テントも乾いたので早くに出発する。
撤収の最中にピーピーとバイクから音がする。
何かトラブル?
あちこちに耳を当てたら時計から音が出てる。
いつの間にかタイマーを7時にセットしていたんだ。
まあ問題が無くて良かった。
館の岬のトンネルが崩壊してかなり遠い距離を迂回する。
やがて突府岬に到着した。
付近を散策する。
ここにも義経伝説があった。
義経を追ってきた病弱の姫が、義経が既に北に向かったのを知り、ショックの余りここで亡くなった。
側にあった川の名を姫川と言う名で残した。
今でも姫川はあり、箱館戦争で新政府軍が進行した道は川に沿って厚沢部まで繋がっている。
このあたりの海岸は奇岩が多い。
豊浜トンネルに慰霊碑がある。
函館バスが運行中がけ崩れで14名が亡くなった。
その後、トンネルが作られ豊浜トンネルと名付けられた。
思い出すのは、平成8年に積丹でトンネルが崩落し、北海道バスと乗用車が生き埋めになって20名が亡くなった。
同じ名の豊浜トンネルである。
何かを感じる。
雨が降って来て段々と強くなった。
上着も濡れたのでたまらず、熊石の歴史館に入る。
受付の女性の方が有料ですけれど良いですかと聞く。330円を払う。
説明する必要が有ったら読んで下さいと言う。
一人で見ていたら10分くらいしてやってきた。
歴史の話になり、色々な話を30分くらいした。
自分は七飯歴史館が好きだそうだ。
私も山田学芸員を良く知っているので、あそこは
良いですよねとなった。
歴史をもっと勉強したいので、良かったら資料を提供してくださいと言われ追々準備しますとなった。
一番興味あったのは松前藩主が土方隊に攻められ館城逃げるが、館城には松岡四郎次郎隊が攻めて、藩主は熊石の関内から青森に逃げる。
姫は船酔いで体調が悪くなり途中で亡くなる。
藩主は肺結核を患っており、1週間後弘前で亡くなる。
5年前位に藩主の墓が分かり発掘し、遺品を展示した。
丁度青森ねぶたの時で1周間だけ公開したのを見に行った。
その話をしたら見たかったと言っていた。
今は公開されていない。
その雰囲気が良く伝わった。
歴史館を出るときは衣類も乾き雨も止んだ。
今の関内港に行ってみた。
勿論立派な岸壁で分かるはずも無い。
瀬棚に着いた。
先ずは荻野吟子の慰霊碑に向かう。
大学生の時病気になり、それがきっかけで医師を目指す。
当時は医師は男性のみであった。
その壁を相当な苦労をして突破し、日本の女医1号になる。
好きだった薩摩藩士でキリスト教の男性が瀬棚に新天地を作るというので、東京に開業した医院を去って瀬棚に移住する。
瀬棚でも病院を開院した。
彼女の本を読んだ時、こんな凄い人が居たんだと胸に深く残っている。
今日のキャンプ場は何処にするかなと探す。
前回は漁火公園にテントを張った。
今日もと思ったが浜風が冷たい。
少し内陸側に来たら運動公園があった。
大きな野球場は草がぼうぼう伸びている。
使っていないのが分かる。
ここにしようと決める。
まずは温泉に行く。
公営温泉で450円、サウナもシャンプーも付いている。
2人しか入っていなかった。
温泉を出てバイクに乗る準備をしていたらお風呂に来たおばあちゃんが声をかけてくれた。
良いねと言って気を付けてねと言って入って行った。
嬉しいですね。
宿泊場所も決まったし温泉も入ったし、セイコーマート冷たいビールでも買おう。
温泉に張っていたポスター。
もう二人とも居ないぞ。
セイコーマートでバイクの青年と話す。
2輪の免許を取ってバイクを買って初めての北海道ツーリングだ。
やはり瀬棚のキャンプを何処でするか困っていた。
前回泊まった漁火公園を教えてあげた。
友達もそこが良いよと言っていたそうだ。
温泉に行ってからテントを張るそうだ。
彼は道の駅スタンプラリーをやっていた。
私が知っているのはノートにスタンプを押して集めていた。
今はアプリがあって、道の駅に着いたら目標地点の色がGPSで判断し色が赤に変わるそうだ。
それをぷちすればオーケーだそうだ。
どんどん進化している。
今日のテント場は決まった。
5時過ぎたらテントを張る。