屋さんがなりやすいですか?
ips関連の御蔭で。
アルツハイマーは、利根川博士がマウスで改善に成功したそうだ。私はまだあんまり信じれてないけど。
不思議なんです。パーキンソン疾患で障害年金申請が出来る人間が何らか仕事を見つけて働いているというのに、、、介護を受ける必要があるくらい身体が動かせない人間がドパミン誘導薬を使いながらも働いているというのに。
五体満足、口は達者、態度は横柄、元気いっぱいの人間が精神疾患と主張し生活保護を。役所をATMと思っていやがる。少し片手や片足をケガしたくらいでふざけんな 、と。
小保方はただの甘やかされ我儘病でふざけんな、と。
幼き頃から研究者を志し、実験経過も記録していないなんて有り得無い。
私言い過ぎですか?
レナードの朝みたいなオチになりませんように。。
目立たず騒がれず、欲も無く出世もせず、ただ普通に生きて居るのが最高の人生なんだけどね。
冷静に考えれば教師を責める部分はさほど無い。
深く同感。
現在の日本の公立中学の内申評価の多くは絶対評価であり、評価基準は確か、各自治体の教師によって決定されている。
それが高校受験に必要になることが多いため、生徒は教師基準の評価を意識してなるべく高内申をゲットすることに注力することになる。
内申対策をしてくれる塾が人気なのも、こういった事情による。
教師基準を意識しながら学生生活を送るというのは、自分らしさをごまかすことにつながるのではないか。
なんでも万遍なくできて無難な優等生ばかりが好まれるのだとしたらつまらない。
教師が指導しやすい生徒になれば高評価になるという仕組みで、ある分野にとんがった生徒は評価されないこともある。
「人間力」や「生きる力」などと言って、測れないものを数値化しようとするのがそもそも胡散臭いのだと思うね。