モウズイカの裏庭2

秋田在・リタイア老人の花と山歩きの記録です。

カテゴリー「鳥海山逍遥」の目次

2025年04月05日 | 鳥海山逍遥

(記事の配列は訪ねた年に関係なく、月日の順に並べ、降順とした。)

鳥海山十二景(どれがお好み?)

東北の山を眺める3/秋田から見た鳥海山

東北の山を眺める2/山形から見た鳥海山

東北の山を眺める/まずは鳥海山・その1

New 鳥海火山帯はどこへ行った?

銀嶺・鳥海山(2023年12月6日)

晩秋の North East 鳥海(2021年11月30日)

晩秋、二度目の鳥海山逍遥と八塩山登山(2022年11月28日)・・・カテゴリー「東光山・八塩山」と共用。

観るだけの鳥海山(2019年11月27日)

New 冬間近の鳥海山(2024年11月26日)

2023年11月、鳥海山と他の山々

晩秋の鳥海山逍遥と八塩山登山・前編(2022年11月12日)

New 2024年11月10日、鳥海山と太平山 ・・・カテゴリー「太平山/秋、冬」と共用。

2022年新雪期の鳥海山逍遥(10月25,26日、11月1日)

雪化粧の鳥海山逍遥。(2020年10月28日)

もう紅くない鳥海山(2023年10月24日)

紅い鳥海山(2023年10月24日)

New 初冠雪&くれないの鳥海山(2024年10月21日)

黒い鳥海山(2023年9月23日)

合歓の木鳥海(2022年7月30日)

初夏のにかほ鳥海(2024年6月27日)

水田鳥海とねんねこぼぼこ(2023年6月1日)

2024年5月26日の秋田鳥海・後編

2024年5月26日の秋田鳥海・前編

五月の鳥海山にアプローチ(2020年5月26日)

晩春に鳥海山を一周・山形編(2022年5月25日)

晩春に鳥海山一周・秋田編(2022年5月25日)

りんご鳥海と水田鳥海など。(2022年5月9~17日)

こどもの日に見た秋田鳥海山(2024年5月5日)

春の鳥海山北東山麓ドライブ2nd(2023年4月28日)

North East 鳥海山・2022陽春(4月24日)

陽春の鳥海山(2024年4月22,23日)

南と西から見た鳥海山(2022年4月11日)

North East 鳥海山(2021年4月11日)

富士山似の鳥海山を探して。(2024年4月7,10日)

新庄から見た月山と鳥海山(2015年4月上旬)・・・カテゴリー「山形の山」と共用。

春の鳥海山を由利本荘のあちこちから(2023年4月2,4日)

酒田~にかほ間の鳥海山(2024年4月2日)

West Side 鳥海山(2021年4月1日)

庄内から見た鳥海山 (2020年3月30日)

庄内とにかほから鳥海山を望む。(2023年3月28日)

鶴岡~にかほ間の鳥海山(2024年3月24,27日)

三月になって初めて見た鳥海山(2022年3月10日)

鳥海山二変化(2015年2月、にかほと十文字から)

暖かい二月の鳥海山(2024年2月17,18日)

New 如月の鳥海八景(2025年2月15日)

真冬の鳥海山と他のお山(2016年2月12日)

今年初めての鳥海山(2021年1月26日、猿倉から)

New 真冬の晴日・鳥海山とこまち他(2025年1月19日)
・・・カテゴリー「車・鉄道」と共用。

にかほで初鳥海を見た。(2024年1月11日) 

この冬に見た白いお山まとめ(2019年12月、2020年1月、2月)


2023/10/24 猿倉から望む鳥海山


2021/04/11 猿倉から望む鳥海山



2018/02/02 上浜から望む鳥海山


以上。

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鳥海火山帯はどこへ行った?

2025年04月03日 | 鳥海山逍遥

60年も昔(1960年代後半)の話で恐縮です。
当時、私は小学校高学年か中学生になったばかりの頃でしたが、
当時の社会科(地理?)の教科書や地図帳に日本の火山帯の位置を記した図が載っていました。
東北地方には奥羽山脈と重なるように那須火山帯が南北に連なり、
そのすぐ西側、日本海沿岸に沿って鳥海火山帯が連なっていたように記憶しております。
私の実家のある横手市郊外からは南西の方角に鳥海山の姿を望むことが出来ましたが、
こんなに美しいコニーデ(?)火山を中心とした火山帯が有るなんて凄いもんだ。
と勝手に思い込んでいました。

2024年4月20日、横手市十文字町郊外から眺めた鳥海山。



ところが高校、大学へと進むようになったら、これら火山帯の名前をさっぱり聞かなくなりました。
大学を卒業する頃(1970年代の終わり頃)にたまたま購入した日本地理に関する書籍、
例えば、貝塚爽平・著、日本の地形(岩波書店・発行/岩波新書)などを読んだところ、
火山帯という用語がほとんど使用されなくなっておりました。
かわりに「火山フロント(火山前線)」という用語が出ており、たいへん驚きました。
どうやらこれはかつての那須火山帯などを指しているようです。

ところで鳥海火山帯はどこへ行ってしまったのでしょうか。

今頃になって「鳥海火山帯」とはなんだろうと調べてみました。
手持ちの広辞苑・第二版(新村出・編)(昭和48年発行)には、
北海道南西海上の大島を北端とし、岩木山(青森県)、鳥海山(山形県)を経て、
新潟県北東部の守門山浅草岳に至る火山帯。南端では那須火山帯と接合。」とありました。

以下は今回(2025年3月下旬)、ネットで検索したものです。
「鳥海火山帯」で引っかかって来た画像は次の「日本の火山帯」と記されたものと類似した図ばかりでした。

【日本の火山帯を記した図(今回、ネットから無断借用)】




文章は幾つか残っておりました。

デジタル大辞泉(小学館)によると、
「北海道南西海上の渡島 (おしま) 大島から東北地方日本海側の岩木山・鳥海山・月山を経て
新潟県中東部の守門 (すもん) 岳・浅草岳に至る火山帯。」
精選版 日本国語大辞典 によると、
「北海道渡島(おしま)半島南西方の渡島大島から那須火山帯とほぼ並走し、新潟県を経て、
長野県北東部で那須火山帯と合わさる火山帯。

岩木山・寒風山・鳥海山・守門(すもん)岳・浅草岳などが含まれる。 」
学研キッズネットによると、
「新潟県から東北地方の日本海側,さらに北海道の奥尻島までの火山群をまとめたよび方。
那須火山帯とほぼ平行している。最高峰は鳥海(2236m)で,苗場山・湯殿山・月山・岩木山などがある。」

・・・と古い広辞苑とほぼ同じようなことが書いてありました。

会社をリタイアする少し前、2015年頃から登山を再開しました。
私の登山は日本百名山を踏破するというようなピークハンティングではありません。
秋田やその近くの山を、花や景色を眺めるために登っております。
鳥海火山帯に属する山もその対象になります。

ところが鳥海火山帯はどこへ行ったものやら。

会社をリタイアしてすぐ、
小池一之ら編・日本の地形3 東北(東京大学出版会・発行)という大部な書籍を購入しました。



その141頁に次のような記述がありました。

「東北地方の第四紀火山は奥羽山脈の稜線付近に集中する。
火山は稜線に沿って満遍なく分布するのではなく、
約30~50kmほどの広がりの中に数個~数十個の成層火山と
いくつかの大きなカルデラが密集してクラスターを構成している。
山脈上には7つのクラスターが70~100kmほどの間隔で認められる。
奥羽山脈より西にある岩木山、寒風山、鳥海山、月山などの火山も
これらクラスターの西の延長上に分布するように見える。」

鳥海火山帯は既に解散消滅していたのです。
奥羽山脈より西にある岩木山、寒風山、鳥海山、月山などの火山は鳥海山を中心に
南北、縦に連なっているのではなく、
奥羽山脈上にある火山フロント、7つの火山クラスターから、
西や北西方向に走るひび割れの上に噴出した全く別々の火山だとようやく気付きました。
したがって、これらの火山を火山帯として一括りにするのは無理な気がします。

次の図は、「日本の地形3 東北」の142頁にあったものです。



例えば

岩木山ならば、八甲田十和田火山の一統、
男鹿半島の小火山は仙岩火山の一統、
鳥海山は栗駒鬼首火山の一統、
月山は蔵王船形火山の一統と考えた方がよさそうです。
ここで使った「一統」ですが、もしかしたら「一党」の方が適切かもしれません。

ところで何故、火山フロントが東北日本を走っているのか、
これについては手持ちの書籍、地学ノススメ(講談社/ブルーバックス)の142頁にある
鎌田弘毅先生の作成された図がわかりやすいなと思いました。



鎌田先生によると、
「太平洋プレートが日本列島のプレートに沈み込む過程で水を含んだ太平洋プレートから水が絞り出されます。
水は軽いのでプレートから離れて上の方に移動します。沈み込むプレートの上にはマントルがあり、
プレートから出た水はマントルに吸収されます。マントルの岩石は水が加わると少し溶けます。
こうして出来たマグマが地上に達すると火山が噴出し、ここに火山フロントが出来ます。」
とありました。

次の図は、講談社/ブルーバックスの「日本列島の下では何が起きているのか」
(中島淳一・著)の211頁に掲載されていた図です。
火山フロントや日本海側の火山が成立するメカニズムがうまく表現されているように思います。




なお「日本の地形3 東北」を読み進めたところ、
269頁に次のような記述かありました。冒頭部分のみ、抜粋してみます。

「6-4 岩木山・鳥海山・月山ー日本海側の火山群
 東北地方の日本海側には第四紀の火山が散在している。
北から岩木山、太良(だいら)駒ヶ岳、田代岳、戸賀、目潟、寒風、
肘折、月山であり、このうち、活火山は岩木山、鳥海山の二火山である。
戸賀、肘折は小カルデラ火山、目潟は単成火山群である。」

ここでも鳥海火山帯は消滅していました。

太良(だいら)駒ヶ岳とは聞きなれぬ山の名ですが、これは藤里駒ヶ岳を指すものと思われます。
以下、かつて鳥海火山帯に所属していたメンバーの風景写真をしりとりゲームスタイルで列記します。

【岩木山】
岩木山については、「日本の地形3 東北」の解説一部を引用させて頂きます。
「岩木山(1624.7m)は津軽平野の西に聳えるほぼ円錐形の成層火山で、北から東、南東に向けて
長い裾野を引いている。その形態から津軽富士の名で親しまれ、また古くから信仰の対象になってきた。
北西麓から南麓にかけては新第三紀層からなる低山地を経て白神山地に至っている。」

2015年6月11日、弘前市郊外から見た岩木山。



このお山、弘前など南東山麓方向から見た「山の字」姿が有名ですが、
南西方向、秋田側から眺めると、北海道・利尻山のように尖ったピラミッド型に見えます。

2020年5月30日、藤里駒ヶ岳山頂から見た岩木山。



【藤里駒ヶ岳】
この山はあまり知られていません。この山についての記述も少ないので、
ウィキペディアから抜粋引用させて頂きます。
「藤里駒ヶ岳(ふじさとこまがたけ)は、秋田県山本郡藤里町にある標高1,158mの山。
この地区の地名から太良駒ヶ岳(だいらこまがたけ)とも呼ばれる。(中略)
火山であり、ふもとに火山灰も積もっているが、歴史的な噴火等の記録は残っていない。
駒ヶ岳という名前は、馬の形に見える残雪期のネガ型の雪形に由来する。
この馬の雪形の見える時期がちょうど田植え期と重なるため、
農民は駒ヶ岳の雪形で田植えの季節を知ったという。(以下、略)」

2021年4月6日、南山麓の能代市二ツ井町から見た藤里駒ヶ岳。



南側の下界から見る姿は割とすらっとしていますが、

山の東斜面が山体崩壊を起こしているせいか
東の田代岳から望む姿はけっこう荒々しい印象でした。

2018年10月14日、田代岳山頂から見た藤里駒ヶ岳。


 

【田代岳】
この山もあまり知られていません。この山についての記述も少ないので、
ウィキペディアから抜粋引用させて頂きます。
「田代岳(たしろだけ)は、秋田県大館市にある標高1,178mの休火山。
田代岳県立自然公園の中心をなす。

大館市北西部、青森県との県境近くに位置し、白神山地に属する。雷岳(らいだけ、1,128m)、
烏帽子岳(えぼしだけ、1,133m)、茶臼岳(ちゃうすだけ、1,086m)と連峰を形成する成層火山である。
主山体は60万年前から47万年前までの火山活動により形成されたが、
約3.6-1.55万年前の間にも赤倉沢上流の馬蹄形地形を噴出源とする大規模な噴火 (噴出量0.7km3)が発生し、
南麓に火砕流が堆積した。

低層部にはブナ林が、9合目付近の高層部には「雲上のアラスカ庭園」と呼ばれる高層湿原が形成され、
120を超す数の池塘が散在する。高山植物の生息地であることから、
多くの登山客に親しまれている。(以下、略)」


この山は下界から見ても、また山の上から見てもさっぱり火山らしくない姿です。

2020年5月30日、藤里駒ヶ岳山頂から見た田代岳。



2018年10月14日、田代岳山頂近くの池塘。バックは岩木山。



【男鹿半島の小火山/目潟と戸賀湾】
男鹿半島・大潟ジオパーク公式サイトのこちらによると、
目潟のひとつ、一ノ目潟は次のように紹介されておりました。
「一ノ目潟は二ノ目潟、三ノ目潟とともに男鹿目潟火山群を構成しています。
東北地方では唯一の火山形態の一つであるマール(爆裂火口)として知られる淡水湖で、
男鹿市の水源にもなっています。」

また戸賀湾については、次のように紹介されておりました。
「戸賀湾は単成火山(一度の火山活動でできた火山)の火口に海が侵入して形成された湾です。
この火山活動は約40万年前に起こりました。火口の周りに噴出物(軽石など)が積もった丘があり、
タフリングと呼ばれます。

目潟も単成火山ですが、丘がほとんどなく、マールと呼ばれています。」

2021年2月28日、八望台付近から見た一ノ目潟。



2021年2月28日、八望台付近から見た二ノ目潟と戸賀湾。


 

【男鹿半島の小火山/寒風山】
男鹿半島・大潟ジオパーク公式サイトのこちらによると、
寒風山は次のように紹介されておりました。
「寒風山は標高約355mの火山です。火山活動は今から3万年以上前に始まり,
何度も繰り返された活動で安山岩の溶岩が積み重なって次第に大きくなることで今の形になりました。
現在は3つの火口(第1火口・第2火口・妻恋峠火口)を望むことができ、
「板場の台」では溶岩の流れた痕跡なども観察することができます。
寒風山の大部分が安山岩からなり、その上を薄い表土と芝生がおおっています。
この岩は「男鹿石」とも呼ばれ、護岸や庭石、墓石などに幅広く用いられており、
私たちの生活とも深く関わっています。」

2021年2月28日、八望台から眺めた寒風山。



なお天気が好ければ、寒風山から日本海越しに鳥海山を望むことが出来ます。

2021年2月28日、寒風山から見た鳥海山。



【鳥海山】
鳥海山については拙ブログの鳥海山関係カテゴリー記事で目いっぱい語っております
(例えば「鳥海山十二景(どれがお好み?)」など)。
本頁では北と西、南の三方向から見た姿だけでスルーさせて頂きます。

北から見た姿は寒風山から見た上の写真です。
西と南から見た姿は・・・


2024年1月11日、西側のにかほ市大須郷から見た鳥海山。



2015年6月7日、南側の月山から見た鳥海山。



【月山】

月山については、「日本の地形3 東北」の解説一部を引用させて頂きます。
「月山(1984m)は山形県の中央部に位置する第四紀火山であり、最高峰月山のほかに複数のピークが存在する。
これらをまとめて月山と考える場合が多い。月山火山の東方には第四紀の肘折火山や鮮新世の葉山火山が存在する。
(中略)
月山火山には地滑り地形や馬蹄形カルデラのような大小の崩壊地形が多数認められる。
そのうち最大のものは月山山頂から北西方向に開く長径約2.5kmの月山カルデラである。
このカルデラは月山火山が形成された後、山頂部が崩壊してできたと考えられている。



(中略)

月山は日本では珍しい楯状火山の例と古くから考えられてきた(辻村、1933)。
しかし実際には、典型的なハワイの玄武岩質の楯状火山とは異なり、安山岩~ディサイト質の溶岩流から成っている。
月山は山頂部が崩壊で欠落し、なだらかな山腹斜面を残す成層火山と考えるのが妥当である。」

解説文に出てきた月山カルデラは月山の北西方向にある庄内平野からよく見えます。
西側から見た月山が東側から見たものよりも荒々しく感じるのはそのせいでしょうか。

2017年3月19日、鶴岡市北西部から見た月山。



月山の東側になる新庄盆地や村山盆地から見た月山は笠、或いは楯を伏せたような姿に見えます。
私が子供の頃、このような形の火山はアスピーテだと教えられました。

2016年3月16日、南東側の山形市郊外から見た月山。



現在、我々が見ている月山は大きな成層火山の平らな残り斜面と言われています。
もし山頂部が残っていたなら、それはどれくらいの高さだったでしょう。
私の勝手な推測ですが、それは現在の鳥海山(2236m)を凌駕する高さだったかもしれません。
富士山と八ヶ岳が背くらべをした昔話をふと思い出しました。

2021年5月12日、黒森山(美郷町横手市境界)から見た月山と鳥海山。


以上。

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如月の鳥海八景(2025年2月15日)

2025年02月22日 | 鳥海山逍遥

今日(2月15日)は今月になり初めての快晴日だった。
今年になってもやっと二度目くらいの快晴だった
(今年最初の快晴はたしか1月19日(こちら)だったから、約ひと月ぶりの快晴となる)。
貴重な晴日の今日はこれまた冬場めったに見えない鳥海山を間近から眺めようと思い、
秋田県の南部、由利本荘市やにかほ市まで出かけた。
「八景」としたのは、帰宅した後に今日の撮影場所を数えてみたら、偶々8ポイントだったから。

最初の撮影ポイントは由利本荘市(旧由利町)陳ケ森集落だ。
ここから見る鳥海山は秋田市の我が家から見るものとほぼ同角度なので同形だ。




1月12日、秋田市自宅二階から見たしょぼい鳥海山。



我が家から見た鳥海山はご覧の通り遠くてちっこい。おまけに手前の山や電線のせいで見えにくい。

(旧由利町)陳ケ森からは鳥海山のほぼ全容が大きく望まれる。



しかし残念なことに風車群が手前に立っている。


参考マップ



二番目は旧矢島町持子地区から見た。ここから見た鳥海山に風車は無い。

旧矢島町持子から。



矢島から先は旧鳥海町猿倉まで移動した。
猿倉は秋田県側では最も鳥海山山頂に近い人里ではないかと思っている。
またここから望む鳥海山は富士山っぽい姿に変わっている。
もう少し東側、山奥の百宅に行くと更に富士山型になるが、裾野は見えなくなる。







集落の入り口の水田から見た姿が圧巻だが、ここは路駐になるため、長居は出来ない。

集落の奥(西側)に行くと見えにくくなるので、集落の東側に移動し、
人家の庭先から眺めてみることにした。
ここはとても雪が深く、積雪は場所によって1.5m以上有った。












山頂部はとても風が強いのか、雪煙が舞い上がっていた。




猿倉から先は鳥海山麓の高原を西進した。

途中、日陰の場所では道路が凍結、スリップしてヒヤヒヤ運転だった。
(由利本荘市の)桃野・谷地沢間の直線区間から見る鳥海山はいつもながら迫力が有る。
なおここから見る鳥海山は秋田市の我が家から見るものとほぼ同角度だ。




 


にかほ市冬師(とうじ)付近まで来ると、鳥海山は北面の馬蹄形カルデラが大きく口を開けた姿となる。




鳥海山の西側部分、扇子森と稲倉岳。




ここまで来ると、光線の角度の関係から逆光気味となり、

東の康新道稜線がテカテカと輝いて見えるようになった。




にかほ市の平野部に下りたら、
今度は横森の集落から北に向きを変えて、秋田市に帰る体制となる。

途中、防風林なのか鳥海山麓では珍しく杉の人工林の中を走る。
畑地区あたりで振り返ると、杉木立の間から鳥海山の山頂部が覗いて見えた。

 


山頂部は七高山(左)と新山(右)のツートップになっている。

この道を通るたび、鳥海山に参拝する参道のようだなと思っている。

にかほ平野の水田地帯を北に向かって走り、秋田市に帰る。
この辺りは秋田市同様、低地に雪はほとんど残っていなかった。
途中、田抓(たづかみ)付近から、今日最後の鳥海山を
(今日はこの後、雲が出たので秋田市に戻ってからは鳥海山が見えなかった)。







以上。

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冬間近の鳥海山(2024年11月26日)

2024年12月01日 | 鳥海山逍遥

11月になって鳥海山を見たのは今のところ11月10日だけだった。
この日は由利本荘市猿倉と横手市の保呂羽山から眺めている(記録はこちら)。
11月26日は久々に晴れとの予報だったので、
例のごとく、朝日に輝く鳥海山を見るべく、由利本荘の奥地、猿倉に向かった。

なお今回はいつもより30分ほど遅く自宅を午前5時ちょうどに出発した。
そしたら猿倉に着く前、旧矢島町付近で夜明けになってしまった。
そのため矢島町の郊外から見た鳥海山から始めてみる。
6時30分頃、鳥海山の右側の空がピンクに染まって見えた。










約10分後、鳥海山の山頂部がピンクに輝きだした。







いつもの撮影地、猿倉には7時ちょっと過ぎに到着、
背景の空に薄雲が広がったため、メリハリのない鳥海山になってしまったのは残念。







そのあと別角度から眺めるため、移動したら、はるか北東の方角に秋田駒ヶ岳と岩手山が並んで見えた。

秋田駒ヶ岳(左)と岩手山



桃野谷地沢の直線区間から。







その後はにかほ市の中島台に移動。

赤川の橋から。




中島台ではあがりこ大王まで行ってみたが、

今回は林の向こうに鳥海山が見えた。







冬近くなって葉が落ちたおかげなんだろうと思った。

ブナ林を出て、にかほ市郊外の小滝から。







以上。

2024年11月26日、鳥海山中島台・前編」へ続く。

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2024年11月10日、鳥海山と太平山

2024年11月20日 | 鳥海山逍遥

私事で恐縮。10月27日、庭の草刈りをしていたら、ギックリ腰をやってしまった。
その後は少し臥せっていたが、月が替わり、一週間も経ったら、だいぶ回復して来た。
11月10日は晴れとの予報だったので、久々に山に行ってみることにした。
最初に向かったのは鳥海山方面。午前4時半頃、秋田市自宅を出発。
6時少し前に目的地の由利本荘市猿倉(亀ケ森橋)に到着した。
日の出前だったが、鳥海山は見えていた。




鳥海山の今年の初冠雪は例年よりも遅く、10月21日だった(記録はこちら)。

その後、初雪は消えてしまい、今見ている雪は二度目、あるいは三度目の降雪で積もったものだ。
雪の線は中腹のおそらく標高1000mくらいまでは降下しているようだった。
山腹の紅葉は終わり、現在紅くなっているのは手前の山麓だけだった。
6時20分を少し過ぎたら、山頂部がポッと紅くなった。
モルゲンロートの始まりだ。




紅い輝きはじわじわと斜面を下っていく。




山腹全体が紅くなり、やがて山裾の紅葉と繋がった。







今回のモルゲンロートは思ったほど紅くはならなかった。

鳥海山と反対側の斜面の紅葉



6時45分頃、亀ケ森橋を発ち、数キロ奥の奥山放牧場に向かった。

ここでは牧場のシンボルのような枯れ木の左右から鳥海山を望む。







この少し先、堰口から上の道路はもう冬期通行止めに入っている。

よって今日はこれ以上、鳥海山に深入りせず戻ることにした。

7時ちょっと過ぎ、再び亀ケ森橋を通過、モルゲンロートの終わった鳥海山を望む。




亀ケ森橋を通るこの道は冬場に除雪しない。

そのためやがて通行止めになる。
この景色もたぶん今回で終わり、来年春の雪解けまでお預けとなる。




今日はこの後、横手市大森町の保呂羽山に向かった。

途中、走った旧東由利町の山間は濃霧に覆われ、何も見えなかった。
横手市に入った途端、霧が晴れてくれた。
保呂羽山は出羽丘陵のど真ん中、標高437mと低いが、鳥海山の眺めが好い。







鳥海山はどこから見ても美しいが、私はここから眺めた鳥海山の姿が特に好きだ。
秋田県民歌に謳われる「秀麗無比なる鳥海山」とはこの姿をいうのではないかと勝手に思っている。
鳥海山の左手前にある低山は八塩山(713m)。




保呂羽山の次は仙北市の抱返り渓谷に行った。

その帰り道、秋田市川辺赤平付近から太平山の山並みがよく見えた。
太平山は昨年7月の水害で林道や登山道が崩壊して以降、全く登っていない。
下からその姿を眺めるだけだ。

太平山の全体



中岳と鶴ガ岳



鶴ガ岳から奥岳にかけて。



剣岳から奥岳にかけてアップで。



太平山は11月8日に初冠雪が報告され、
我が家からも山頂部が白く見えたが、二日後の今日は全く雪が見えなかった。


太平山地最高峰の白子森(1179m)



以上。

2024年11月10日、保呂羽山1」へ続く。

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