若葉のころ 作者大隅 充
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テーブルに戻ると前菜のシラスとめかぶの小鉢に
セロリと水菜のサラダが並んでいた。トモミの前に
はコーヒーが置かれ湯気が立っている。
そして私が座るとあの若いバンダナの店員ではなく、
白髪のボブヘアで少し背中の曲がった年寄りの女店
員がコーヒーを持って来る。静かにカップを置くと
「少々パスタは時間がかかるで」と聞き取りにくい
掠れ声で言うとペコリと頭を下げて去って行く。星
条旗をあしらった店のロゴ入りのエプロンが余りに
も不釣合いでそれがこの店を取り仕切っている女将
というには威厳の外観を奪っているし、ふてぶてし
いところからして近所の雇われ小母さんにも見えず、
油と醤油のセパレートドレッシングのように馴染め
ないゆっくりとしたテンポの対流をこのステーキハ
ウスの中で起こしている。
「あのおばちゃん、元海女だって。」
トモミはゴクリとコーヒーに口をつけて密告する。
「70を過ぎてるわりには色黒いし肌にハリがある
でしょ。」
「でもなんかこの店に馴染んでないよね。」
「そりゃ。ここで元うどん屋をやっていたんだもの
。おばちゃん。」
「そうか。じゃ。あのおばちゃん、バンダナイケメ
ンのお婆ちゃん?」
「ピンポン!当り。」
「どうりで・・堂々としてると思った。」
「夜になるとパートの女子高生が来る。それまでの
暇な時間帯のツナギね。」
「私も今マリエントというところのレストランで
接客してるから、なんとなく察しはつく。」
「そうう。働いてるん?」
「冬場は、出稼ぎ。夏になるとペンションも予約が
入るから。やめるけど。」
「そうか。旦那さん、ペンションやってたっけ?ど
こで?」
「金田一温泉の近く。折爪岳の麓。」
「へえー。ペンション経営かあ。いいなあ。」
「ほとんど道楽よ。夏、主人の大学関係の合宿と細
々とした常連客だけだもん。シーズン以外は主人も
町議会。私はただ言われた通りベッドメイキングと
か食事の用意とか手伝うだけ。」
「理想的だわ。堅実よ。」
「そんなこと・・・」
「確か旦那さん、十離れていたっけ。」
「うん。おじさん。」
「先生と生徒だったんでしょ。すみれ。」
「みんな勝手に尾ひれつけてるけど、短大のときに
研究室の助手だったの。先生じゃないの。」
「まあ。どっちでもいいわ。生物学の研究だけでな
く恋も手解きしてもらったってことね。」
「三文小説じゃないんだから・・」
と怒ってみせると「ーだよね。」とトモミも自分で
言いながらおかしくなって二人して涙が出るほど笑
う。
私は、ハンカチで目尻を押さえてコーヒーを飲み干
すと他に客がいないせいもあって店内が急にシーン
と冷める。
トモミは、ガラスの向こうの輝く海を見つめる。そ
してため息をつくと思い荷物を置くようにつぶやく。
「やっぱ同級生同士ってダメね・・・」
「結婚はそれぞれよ。他人の畑がよく見えるだけ。
私だって・・・」
と言いかけていると今度はバンダナの店員が料理を
持ってくる。
「さあ。お昼食べてないの。お腹すいた。」とトモ
ミはバンダナにウィンクしてナプキンを胸に当てる。
「ここの。おいしいだけじゃなく量もあるから。覚
悟してー。」
確かに皿自体が大きい。
「大丈夫。食べきらない分は残してください。」
とバンダナは、さわやかな微笑みをこぼす。
パスタは、八戸や盛岡でも味わえない都会の味がした。
そして食事も終わってデザートのババロアにテー
ブルメニューが替わった頃夕日が店内に侵入して来
て足元にデッキ柵の長い影が延びている。。
トモミは、しばらく前からトイレに立ってなかなか
帰って来ない。
私は、静まり返った店を見回してログハウスの壁に
カジキやマアジの魚拓が飾られているのを見てあの
バンダナの男が釣ったものかしらと想像する。
口の中にババロアの甘さが残っていて追加したコー
ヒーで流し込もうとするがもうコーヒーはカップの
中に小さな水溜りしかない。仕方ないからグラスの
水を飲む。グラスの淵に口紅がついた。
私は、すぐにサイドバッグから化粧品のポーチを出
して高かった口紅スティックを取り出そうとして入
っていないことに気づく。さっき下のトイレに忘れ
てきたことを思い出した。
私は口紅はまだ買ったばかりで高かったんだしと
少し焦って、取りにいこうと席を立つ。
トモミがきっとトレイの洗面で口紅を見つけてくれ
ているかもしれないと思いながら階段を下りていく
私の目に薄暗い階下の倉庫と化したホールの隅で二
匹の獣が蠢いている姿が飛び込んで来る。
それは、発情期の野犬でもカモシカでもない。
それは、うず高く積まれたテーブルの薄暗い影で縺
れるように抱き合っているトモミとあのバンダナの
若い店員だった。