(記事の配列は訪ねた年に関係なく、月日の順に並べ、降順とした。)
New 晩秋の善神(2024年10月21日)
深まる秋の鳥海山康新道往復・後編。(2019年10月16日)
深まる秋の鳥海山康新道往復・前編。(2019年10月16日)
2023年10月14日、鳥海山北面紀行(4)
2023年10月14日、鳥海山北面紀行(3)
2023年10月14日、鳥海山北面紀行(2)
2023年10月14日、鳥海山北面紀行(1)
New 2024年10月13日、鳥海山北面紀行・後編
New 2024年10月13日、鳥海山北面紀行・前編
鳥海山・祓川斜面で紅葉狩り(2021年10月10日)
鳥海山祓川ルートは紅葉してるかな。後編。(2022年10月9日)
鳥海山祓川ルートは紅葉してるかな。前編。(2022年10月9日)
秋の日に急遽、また鳥海山。(2021年9月29日)
紅葉の鳥海山康新道。後編。(2015年9月27日)
紅葉の鳥海山康新道。前編。(2015年9月27日)
終日晴天、鳥海山山頂まで。後編(2021年9月20日)
終日晴天、鳥海山山頂まで。前編(2021年9月20日)
鳥海山祓川周辺の花(2022年9月5日)
鳥海山祓川ルート途中挫折(2022年9月5日)
晩夏の鳥海山祓川ルート3(2023年8月30日)
晩夏の鳥海山祓川ルート2(2023年8月30日)
晩夏の鳥海山祓川ルート1(2023年8月30日)
晩夏の鳥海山・祓川から。3(2021年8月17日)
晩夏の鳥海山・祓川から。2(2021年8月17日)
晩夏の鳥海山・祓川から。1(2021年8月17日)
久しぶりの鳥海山、ただし途中まで。後編。(2013年8月11日)
久しぶりの鳥海山、ただし途中まで。前編。(2013年8月11日)
チョウカイフスマを見に鳥海山へ。2(2015年7月11日)
チョウカイフスマを見に鳥海山へ。1(2015年7月11日)
New 晩春の鳥海山祓川(2024年5月26日)
2015/07/11 康新道からツートップ(左・七高山、右・新山)を望む。
2019/10/16 康新道から稲倉岳を望む。
2015/07/11 御田の雪渓を下る。
以上。
(本頁は「初冠雪とくれないの鳥海山」の続きである。)
今日は初冠雪の鳥海山を眺めるため、早朝から鳥海山の北山麓に詰めていた。
折角来たので、鳥海山の登山ルートのひとつ、矢島口の四合目にあたる善神にも寄ってみることにした。
谷地沢と桃野の間の直線区間から鳥海山を望む。
(右上)駒の王子の手前付近の直線区間から鳥海山を望む。
駒の王子にはみごとなブナ林が広がっているが、今回はどうしたのだろう。
ろくに紅葉しないまま、落葉している木が多かった。
写真はまだ落葉してなかった貴重な木。
善神まで上がるとブナの木は既に落葉した後だった。
善神沼の降り口から鳥海山を望む。
沼のほとりに降りて鳥海山が見える場所を探す。
唯一の場所は水草の生えたぬかるみの中だった。長めのゴム長を穿いてて正解だった。
沼の周囲を廻ってみる。
ヒメモチだろうか。
(右上)カエデの残紅葉
ミズナラの紅葉
(右上)ブナの実
マルバマンサクの黄葉
ナナカマドの実
ツルアリドオシの実。右の葉はツルリンドウ。
沼から這い上がって少し上に行ったら、鳥海山がよく見えるようになった。
今日は五合目・祓川まで上がらず(10月13日に来たばかりなので)、
早朝に来た猿倉に下りることにした。その途中での眺め。
鳥海山
遠く焼石岳
遠く栗駒山と泥湯三山
ブナ林
以上。
(本頁は「2024年10月13日、鳥海山北面紀行・前編」の続きである。)
今日の最終ポイント
(手持ちの昭文社地図では近くに「台」という地名が記載されていたが、厳密には何と呼ぶのかわからない。
昨年の私の投稿では勝手に「康の断崖」と呼んでいた。)
まではあと少し。
そこに至るには地図には表現されていない渓谷を越えなければならなかった。
(右上)エゾクロクモソウ
ここは夏場に訪れると、ダイモンジソウやエゾクロクモソウなど意外な花が咲き乱れていた。
渓谷から這い上がると、またまた草原鳥海。
右から新山が現れ、ツートップのスタイルになる。
康の断崖に到着。時計を見たら、午前9時ちょっと過ぎで
最近の私には珍しく早いペースでの到着だった。
断崖の際に進んでいくと、鳥海山の西側山体がカルデラの対岸に見える。
七五三掛や扇子森など。
稲倉岳と手前は中島台。
中島台は残念ながらさっぱり紅葉してなかった。
北側のカルデラ壁を望む。
チョウカイフスマの秋姿
ミヤマキンバイの紅葉と狂い咲き
(右上)ホソバイワベンケイの紅葉
写真撮影に熱中し、ふと見上げたら、鳥海山にこのような形の雲が現れた。
するとその約十分後にはガスに包まれて何も見えなくなった。
風も強くなり、気温も下がって来たので、
雨で掘れた登山道の蔭に身を寄せながら、超早い昼飯とした。
実は今回の最終ポイントには思ったよりも早い時間に着いたので
あわよくば七高山山頂までとも思ったが、
今回は天候の急変も受け、やはり当初の予定通り、ここで思い止まることにした。
現金なもので、七つ釜まで下りたら、ガスは晴れた。
登りの時、晴れている時は逆光でよく見えなかった七つ釜の中身がよく見渡せた。
続いて御田の全貌。
賽の河原まで下りたら、今度は全体に日が当たっていた。
タッチラ坂の下りでは登りの時に見過ごしてしまった紅葉が見えた。
オオカメノキの紅葉
下る途中、赤滝方面の紅葉が奇麗だった。
赤滝入り口の紅葉
肝心の赤滝だが、晴天の昼の時間帯は逆光で見えにくかった。
鳥海山がまた見えるようになったのにこれは残念だった。
竜ヶ原湿原に到着。
鳥海山はまた雲に隠れてしまったが、湿原の草紅葉は好い色合いだった。
以上。
鳥海山は十月になると、毎年のように北東側の祓川コースを歩くようにしている。
それは樹木紅葉を見ることが目当てなのだが、
ここ二年くらいは色付きがイマイチの感がある。
夏場の大雨や猛暑が災いしているように思うが、今年はどうだろうか。
参考マップ
10月13日は予報では晴れだったが、
早朝は霧ですっぽりと包まれ、何も見えなかった。
それでも6時ちょっと過ぎに祓川から歩き出したら、竜ヶ原湿原はこんな感じだった。
今年10月の山は秋田駒ヶ岳に続き、ふたつ目だかどうも天気に恵まれない。
ここもそうかとガッカリしていたが、湿原の木道を三分の一くらい進んだら、
あら不思議、急に目の前が明るくなり、霧が晴れ出した。
ところが現れた山裾はあまり紅葉してなかった。
最初の上り坂、タッチラ坂の樹林内もあまり紅葉してなかった。
タッチラとはダケカンバの方言名のようで、
この坂道ではところどころでご覧のような奇怪な姿のダケカンバが見られる。
タケシマランの実
(右上)ツルリンドウの実
坂の上には恐竜のアタマのような奇怪な古木が横たわっていた。
これもタッチラ(ダケカンバ)だ。
私は勝手にタッチラ坂のヌシと呼んでいる。
ヌシを過ぎて坂道が緩くなってきたら、六合目の賽の河原が近い。
目の前にちらりと鳥海山が見えて来た。
霧が完全に無くなり、晴れていたことに今頃になって気づく。
このあたりの紅葉は割と奇麗だったが、以前に較べると赤味が足りなかった。
紅葉が紅くならないのは何故なんだろう。
雪渓跡地、賽ノ河原に到着した。
ここは朝、通る時はいつも日陰になっている。
登り終えて上から振り向いても日陰のままだ。
その上は日向になっている。
御田の原っぱだ。この地の標高は約1450m。
紅葉はもう終わったのか、原っぱも山の斜面も枯れ色になっている。
ここではチングルマだけ紅葉していた。
御田の水風景と草紅葉を眺めながら坂道を登って行く。
この先で見かけた草木。
イワイチョウの残り花。
(右上)マイヅルソウの実
ナナカマドの実
エゾオヤマリンドウの残り花
(右上)アオノツガザクラの実
七つ釜の上の分岐で康新道に進む。
ほどなくして三角石のある原っぱに到着。
ここからは草原の上に鳥海山がよく見える。
三角石の向こうに竜ヶ原湿原や祓川ヒュッテも見えた。
(右上)ウゴアザミの残り花。
今日の最終ポイントまであと少しだ。
以上。
「後編」へ続く。
鳥海山の登山口のひとつ、祓川(はらいかわ)に私は初秋以降はよく行くが、
春や初夏はほとんど訪ねたことが無かった。
それはたぶんこちらの登山ルートは積雪が多く、夏遅くまで雪渓が発達しているためだ。
私の登山は花や紅葉が目当てなので、雪ばかりの時期の祓川にはさっぱり寄り付かなかった。
今日は素晴らしい晴天だったので、秋田側の鳥海山をめいっぱい愉しもうと思い、やって来た。
通常ならば山腹を巡るだけで終わるが、たまには高所の祓川も見ようと思った。
多くの皆さんは祓川には花立牧場から入るものだが、私は猿倉から堰口経由で入ることが多い。
今日も猿倉から入った。
途中のお花園湿原からはブナの木に包まれた鳥海山が見えた。
タムシバ
(右上)ウワミズザクラだろうか。
ムラサキヤシオ
ズダヤクシュ
猿倉口ルートの登山口は雪で塞がれたままだった。
(右上)ミズバショウ
祓川キャンプ場までやって来た。
ミヤマスミレ
(右上)ノウゴウイチゴ
祓川の駐車所に到着。
マルバマンサク
オオカメノキ
祓川ヒュッテ手前から竜ヶ原湿原の西側を廻る散策路に入ってみた。
散策路から湿原と鳥海山を望む。
鳥海山の西半分。
西端にある稲倉岳。
東を望むと横手盆地と遠く焼石岳。
ミネザクラ
竜ヶ原湿原(標高約1180m)は入り口に立っただけ。
ここには秋にまた来るだろう。
以上。