【書込を読んで10/10】
「武田ブログ」では感情的やりとりにならず、建設的な集合知が働く方向に進みつつあるようで、嬉しい。「宋襄の仁」の語法がおかしい、という指摘があった。
<落ち目になった人や組織を叩くのを手加減するのを、「宋襄の仁」とか「水に落ちた犬は叩くな」という>と書いた箇所かと思う。
「宋襄の仁」は『春秋左私伝』の「僖公22年」の原話に由来(岩波文庫『春秋左私伝(上)』p.250-251)する故事で、宋の襄公(宋襄)が、攻め込んできた楚の軍隊と戦った時、敵が隊列を崩して渡河している時に攻撃せず、渡河し終わってまだ隊列を整えていないときにも攻撃せず、「君子は敵の弱みにつけこまないものだ」と言っていたが、いざ両軍が隊列を整えての合戦となると完敗してしまった。敵は宋襄に対して「仁」を示さなかったからだ。これで「くだらぬ情け」をかけることを「宋襄の仁」と嘲っていうようになった。
「水に落ちた犬は叩くな」というのは、「宋襄の仁」と同じ意味だと理解している。これは出典不明の中国のことわざで、魯迅はこれを「水に落ちた犬は叩け」と言い換えた。いまはこっちの方が有名になっている。魯迅は革命家だったから、古い制度を徹底的に破壊しないと、また復活するおそれがあること強調した。
上記の私の語句使用法は間違っていないと思いますが、どうでしょうか。
AO(Admission Office)入試についての論議が行われていますが、あれは「18歳人口の減少」対策に各大学が受験生の「青田刈り」のために、「アメリカの制度をまねた」として導入したものです。情実入試の温床で、まじめに入学試験を受ける受験生をバカにした制度です。
私は「音楽の才能がある」として教育学部の音楽科がAOで入学を認めた学生から「大学の一般教養の科目が難しすぎて私にはついて行けない。広島大学に来るのではなかった」、と泣き言をならべたレポートを受け取ったことがあります。文学部では「大理石病」という先天異常で全盲の学生をAOで入学させ、転倒事故で頭蓋底骨折が起こり、死亡した事例があります。大理石病という病気がどんなに恐ろしいものかまったく知らなかったようです。
AO入試の主導権は学部や学科にあるので、バカな教授がいる学部学科ではバカな学生を入学させてしましまいがちです。共通一次や正規の学力試験を受けた場合は、「最低点」による「足切り」が行われるから、まずこういうことはありません。
アメリカの場合、医学部は他の学部の卒業生しか取りません。つまり日本でいうと「学士」でないと入学できません。卒業学部は、神学を学んだとか人類学が専門だったとか、医者のバックグランドはいろいろです。また大学院はAO入試ですが、娘のケースでいうと、UCLA、サンフランシスコ州立大、カーネギー・メロンと3箇所以上、旅費滞在費が大学負担で、徹底的な面接試問が行われています。それくらい学生集めに熱心なのです。
そういう実情をちゃんと調べないで、安易に導入した日本のAO入試は大間違いです。
いまは新聞などに「最終学歴」しか書かず、肩書きにも「○○大学大学院」と書くようになったので、「学歴ロンダリング」が横行しています。三流大学を出て、実質的に入試がない一流大学の大学院にコネで入れば、さも一流であるかのごとく世の中を欺くことができます。「良心的」な一部の新聞が「学歴社会の弊害を除く」とキャンペーンしてそうなったのですが、結果は「守口事件」に「小保方事件」で、詐欺師の横行を許してしまった。
こういう事件の再発を防ぐにはどうしたらよいか、思案のしどころでしょう。
余談だが、10/10発売の「文藝春秋11月号」、「中央公論11月号」、「歴史通11月号」を買いに行き、その後小さな公園のテーブルで読もうと、スーパーの食品売り場で「コカコーラ・ゼロ」500mlボトルを1本買った。有人レジが込んでいるので、無人機を使った。センサーにバーコードの部分をかざし、タッチパネルの指示に従ったら、自販機だと160円の品が100円玉を一個投入したらそれで終わり。早いし、うるさくない。
あの「同句異音」にいう、ロボットみたいなレジの女性の声は聞きたくない。
アメリカのスーパーでは少品目だけの客のために「エクスプレス」というカウンターがあるが、日本にはない。かねがねスーパーのレジの女性は、完全にロボットで置換可能だと主張しているが、案外その時期は早いかもしれない。本屋の店員も商品知識がないから、無人レジ機で代替可能である。
で、灰皿スタンドがあるテーブルに向かって、コーラを飲みながら3誌の面白い記事に目を通した。午後の日差しを浴びながら、1時間以上費やしたが、ロードショウを観たと思えば、値段は別に高くない。
3誌とも「朝日問題」を目玉にしているが、もうほとんど新しい論点や発掘された事実はない。
「文春」:養老孟司「大きなウソをつく準備」(p.330-31)、
山折哲雄「義も情も忘れた(朝日)」(p.302)、
落合博実(元朝日編集委員)「朝日新聞が徴税権力に屈した日」(p.160-67)、
落合論文は竹下登の「政治資金の私邸新築への流用と脱税」にかかわる報道を国税庁からの圧力により「報道差し止め」になったことを、当の記者が書いている。この論文によれば「池上コラム」不掲載は社長が読んで決めたという。責任を部下に転嫁したのだそうだ。あとは、
「中公」:田原総一朗「いまこそ朝日新聞の再生に期待したい」(p.54-57)、
「歴史通」:酒井信彦(元東大教授)「朝日は<机上犯罪者>だ!」(p.50-61)
が目新しいところか。
酒井論文は、1937/9/16「朝日」に掲載された「中国軍に遺棄された戦車に朝日社旗を持って登った記者二人」の原版写真と新聞掲載写真の比較が載せられている。レーニンが演説している演壇の右下にトロツキーが写っている有名な写真があるが、トロツキーは後に「裏切り者、祖国の敵」されたから、彼の姿を消去した捏造写真がソ連の公式文書には出回った。「朝日捏造写真」は「サンゴ礁事件」だけでないと知った。
「文春」(p.305-06)にJ.マカリー(英ガーディアン紙東京特派員)が、「水に落ちた犬は叩くな」という日本語のことわざを引いて、朝日の再生を期待している。英語にも似た表現があり、「Not kicking a man when he is down」(倒れた男は蹴るな)という意味だそうだ。残念ながら手持ちの「オックスフォード引用句辞典」ではnot, kick, downのいずれを引いても見つからない。
この人、日本人以上に日本語を知っているな…。
帰りにローソンのトイレを借り、そのままでは悪いと思い、「週刊新潮」を買ったら、「がんもどき理論<近藤誠>先生を持ち上げた<金スマ>に違和感」という記事が載っていた。テレビは見たことないがTBSの番組らしい。
「文藝春秋」10月号の巻頭グラビアは「日本の顔」として、近藤さんの写真を8頁わたり載せている。同じく11月号は「健康診断が私たちを不幸にする;<健康長寿>、医者も薬も信じるな」(p.110-122)という彼の論文を掲載している。これもなかなか面白い。
近藤氏の「理想の死に方」は「ぽっくり死」だが、それがダメならがん死。痛みは薬でコントロールできるし、最後まで意識がしっかりしているからだそうだ。「何があっても救急車を呼ぶな」というのは、極論に思えるが、「おまかせ医療」にならないためには、そういう覚悟も必要だろう。「介護独身」という新語もある。「孤独死は最後まで自立していた証しだから、惨めではないのでないか」という表現も反語的だが、考えさせられる点がある。
近藤さんも「セカンド・オピニオン外来」は成功したようだから、こんどは「修復腎移植」にも少し応援をお願いしたいものだ。
「武田ブログ」では感情的やりとりにならず、建設的な集合知が働く方向に進みつつあるようで、嬉しい。「宋襄の仁」の語法がおかしい、という指摘があった。
<落ち目になった人や組織を叩くのを手加減するのを、「宋襄の仁」とか「水に落ちた犬は叩くな」という>と書いた箇所かと思う。
「宋襄の仁」は『春秋左私伝』の「僖公22年」の原話に由来(岩波文庫『春秋左私伝(上)』p.250-251)する故事で、宋の襄公(宋襄)が、攻め込んできた楚の軍隊と戦った時、敵が隊列を崩して渡河している時に攻撃せず、渡河し終わってまだ隊列を整えていないときにも攻撃せず、「君子は敵の弱みにつけこまないものだ」と言っていたが、いざ両軍が隊列を整えての合戦となると完敗してしまった。敵は宋襄に対して「仁」を示さなかったからだ。これで「くだらぬ情け」をかけることを「宋襄の仁」と嘲っていうようになった。
「水に落ちた犬は叩くな」というのは、「宋襄の仁」と同じ意味だと理解している。これは出典不明の中国のことわざで、魯迅はこれを「水に落ちた犬は叩け」と言い換えた。いまはこっちの方が有名になっている。魯迅は革命家だったから、古い制度を徹底的に破壊しないと、また復活するおそれがあること強調した。
上記の私の語句使用法は間違っていないと思いますが、どうでしょうか。
AO(Admission Office)入試についての論議が行われていますが、あれは「18歳人口の減少」対策に各大学が受験生の「青田刈り」のために、「アメリカの制度をまねた」として導入したものです。情実入試の温床で、まじめに入学試験を受ける受験生をバカにした制度です。
私は「音楽の才能がある」として教育学部の音楽科がAOで入学を認めた学生から「大学の一般教養の科目が難しすぎて私にはついて行けない。広島大学に来るのではなかった」、と泣き言をならべたレポートを受け取ったことがあります。文学部では「大理石病」という先天異常で全盲の学生をAOで入学させ、転倒事故で頭蓋底骨折が起こり、死亡した事例があります。大理石病という病気がどんなに恐ろしいものかまったく知らなかったようです。
AO入試の主導権は学部や学科にあるので、バカな教授がいる学部学科ではバカな学生を入学させてしましまいがちです。共通一次や正規の学力試験を受けた場合は、「最低点」による「足切り」が行われるから、まずこういうことはありません。
アメリカの場合、医学部は他の学部の卒業生しか取りません。つまり日本でいうと「学士」でないと入学できません。卒業学部は、神学を学んだとか人類学が専門だったとか、医者のバックグランドはいろいろです。また大学院はAO入試ですが、娘のケースでいうと、UCLA、サンフランシスコ州立大、カーネギー・メロンと3箇所以上、旅費滞在費が大学負担で、徹底的な面接試問が行われています。それくらい学生集めに熱心なのです。
そういう実情をちゃんと調べないで、安易に導入した日本のAO入試は大間違いです。
いまは新聞などに「最終学歴」しか書かず、肩書きにも「○○大学大学院」と書くようになったので、「学歴ロンダリング」が横行しています。三流大学を出て、実質的に入試がない一流大学の大学院にコネで入れば、さも一流であるかのごとく世の中を欺くことができます。「良心的」な一部の新聞が「学歴社会の弊害を除く」とキャンペーンしてそうなったのですが、結果は「守口事件」に「小保方事件」で、詐欺師の横行を許してしまった。
こういう事件の再発を防ぐにはどうしたらよいか、思案のしどころでしょう。
余談だが、10/10発売の「文藝春秋11月号」、「中央公論11月号」、「歴史通11月号」を買いに行き、その後小さな公園のテーブルで読もうと、スーパーの食品売り場で「コカコーラ・ゼロ」500mlボトルを1本買った。有人レジが込んでいるので、無人機を使った。センサーにバーコードの部分をかざし、タッチパネルの指示に従ったら、自販機だと160円の品が100円玉を一個投入したらそれで終わり。早いし、うるさくない。
あの「同句異音」にいう、ロボットみたいなレジの女性の声は聞きたくない。
アメリカのスーパーでは少品目だけの客のために「エクスプレス」というカウンターがあるが、日本にはない。かねがねスーパーのレジの女性は、完全にロボットで置換可能だと主張しているが、案外その時期は早いかもしれない。本屋の店員も商品知識がないから、無人レジ機で代替可能である。
で、灰皿スタンドがあるテーブルに向かって、コーラを飲みながら3誌の面白い記事に目を通した。午後の日差しを浴びながら、1時間以上費やしたが、ロードショウを観たと思えば、値段は別に高くない。
3誌とも「朝日問題」を目玉にしているが、もうほとんど新しい論点や発掘された事実はない。
「文春」:養老孟司「大きなウソをつく準備」(p.330-31)、
山折哲雄「義も情も忘れた(朝日)」(p.302)、
落合博実(元朝日編集委員)「朝日新聞が徴税権力に屈した日」(p.160-67)、
落合論文は竹下登の「政治資金の私邸新築への流用と脱税」にかかわる報道を国税庁からの圧力により「報道差し止め」になったことを、当の記者が書いている。この論文によれば「池上コラム」不掲載は社長が読んで決めたという。責任を部下に転嫁したのだそうだ。あとは、
「中公」:田原総一朗「いまこそ朝日新聞の再生に期待したい」(p.54-57)、
「歴史通」:酒井信彦(元東大教授)「朝日は<机上犯罪者>だ!」(p.50-61)
が目新しいところか。
酒井論文は、1937/9/16「朝日」に掲載された「中国軍に遺棄された戦車に朝日社旗を持って登った記者二人」の原版写真と新聞掲載写真の比較が載せられている。レーニンが演説している演壇の右下にトロツキーが写っている有名な写真があるが、トロツキーは後に「裏切り者、祖国の敵」されたから、彼の姿を消去した捏造写真がソ連の公式文書には出回った。「朝日捏造写真」は「サンゴ礁事件」だけでないと知った。
「文春」(p.305-06)にJ.マカリー(英ガーディアン紙東京特派員)が、「水に落ちた犬は叩くな」という日本語のことわざを引いて、朝日の再生を期待している。英語にも似た表現があり、「Not kicking a man when he is down」(倒れた男は蹴るな)という意味だそうだ。残念ながら手持ちの「オックスフォード引用句辞典」ではnot, kick, downのいずれを引いても見つからない。
この人、日本人以上に日本語を知っているな…。
帰りにローソンのトイレを借り、そのままでは悪いと思い、「週刊新潮」を買ったら、「がんもどき理論<近藤誠>先生を持ち上げた<金スマ>に違和感」という記事が載っていた。テレビは見たことないがTBSの番組らしい。
「文藝春秋」10月号の巻頭グラビアは「日本の顔」として、近藤さんの写真を8頁わたり載せている。同じく11月号は「健康診断が私たちを不幸にする;<健康長寿>、医者も薬も信じるな」(p.110-122)という彼の論文を掲載している。これもなかなか面白い。
近藤氏の「理想の死に方」は「ぽっくり死」だが、それがダメならがん死。痛みは薬でコントロールできるし、最後まで意識がしっかりしているからだそうだ。「何があっても救急車を呼ぶな」というのは、極論に思えるが、「おまかせ医療」にならないためには、そういう覚悟も必要だろう。「介護独身」という新語もある。「孤独死は最後まで自立していた証しだから、惨めではないのでないか」という表現も反語的だが、考えさせられる点がある。
近藤さんも「セカンド・オピニオン外来」は成功したようだから、こんどは「修復腎移植」にも少し応援をお願いしたいものだ。
牛乳がダメだとか、薬はダメとか。
薬は確かに有害だと思う。
血圧降下剤やコレステロール降下剤を退院後に飲んでいたがすべてを断った。
主治医にも告げたが「非常に危険な賭け」だと。
しかし、副作用かどうかは判らないが「眩暈」が激しい。
その原因として自宅で血圧測定している時に気付いたんだが、血圧以外に脈拍数も計測できるので、その数値の低さに驚いた。なんと一分間に45という「徐脈」だったのだ。
これでは脳に血が回らなくて目が回るわけだ。
果たしてそれが降下剤のせいか、もしくはステントに塗られた薬物のせいかは定かでないが、炭水化物不足のせいではないようだ。
糖質制限食は効果を発揮していて、入院前より体重は20kgの減量となり、腹部には腹筋が割れて浮き出るようになっており、胸部に筋肉も張りが出てきた。
体重計で測定すると内臓脂肪率が8%、体脂肪率も14%まで改善した。
血液検査では善玉、悪玉ともに増えているが中性脂肪が62とかなり改善されている。
最悪時には中性脂肪が300を超えていたのである。
はその通りなのですが、「水に落ちた犬は叩くな」と違う点は、「宋襄の仁」は分不相応というニュアンスを含んでいる点だと思います。宋軍はまともに戦えば楚軍に勝てる見込みがなく、渡河中に攻撃をかけることが戦術的に不可欠であったにも関わらず、無用な情けをかけたために敗れました。
本来情けは優位にあるものがかけるものなので、不利な状況にありつつも「分不相応」に情けをかけたのが愚かだ、という意味になると思います。「叩かれる犬」についていうのでなく、「叩かなかった」人の愚かさに主眼がおかれている言葉ではないしょうか。
日本は、相手が不利な状況のときにそれを叩かないことを美徳とする文化ですね。「敵に塩を送る」という言葉もありますね。
考えが浅いね。
犬が優位ではないと?
とんでもない。水に落ちる前に犬は人を追いかけていたんですよ。
せっかく水に落ちたのに叩かなかったら這い出て噛みつきに来るじゃないですか。
どこが間違ってるんでしょうか?
>愚直な人は、犬が水へ落ちたのを見て、洗礼を受けたものと認め、きっと懺悔するだろう、もう出てきて人に咬みつくことはあるまいど思うのはとんでもないまちがいである。
とありますね。
でも、この言葉はどこか犬を見下しているような語感が拭えません。実際、魯迅も「犬は、この例を当てはめて、対等の敵と見なすことができない。」と書いています。
君の言い分を認めよう。
つまり「宋襄の仁」に犬を登場させるなら、こっちが猫でないとダメなんだな。
でもさ、細かいことは抜きにせんと。
民主党が団扇を配布した自民の大臣を刑事告発するようなケチな事はご法度だよ。
極論です。贔屓の引き倒しはいけない。
近藤氏は、現行の医療を全否定するような言動で印税を稼ぐようなことをしなければ、もっと彼の理論に理解を示す人が多くいるに違いないのに。
本当の改革を行いたい人間は、反体制の旗幟をいたずらに鮮明にするのではなく、体制の内部から変革をはかるべきだと思います。これは病腎移植もいえる事。
本当に正しい事をいっていれば、抵抗勢力が世代交代した時に大きくパラダイムがシフトする時が訪れる。「正しい事」の主張に専念せず、印税稼ぎの余分な言動に終始していると、医学界から孤立してその実績は無視され、体制内から二番煎じで「正しい事」を主張する人が出て来た時にその人の実績となることが多い、と思う。
>「宋襄の仁」は『春秋左私伝』の「僖公22年」の原話に由来(岩波文庫『春秋左私伝(上)』p.250-251)する故事で
左伝にはこの故事が載っているが、言葉自体は出てこない。「宋襄之仁」という言葉が出てくるのは、左伝を参考にしたであろう『十八史略』春秋戦国・宋の項。
まさに、その通りだと思う。
真実が認められるには「時期」が必要だ。