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【インドネシア生体肝移植】難波先生より

2015-05-12 15:03:37 | 難波紘二先生
【インドネシア生体肝移植】
 5/9(土)の新聞は日経と毎日が「神戸のKIFMEC病院が、インドネシアでも患者3人を死亡させていた」という記事を大きく報じ、産経、中国はこれを報じずに「臓器移植後も安全出産へ、学会、妊娠に指針作成」と移植学会よいしょ記事を載せていて、対蹠的だった。
 移植学会はポートピアとインドネシアで発生した田中紘一元移植学会理事長の「生体肝移植連続死亡」事件について、きちんと記者会見して、目の前の不祥事について声明を発表し、利害関係のない外部調査委による独自調査をおこなうことを表明するべきだろう。

 5/10読売は、この医療は「経産省事業の一環として、インドネシアに生体肝移植の拠点を整備するために、KIFMECが委託を受けて現地で診断や手術を指導していた発生した」という。事業予算は約5,900万円で、うち約3,300万円がKIFMECにすでに支払われた」と報じている。
経産省の事業なら、いわゆるODAで、背後に総合商社が関与していることは常識だろう。
 5/8産経は、「STAP細胞や生体肝移植死亡、神戸・医療都市構想に影、行政の指導力不足に懸念も」という解説記事を載せ、「医療ツーリズム」を掲げた再生医療(STAP細胞事件)や生体肝移植(KIFMEC事件)には、「行政の指導力」に問題があるのではないか、と疑問を呈している。
 日本移植学会は、「医療ツーリズム」と「移植ツーリズム」のどこがどう違うのか、社会に対するアカウンタビリティ(説明責任)果たすべきだ。数も少ない「臓器移植後の妊娠指針」作成などで、知らないふりしようとしている場合ではない。

 神戸市はKIFMECに立ち入り調査することを表明したが、その後の動きがまったく報じられないうちに、さらに事件はインドネシアへと拡大した。いったいメディアの「調査報道」はどうなっているのか?
 これについては、もう少し調べて詳しく書きたいと思う。

 生体肝移植についてネット検索をしていて、若林正という東大大学院生のページを見つけた。
http://wakaba.sakura.tv/246wakaba/profile.html
 1971年千葉市の生まれで、4歳の時に川崎病を発症したのが、長い闘病生活の始まりとなった。途中「特発性門脈圧亢進症(バンチ病)」という(もう病理学書には載っていない)診断で、脾臓摘出と食道離断術まで受けている。

 その後、東大理2に現役で入学しているから大したものだが、後教育学部に進学し、1993年、大学院教育学研究科に進学したところで、胃食道静脈瘤の破裂が生じた。95/7になって入院中の病院から東大二外科幕内教授(肝移植専門)に受診し、ここで原病がPSC(Primary Sclerosing Cholangitis=原発性硬化性細胆管炎)だ、という診断がついたようだ。(この病気の発症は20〜30代に多く、初期の診断は難しいので、前院の誤診とはいえないだろう。)

 治療法は肝移植しかない。96年1月に母親からの生体肝部分移植を受けたが、98年2月、移植後2年で、不幸にも原病のPSCが移植肝に再発した。(これも珍しいことだ。)
 その後、募金活動に助けられ、98年4月に渡米し、6月にフロリダ・マイアミ大学で脳死ドナーからの肝臓移植術を受け、9月に帰国、大学院博士課程に復学している。

 この若林さんが、2003年に書いた「肝移植とは」というレポートは非常によく書かれている。
 http://wakaba.sakura.tv/246wakaba/tx/livertx.html
 PSCは自己免疫疾患である可能性が疑われており、その場合、HLAが共通する親からの生体肝移植では、原病が再発するリスクが高くなる。ドナーになってくれた母親や術者の幕内教授への配慮があり、そこまでは書いていないが、アメリカでの死体肝移植が成功したのには、そういう理由もあるな、と得心した。

 「ドミノ肝移植」という2003/1付のレポートも優れている。
http://wakaba.sakura.tv/246wakaba/tx/domino-livertx.html
 ここには「修復臓器移植」あるいは「マージナル・ドナーの許容」という思想が書かれていて、感心した。この人が「病気腎移植」問題にどういう見解を述べるか、大いに興味を惹かれたが、ホームページをよく読んだら、<このサイトは兄(2005.03.08逝去)によって運営されていたページです。>とあり、惜しくも34歳で、病気腎移植事件の約2年前に亡くなっていたことがわかった。
 2度目の肝移植からは7年弱、最初の肝移植からは9年強生きることができ、詳しい闘病記と臓器移植についての思索を残してくれた。いずれゆっくり読んでみたい。

 腎移植を受けて、その体験を著書で綴った人には、ルネサンス文学の研究者、澤井繁男などがいるが、肝移植者による手記はまだ読んだことがない。この若林正という人にもうすこし天命が与えられていたら…、と思う。
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