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ある日カッパ姉ちゃんとカメラおじさんの家に一匹の子犬がやってきた。
日々のうつろいの発見と冒険を胸に生きていこう!

さすらいー森の王者3

2010年09月10日 | 投稿連載
森の王者 作者大隅 充
              3
その偉大なオサのカケラが自分の体の中にあるという
ことがチャータにとって不思議でならなかった。母が
語って聞かせてくれたような伝説的な指導者の輝かし
い力と立場からまったくチャータは遠く外れていると
今しみじみ思う。親兄弟を失い、北海道から本州まで
たった一人で流れて来て群れを導くどころかその日の
空腹を満たすのにやっとの野良犬暮らし。とてもそん
な立派なオオカミの影響なんか微塵もないと濡れた前
脚の毛を舐めながら溜息をつく。
チャータは何よりも自分が何代にも亘る遠い時間の
渦を流れ流れて雑種混合の末に生まれた惨めで情けな
い一匹の犬でしかないと考えている。駄犬ではないが
本当に単なる凡犬。そのことはチャータ自身がよく自
覚している。ただそれでも少しこの頃優しくしてくれ
た亡き母に誇れるものが自分にあるとすると、それは
孤独な山の生活で一人で獲物を捕って生き延びること
ができたことぐらいだ。もし母が生きていたら、必死
の思いで射止めたヤマドリを咥えて母の口へ持って行
ってやれるのにと悔やまれてチャータは霧に包まれた
山頂で高く鼻を突き上げ、叫びのような長い遠吠えを
山肌へ轟かせた。
   どのくらい眠ったのか。明け方。チャータの目の前
の湿地を大きなものが過った。霧はご来光の前の弱い
光を吸ってはげしく流れていた。あれだけ昨日真っ白
な世界だったのが今は山頂の沼がうっすらと見える。
下の尾根から湧いて来た霧がみるみる反対の尾根へ立
ち上がって下って行く。
 チャータは、目をこすって背筋を伸ばした。すると
霧の沼の中に一匹の綺麗なオオカミの姿を見た。若い
メスのようだ。全身が深い灰色の毛に覆われいるが胴
や手足が馬のようにしなやかで引き締まっていた。
そして胸のフサフサの栗毛を震わせて尖った顎を天に
向けると威嚇とも誘惑ともとれる叫びをあげた。チャ
ータは、体のあらゆる部分の内側から粟粒のように湧
き出る得も言われぬ野生の奮えが走るのを感じた。
そして頭を何回も大きく上下に振って鼻を鳴らした。
クンクンクンクン・・・
チャータがゆっくりと沼の方へ進み脚を水に差し込んだ
時白い牙を剥いてその栗毛のメスは威嚇した。
チャータは、負けてはいけないと腰が引けそうにな
るのを我慢して沼の中へ入って行った。すると栗毛は、
霧の流れに乗って沼の上をぴょんぴょんと跳んだ。
そしてあっという間にチャータの目の前から消えてし
まった。チャータは沼を出て霧の下る尾根へ匂いだけ
を頼りに駆けた。帝釈山が桧枝岐へ下る尾根口の小灌
木に白いしっぽが一瞬見えて隠れた。チャータは岩山
を走って追いかけた。しかしどれだけチャータが全速
力で駆けても若い栗毛の走りはその倍のスピードで風
を切った。
やがてヒウチガ岳と桧枝岐への分かれ道では完全に
カモシカのように走る栗毛を見失ってしまった。チャ
ータは、ナラの樹の根元に栗毛の小便の匂いを見つけ
た。その臭いはキツい、初めて嗅ぐメスの匂いだった。
息が詰まって前脚の力が抜けていつまでもクンクンク
ンと鼻を根元に寄せた。
霧はきれいに無くなり、朝陽が山肌を明明と照らし
て緑の山が鮮やかな木々の山の形を現にして大地に立
っていた。
チャータはまるで強い麻薬を吸いこんだようにクラ
クラと目が廻り、体が痺れた。反吐が出るような刺激
臭がだんだん慾情をそそる電流になってチャータの中
を駆け回る。あの、栗毛はいったい本当にオオカミな
のか、それともヤマイヌなのか。自分と年もそれほど
違わないのにまるで大人と子供の隔たりがある。風の
ように消えた桧枝岐への尾根道をひとりで下りながら
チャータは、ふいに思いもよらぬ孤独感に包まれた。
 それからどれだけの数の森を彷徨ったか。チャータ
は栗毛に出会うこともなく秋から冬へ山の生活をつづ
けた。桧枝岐の集落を越え、ヒウチガ岳が見えるオク
ヤマの森でその季節を過ごした。1500メールの山
岳は人間がまだ誰も入ったことのない沢があり、林が
ある。ここでは主にシカを捕ることを覚えた。逃げ遅
れた小ぶりのシカを沢に落とし、咽を喰いちぎりモモ
の肉から食べて枯葉で隠し数回に分けて食す。1週
間はこの一匹で過ごすことができた。この秋のひとり
狩りで覚えたことは、獲物を骨ごと食べることだった。
これでチャータは見違えるほど体が大きくなり、急な
岩場もカモシカのように跳び渡ることができ精悍にな
った。何よりも少々の雨や雪では風邪をひかなくなっ
た。
ただこのオクヤマから木の実のあるさらなるオクヤ
マへ行こうとしたら、その谷には主がいてチャータを
決して受け入れてくれなかった。
それは巨大なイノシシのタルカだった。
コメント
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