高校のクラスメートでニューヨーク在住の宮本(旧姓住田)季美枝さんから「原爆ドームに咲いた朝顔の花」を描いた美しい絵が送られて来た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2d/bf/c1abc9f15ffeb73e9aaac062fb4e5326_s.jpg)
旧友と他の人にも転送してほしいとのことなので、英文メールに翻訳または私のコメントを付して転送します。
私も「ヒロシマ」を風化させないためには、多くの人が自らの体験(直接的でなくとも)語り伝える必要があると思っております。
彼女の職業については、よく知りませんが、かつてリズ・テイラー(エリザベス・テーラー)に会った話しを詳しく聞いた記憶があり、アメリカで文学・芸術関係の仕事にかかわっているのではないか、と推測しています。彼女の英文は分かりやすくて、語彙も構文も美事で、名文だと思います。
<I attached my painting of a blue morning glory.>
一輪の青い朝顔の花の絵を添付しました。
<I think younger generation in Hiroshima and younger generation throughout Japan do not know about the news we’ve heard in my girlhood:
We were told that “ NO plants would grow for 75 years in the soil of Hiroshima, where was contaminated by radiology activities of atomic bomb on August 6th, 1945.>
「ヒロシマには残留放射能のせいで<75年間草木も生えない>という噂は、原爆投下時には、田舎に住んでいた私にも届いていました。
これが風評として流布した原因は、1945年8月末に「毎日」が掲載した記事に由来することが、森重明氏の詳細な調査・研究「原爆で死んだ米兵秘史」
http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1470114756
に初めて記載されています。
メディアは互いにかばい合う性質があるから、森氏が明らかにするまで他社はどこも書かなかったのだろうと思います。
私は母と共に1946年夏に戦後初めて広島に行き、原爆ドームに行った。そこに夏草が生い茂っているのを見て「75年間、草木も生えない」が嘘だと知った。
付近の袋町小学校のプールには水がなかったが、底に乗用車が1台飛ばされて落ちていて、錆び付いていたのが、印象に残っている。
船入本町にあった生家は、倒壊した舟入病院から出火した火災のため、町全部が丸焼けになっていた。生家はコンクリートの門柱と金魚がいたこれもコンクリート製の庭池しか残っていなかった。
しかし、もうあちこちにバラックや蓆掛けの小屋が建っていて、人びとの生活があった。
悲しかったのはかつての遊び友達「橋本のしょうちゃん」が、舟入病院前の道路崖下に作られた「むしろ小屋」で親と一緒に暮らしていたことだった。
1940年の「広島市街図」を見ると、船入町の東を流れる本川の住吉橋下流の右岸の川原に「工場」と書かれた場所がある。ここには高校時代の記憶では「住田材木工場」があった。ここには太田川上流から運ばれた丸太が筏にして集められ、角材や板に加工されていた。
ところが住田さんの実家は西にかなり離れた観音町にあった。ひょっとすると舟入の自宅が全焼して、焼け残った観音町に転居されたかな?といま思った。戦後も製材業は続けられていたと記憶する。
<I was sad. One summer, I saw a blue morning glory bloomed so beautifully out of the debris. Being so young, so sensitive, so touched and so impressed with the wonder of nature , I painted my memory of the blue morning glory. Also, when I was a young girl, after school, I used to play at the atomic dome and nearby with my sister and my friends where wild grass started to grow.>
ある夏のこと、とても美しい「一輪の青い朝顔の花」が瓦礫の中に咲いていた。まだ幼くて感受性がつよく、自然の驚異に対して強く感動し、深い印象を受けた。
それが昭和何年のことかわかりませんが、「75年間、草木も生えない」と信じていたのですから、衝撃的な感動を受け、その光景が脳裏に焼き付いたことは十分に理解できます。
小学生の頃、下校時に妹さんと原爆ドームにより、生えた野草の中で嬉しく遊んだ、ということも私に充分理解できます。
1941年生まれの私たちが小学校に入学したのが「新憲法」が施行された1947年(施行は5/3)で、1954/3(中1)の時には「第5福竜丸事件」が起き、原水爆の怖さが、一挙に知れわたりました。それとともに広島・長崎の被爆者に対するある種の「差別感情」も広まりました。
<Last April, when I visited atomic dome that was designated as World Heritage, I was surprised that fence was built and no one could enter the dome inside.
I appreciate if you could forward my painting of a morning glory to our fellow classmates of sango. Thank you
I attached my painting hoping and praying for Peace on Earth.
Peace on Earth>
原爆ドームが世界遺産に指定された結果、国内・国外からの観光客が激増しています。自由に立ち入りを認めると、破片を剥いで土産にしたり、自分の名前を落書きしたりする不届き者も出ます。
さらにバーミヤンの石仏を破壊したような連中だと、原爆ドーム自体を爆破しかねません。だから自由な立ち入りを制限するのはやむをえないと私は考えます。(研究等の正当な理由があれば、立ち入り許可が得られると思います。)
I appreciate if you could forward my painting of a morning glory to our fellow classmates of sango.
原民喜の「崩れ落つ天地の真中、一輪の花の幻」(広島城内の石碑にある。佐藤春夫撰文)には悲惨さしか詠っていないが、原爆ドームの地に咲いた「一輪の青き朝顔」には、希望と逞しさがあります。
第三次大戦に直結しかねない、世界各地での目下の局地紛争を理性と外交交渉と経済政策で終息させることが、今を生きる私たちのつとめでしょう。その意味で、季美枝さんの絵は貴重だと思います。
難波紘二
Dear Dr. Nanba
I attached my painting of a blue morning glory.
I think younger generation in Hiroshima and younger generation throughout Japan do not know about the news we’ve heard in my girlhood:
We were told that “ NO plants would grow for 75 years in the soil of Hiroshima, where was contaminated by radiology activities of atomic bomb on August 6th, 1945.
I was sad. One summer, I saw a blue morning glory bloomed so beautifully out of the debris. Being so young, so sensitive, so touched and so impressed with the wonder of nature , I painted my memory of the blue morning glory. Also, when I was a young girl, after school, I used to play at the atomic dome and nearby with my sister and my friends where wild grass started to grow.
Last April, when I visited atomic dome that was designated as World Heritage, I was surprised that fence was built and no one could enter the dome inside.
I appreciate if you could forward my painting of a morning glory to our fellow classmates of sango. Thank you
I attached my painting hoping and praying for Peace on Earth.
Peace on Earth
Kimie Miyamoto
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2d/bf/c1abc9f15ffeb73e9aaac062fb4e5326_s.jpg)
旧友と他の人にも転送してほしいとのことなので、英文メールに翻訳または私のコメントを付して転送します。
私も「ヒロシマ」を風化させないためには、多くの人が自らの体験(直接的でなくとも)語り伝える必要があると思っております。
彼女の職業については、よく知りませんが、かつてリズ・テイラー(エリザベス・テーラー)に会った話しを詳しく聞いた記憶があり、アメリカで文学・芸術関係の仕事にかかわっているのではないか、と推測しています。彼女の英文は分かりやすくて、語彙も構文も美事で、名文だと思います。
<I attached my painting of a blue morning glory.>
一輪の青い朝顔の花の絵を添付しました。
<I think younger generation in Hiroshima and younger generation throughout Japan do not know about the news we’ve heard in my girlhood:
We were told that “ NO plants would grow for 75 years in the soil of Hiroshima, where was contaminated by radiology activities of atomic bomb on August 6th, 1945.>
「ヒロシマには残留放射能のせいで<75年間草木も生えない>という噂は、原爆投下時には、田舎に住んでいた私にも届いていました。
これが風評として流布した原因は、1945年8月末に「毎日」が掲載した記事に由来することが、森重明氏の詳細な調査・研究「原爆で死んだ米兵秘史」
http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1470114756
に初めて記載されています。
メディアは互いにかばい合う性質があるから、森氏が明らかにするまで他社はどこも書かなかったのだろうと思います。
私は母と共に1946年夏に戦後初めて広島に行き、原爆ドームに行った。そこに夏草が生い茂っているのを見て「75年間、草木も生えない」が嘘だと知った。
付近の袋町小学校のプールには水がなかったが、底に乗用車が1台飛ばされて落ちていて、錆び付いていたのが、印象に残っている。
船入本町にあった生家は、倒壊した舟入病院から出火した火災のため、町全部が丸焼けになっていた。生家はコンクリートの門柱と金魚がいたこれもコンクリート製の庭池しか残っていなかった。
しかし、もうあちこちにバラックや蓆掛けの小屋が建っていて、人びとの生活があった。
悲しかったのはかつての遊び友達「橋本のしょうちゃん」が、舟入病院前の道路崖下に作られた「むしろ小屋」で親と一緒に暮らしていたことだった。
1940年の「広島市街図」を見ると、船入町の東を流れる本川の住吉橋下流の右岸の川原に「工場」と書かれた場所がある。ここには高校時代の記憶では「住田材木工場」があった。ここには太田川上流から運ばれた丸太が筏にして集められ、角材や板に加工されていた。
ところが住田さんの実家は西にかなり離れた観音町にあった。ひょっとすると舟入の自宅が全焼して、焼け残った観音町に転居されたかな?といま思った。戦後も製材業は続けられていたと記憶する。
<I was sad. One summer, I saw a blue morning glory bloomed so beautifully out of the debris. Being so young, so sensitive, so touched and so impressed with the wonder of nature , I painted my memory of the blue morning glory. Also, when I was a young girl, after school, I used to play at the atomic dome and nearby with my sister and my friends where wild grass started to grow.>
ある夏のこと、とても美しい「一輪の青い朝顔の花」が瓦礫の中に咲いていた。まだ幼くて感受性がつよく、自然の驚異に対して強く感動し、深い印象を受けた。
それが昭和何年のことかわかりませんが、「75年間、草木も生えない」と信じていたのですから、衝撃的な感動を受け、その光景が脳裏に焼き付いたことは十分に理解できます。
小学生の頃、下校時に妹さんと原爆ドームにより、生えた野草の中で嬉しく遊んだ、ということも私に充分理解できます。
1941年生まれの私たちが小学校に入学したのが「新憲法」が施行された1947年(施行は5/3)で、1954/3(中1)の時には「第5福竜丸事件」が起き、原水爆の怖さが、一挙に知れわたりました。それとともに広島・長崎の被爆者に対するある種の「差別感情」も広まりました。
<Last April, when I visited atomic dome that was designated as World Heritage, I was surprised that fence was built and no one could enter the dome inside.
I appreciate if you could forward my painting of a morning glory to our fellow classmates of sango. Thank you
I attached my painting hoping and praying for Peace on Earth.
Peace on Earth>
原爆ドームが世界遺産に指定された結果、国内・国外からの観光客が激増しています。自由に立ち入りを認めると、破片を剥いで土産にしたり、自分の名前を落書きしたりする不届き者も出ます。
さらにバーミヤンの石仏を破壊したような連中だと、原爆ドーム自体を爆破しかねません。だから自由な立ち入りを制限するのはやむをえないと私は考えます。(研究等の正当な理由があれば、立ち入り許可が得られると思います。)
I appreciate if you could forward my painting of a morning glory to our fellow classmates of sango.
原民喜の「崩れ落つ天地の真中、一輪の花の幻」(広島城内の石碑にある。佐藤春夫撰文)には悲惨さしか詠っていないが、原爆ドームの地に咲いた「一輪の青き朝顔」には、希望と逞しさがあります。
第三次大戦に直結しかねない、世界各地での目下の局地紛争を理性と外交交渉と経済政策で終息させることが、今を生きる私たちのつとめでしょう。その意味で、季美枝さんの絵は貴重だと思います。
難波紘二
Dear Dr. Nanba
I attached my painting of a blue morning glory.
I think younger generation in Hiroshima and younger generation throughout Japan do not know about the news we’ve heard in my girlhood:
We were told that “ NO plants would grow for 75 years in the soil of Hiroshima, where was contaminated by radiology activities of atomic bomb on August 6th, 1945.
I was sad. One summer, I saw a blue morning glory bloomed so beautifully out of the debris. Being so young, so sensitive, so touched and so impressed with the wonder of nature , I painted my memory of the blue morning glory. Also, when I was a young girl, after school, I used to play at the atomic dome and nearby with my sister and my friends where wild grass started to grow.
Last April, when I visited atomic dome that was designated as World Heritage, I was surprised that fence was built and no one could enter the dome inside.
I appreciate if you could forward my painting of a morning glory to our fellow classmates of sango. Thank you
I attached my painting hoping and praying for Peace on Earth.
Peace on Earth
Kimie Miyamoto
どんな和平条約も不可侵条約も破られてきたわけです。
しかし、それらを排除するためにはやはり「戦争」は必要なのです。
平和ばかりを声高々に叫んでも空しい結果が待つのです
広島を忘れなくとも、戦わねばならない時は来ます。
それが被爆者を冒涜する事とは思いません。
核だけではなく、あらゆる攻撃に遭うことを最小限に収めるためにも、現実と向き合うべきです。
理性と経済政策~で戦争を回避出来るようにしたいですね。
優秀なる性質こそが生き残るに値するという事です。
戦争を恐れてはいけません。
いついかなる時でも戦う事の出来る戦力を備えてこそ
生き残る資格があるのです。
ヒトラーを破ったのは何ですか?
連合軍の「戦争」によって破られたのです。
優秀な性質を持つ人間が生き残れるのだとしたら、Mr.Sさんも私も生きてはいられない、要らない人間ということになりますが。
それがこの世の仕組みです。
周囲から見てどんなに劣っていようとも、生き残る資格があるかないかは自分で決めることが出来ます。
上手く生きる事です。
飼猫はタマではありません。マリです。
白い雌猫です。