懐かしい人への旅 作者大隅 充
1 まえがきにかえて
飛行機が雨の羽田を離陸してすぐに寝不足が祟って
富士山を窓越しに眺めながら私は眠ってしまったら、
次に起きた時はもう九州を離れて沖縄へ近づいていた。
元々滅多に夢なんか見ない性質だったのに最近訳のわ
からない夢にうなされることが何回かある。
ちょうどこの日も芝居小屋の奈落で廻り舞台を裸で
押している夢を見ていた。一人で回転棒を廻してもな
かなか動かず汗と筵の地面を踏ん張る足の剥がれた爪
から出る血が飛び散る。腿の筋肉と両腕の筋肉が弾け
てバラバラになったところで目が覚めた。
夢でよかった・・・
眼をこすりながら飛行機の窓を見ると、不思議な光
景が広がっていた。又夢かと思ったがこちらは、現実
だった。
それは、巨大な雲の神殿だった。高さが100メー
トルから1キロにおよぶ神殿の柱が幾つも幾つも直立
で立っている。飛行機はその巨大な柱と柱の間を縫っ
て飛んでいる。何回も飛行機には乗ったがこんな光景
を見るのは、初めてだった。
青空もなく白い綿の神殿の中は、奇妙なくらいに明
るい。普通空が見えない分鬱蒼とした暗さがある筈が
ちょうど庭に干されたシーツの中に潜ったような明る
さだった。私は、しばらく眼をこすってその神々しい
拝殿の間を機体がくぐって行くのを眺めていた。
すると一羽のスズメが神殿の絨毯から突き出て来て
私の目の前を飛んで来た。そして左右に羽根を揺らし
ながらそのスズメは、口から黒い煙を吐いて螺旋を描
き出した。
スズメではなかった。それは、ゼロ式戦闘機だった。
操縦席には白い顔をした童顔の青年が操縦桿を握りし
めて、機体に異常を来したのか、必死に機体を立て戻
そうとしていたが黒煙のマントに絡まれたゼロ戦はど
んどん錐揉み状に雲の床を再び突き抜けて見えない東
シナ海へ落ちて行った。
私は、あの白い顔の戦闘機乗りは、帝大の秀才とい
われた脚本家の窪田篤人の幼馴染だと直感した。「パ
パと呼ばないで」「水もれ甲介」などのテレビドラマ
を書いた窪田さんは、晩年熱海で一人暮らしをしてい
た時ひとりの男のことが気になっていた。それは、小
学生の時の同級生で優等生だった無骨な男だった。あ
まり親密な付き合いをしていなかったが窪田が上京し
て銀座を歩いていた時に偶然その同級生に高級な宝石
店で見かけて声をかけた。1944年。春。まだ戦争の激
しい最中のことだった。
「おーい。○○君じゃないか。」
「ああ。窪田か・・・・」
とそのニキビ面の同級生は、恥ずかしそう挨拶した。
「いや、ちょっとな・・・」
それ以上言わない同級生に「そうか」と気を利かして
別れた。誰か女にネックレスをプレゼントするために
店を物色していたのは、明らかだった。
あの優等生で女なんか全く縁遠い無骨な男が女にプレ
ゼントを買っていた。それっきり窪田は、その男とは
逢うことはなかった。窪田自身は、昭和20年に終戦を
迎え新宿ムーランルージュの文芸部からテレビの放送
作家になり、青春ものからホームドラマまでこなす売
れっ子脚本家になった。そして21世紀目前の1998年
69才で病気で亡くなった。その死のほんの間際になっ
てなぜかあの銀座でブレスレットを買っていたカタブ
ツの同級生のことが気になって九州のその男の実家ま
で訪ねて行った。
その九州の実家には、彼の弟さん家族がいた。そし
て兄は戦死しました。とその弟さんから聞いた。
「兄は、沖縄へ特攻に行くために鹿児島で訓練してい
ました。その訓練中にエンジンのトラブルで東シナ海
で墜落死しました。」
そうか。やっぱりか。あの戦前の銀座での遭遇以来逢
えなかったのはそういうことか。窪田は、晩年になっ
て引っ掛かっていたものがはっきりとしたと同時にあ
の時あいつが渡そうとしていたブレスレットはどうな
ったのか。無性に知りたくなった。
「お兄さんには恋人がいたんじゃないですか。」
そして銀座の宝石店の話をすると、弟さんの後ろにい
た弟さんの奥さんが泣きだした。
「そのブレスレットは、私が貰いました。今でも大事
にとっています。」
それ以上何も言えず窪田は熱海へ帰って行った。そ
してその豪華な海の眺めが自慢だった家でひとりで死
んだ。
今見ている雲の神殿をあの窪田の同級生は私と同じ
ように見たのではないか。そう思うとこのムーランル
ージュ新宿座の生き残りを探す私の旅が貴重で尊いも
のに思えてくる。新宿にあったひとつの芝居小屋がど
れだけの人に夢と笑いを与えつづけてきたか。私は、
語らなければならないように思う。
1 まえがきにかえて
飛行機が雨の羽田を離陸してすぐに寝不足が祟って
富士山を窓越しに眺めながら私は眠ってしまったら、
次に起きた時はもう九州を離れて沖縄へ近づいていた。
元々滅多に夢なんか見ない性質だったのに最近訳のわ
からない夢にうなされることが何回かある。
ちょうどこの日も芝居小屋の奈落で廻り舞台を裸で
押している夢を見ていた。一人で回転棒を廻してもな
かなか動かず汗と筵の地面を踏ん張る足の剥がれた爪
から出る血が飛び散る。腿の筋肉と両腕の筋肉が弾け
てバラバラになったところで目が覚めた。
夢でよかった・・・
眼をこすりながら飛行機の窓を見ると、不思議な光
景が広がっていた。又夢かと思ったがこちらは、現実
だった。
それは、巨大な雲の神殿だった。高さが100メー
トルから1キロにおよぶ神殿の柱が幾つも幾つも直立
で立っている。飛行機はその巨大な柱と柱の間を縫っ
て飛んでいる。何回も飛行機には乗ったがこんな光景
を見るのは、初めてだった。
青空もなく白い綿の神殿の中は、奇妙なくらいに明
るい。普通空が見えない分鬱蒼とした暗さがある筈が
ちょうど庭に干されたシーツの中に潜ったような明る
さだった。私は、しばらく眼をこすってその神々しい
拝殿の間を機体がくぐって行くのを眺めていた。
すると一羽のスズメが神殿の絨毯から突き出て来て
私の目の前を飛んで来た。そして左右に羽根を揺らし
ながらそのスズメは、口から黒い煙を吐いて螺旋を描
き出した。
スズメではなかった。それは、ゼロ式戦闘機だった。
操縦席には白い顔をした童顔の青年が操縦桿を握りし
めて、機体に異常を来したのか、必死に機体を立て戻
そうとしていたが黒煙のマントに絡まれたゼロ戦はど
んどん錐揉み状に雲の床を再び突き抜けて見えない東
シナ海へ落ちて行った。
私は、あの白い顔の戦闘機乗りは、帝大の秀才とい
われた脚本家の窪田篤人の幼馴染だと直感した。「パ
パと呼ばないで」「水もれ甲介」などのテレビドラマ
を書いた窪田さんは、晩年熱海で一人暮らしをしてい
た時ひとりの男のことが気になっていた。それは、小
学生の時の同級生で優等生だった無骨な男だった。あ
まり親密な付き合いをしていなかったが窪田が上京し
て銀座を歩いていた時に偶然その同級生に高級な宝石
店で見かけて声をかけた。1944年。春。まだ戦争の激
しい最中のことだった。
「おーい。○○君じゃないか。」
「ああ。窪田か・・・・」
とそのニキビ面の同級生は、恥ずかしそう挨拶した。
「いや、ちょっとな・・・」
それ以上言わない同級生に「そうか」と気を利かして
別れた。誰か女にネックレスをプレゼントするために
店を物色していたのは、明らかだった。
あの優等生で女なんか全く縁遠い無骨な男が女にプレ
ゼントを買っていた。それっきり窪田は、その男とは
逢うことはなかった。窪田自身は、昭和20年に終戦を
迎え新宿ムーランルージュの文芸部からテレビの放送
作家になり、青春ものからホームドラマまでこなす売
れっ子脚本家になった。そして21世紀目前の1998年
69才で病気で亡くなった。その死のほんの間際になっ
てなぜかあの銀座でブレスレットを買っていたカタブ
ツの同級生のことが気になって九州のその男の実家ま
で訪ねて行った。
その九州の実家には、彼の弟さん家族がいた。そし
て兄は戦死しました。とその弟さんから聞いた。
「兄は、沖縄へ特攻に行くために鹿児島で訓練してい
ました。その訓練中にエンジンのトラブルで東シナ海
で墜落死しました。」
そうか。やっぱりか。あの戦前の銀座での遭遇以来逢
えなかったのはそういうことか。窪田は、晩年になっ
て引っ掛かっていたものがはっきりとしたと同時にあ
の時あいつが渡そうとしていたブレスレットはどうな
ったのか。無性に知りたくなった。
「お兄さんには恋人がいたんじゃないですか。」
そして銀座の宝石店の話をすると、弟さんの後ろにい
た弟さんの奥さんが泣きだした。
「そのブレスレットは、私が貰いました。今でも大事
にとっています。」
それ以上何も言えず窪田は熱海へ帰って行った。そ
してその豪華な海の眺めが自慢だった家でひとりで死
んだ。
今見ている雲の神殿をあの窪田の同級生は私と同じ
ように見たのではないか。そう思うとこのムーランル
ージュ新宿座の生き残りを探す私の旅が貴重で尊いも
のに思えてくる。新宿にあったひとつの芝居小屋がど
れだけの人に夢と笑いを与えつづけてきたか。私は、
語らなければならないように思う。