カジュアル・アミーガ         本ブログの動画、写真及び文章の無断転載と使用を禁じます。

ある日カッパ姉ちゃんとカメラおじさんの家に一匹の子犬がやってきた。
日々のうつろいの発見と冒険を胸に生きていこう!

懐かしい人への旅4

2011年05月15日 | 投稿連載
懐かしい人への旅 作者大隅 充
       4
中村公彦さんは、救世軍病院で七夕の日に94才
で亡くなられた。
半月ほどの闘病の末ドイツから帰って来られた長
女のくみさんや長男の公治さんの家族・親類。そ
れから映画美術の弟子達など数々の知人たちの見
舞いを受け簡単な会話を交わすことができ、最後
は肺炎が引き金になって老衰による長寿を全うさ
れた。
 私は、三輪画伯や土屋さんと入院されて早い時
期にお見舞いに行き、「ムーランの映画をつくり
ます」と挨拶して手を握ってもらった。先生は、
枯れた声で「ああ」と言って細くなった瞼の中の
瞳にはっきりとした光を放って頷かれた。先生の
手は大きくてしっとりとしていて思いの外、力強
がった。
「ムーランを頼むよ」と言われたように感じた。
まさかこの瞬間がその後の長いムーランルージュ
新宿座への旅立ちの第一歩になるとは夢にも思わ
なかった。先生が倒れてからムーランの取材と企
画はもう無理だと回りからも囁かれていたし、ど
のプロダクションもプロデューサーもそんなもう
誰も知らないモノをやったってショウバイになら
ないし、個人的につくっても誰が見るの?と言う
声が圧倒的だった。そんな中私は、正直なことを
言えばほっとした部分があった。これでムーラン
の記録映画製作がやめられる。自分としては、自
主制作するとしても資金があるわけでもないし、
ムーランと言っても中村先生以外に伝手もなく、
どういう風に取材をしていけばいいのか皆目見当
もつかなかったので、その肝心の先生の取材がで
きないということはこの企画がそもそもみんなの
言うように無謀なものでこの先の途方もない苦労
を考えるとできなくてよかったと安心する気持ち
があったのは、事実である。
 ところが病室のベットで先生と手を握った時何
かが変ったような気がした。そのときは全くそれ
が何かはわからなかったけど、今思ってみるとそ
れは、先生のムーランに対する意思だったように
思う。
 本当にこんなことってあるんだなとびっくりす
る。それもこの後不思議なことが次々と起こって
くるのだからあの先生のムーランに対する情熱と
思いのこもった握手が最初のはじまりだったのだ
とつくづく思う。人の一生とその生き抜いてきた
その人間の意思というものがどれだけ大きな力を
もっているのかがまさしく実感させられた。人っ
て強い思いがあればそれはその人の死後も受け継
がれるのだ。それが偉大な人であればなおさらそ
の伝播力は強いのかもしれない。
 あの病室の見舞いのとき先生の看病に来ていた
中村先生の亡くなった奥さんの妹さんの下林智子
さんが「ムーランの戦前の踊り子さんがわたしの
知り合いでまだいますよ。」
と教えてくれた。
「戦前のムーランを知っている人」がいる。こち
らは、藁をもつかむ気持ちで「是非紹介してくだ
さい」とその場で連絡先を聞いた。
それが大空千尋さんという戦前数年いて戦争と終
戦で一時途絶えて戦後また復帰して女優として活
躍した人だった。この出会いが不思議のはじまり
の第二歩だった。
 そして中村公彦さんの葬儀は、7月8日。調布
メモリアルホールで行われて多くの映画関係者や
故人をしのぶ人たちが集まった。
 花輪で目立ったのが「二十四の瞳小豆島」とい
う木下恵介監督の名作の地元のものと急遽朝届い
た「吉永小百合」という献花だった。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Cardごのみ153~ミュシャ風イラスト1&Flower Thanks1

2011年05月15日 | 食玩小物
今日はいつもより乙女チックな雰囲気のカード2枚です♪
上は輸入菓子パッケージのミュシャ風イラストを切り取って、
グロスマン・シールとコラージュ。
下はフォト・エッセンスのお花を組み合わせて、
フェミニンに仕上げました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする