ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【お詫び等】難波先生より

2013-04-16 12:18:27 | 難波紘二先生
【お詫び等】★北朝鮮ミサイル発射に関する私の「予言」は見事にはずれました。


 朝鮮半島南部を縦走し、対馬と済州島の間を抜けさせるには元山の周囲に発射台を置けばよい、というのは適中したようですが、日曜日午前中というのははずれました。誤情報を流したことをお詫びいたします。
 まあこれは、はずれた方がよろしいでしょう。


 開城工業団地からの労働者引き揚げが、「賃上げ交渉」のためとは思っても見ませんでした。
 北朝鮮は建国が1945年で、それから68年になります。
 「金王朝」樹立を日本の明治元年と考えれば、今年は明治68年つまり昭和10(1935)年に相当します。日本の場合、明治憲法体制がこれから15年後に崩壊するわけですが、北朝鮮の「世襲王朝」はいつ終わるのでしょうか?
 
 ★定年退職=呉共済病院時代に私と一緒に仕事した青木 潤技師と山本津由子技師から、この3月で定年退職したという挨拶状をもらった。「定年延長法」が成立し、65歳まで働けるようになったので、まだ勤められるはずだが、人生の区切りをつけたいのだろう。


 山本さんは旧制浜崎といった頃、「県立衛生検査技師学校」の非常勤講師として教えたクラスにいた。初めから「病理検査技師」を志願して、就職した変わり種だ。
 青木君は、愛媛大理学部生物学の卒業で、検査部で血液検査をしていたのに目を付けて、病理部に引っぱってきた。解剖が嫌いで初め屍体の顔が記憶に残って、3体目までは夢に出てきたが、4体目からぐちゃぐちゃになって出なくなったそうだ。共済医学会賞をはじめ、数々の賞を受けた。
 お二人とも長い間ご苦労さまでした。


 40年の間に病理科も「検査」の一部から、ちゃんとした標榜科である「病理診断科」に変わった。佐々木なおみ科長を除き、もう知った人がいなくなり、若い世代に交代するが、われわれの世代はちゃんとやるべきことをやったと思う。
 私の時代は、350床の病院で5人の技師・秘書がいたのに、今は500床を超えていて、仕事は何倍も増えているのに技師数が3人に減っている(自動化のせいもあるが)のは、ちょっと寂しい。
 秘書をしてくれていた折崎さんと、「同窓会」を開くことを計画中だ。
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