若者はいつも時代の先頭を走りたいもんだ。
そのためにはこれまでの常識を真っ向から否定し
まだ流行していないものを見つけては、
これこそは時代の最先端とばかりに大声で叫ぶ。
またこれまでにはなかった造語を作っては、
大部分の大人たちが知らないことを
あたかも時代遅れのように叫ぶ。
しかしそんな言葉もあっという間に死語になってしまうのだ。
現に当ブログの名前に使っている「まじ卍」もそのひとつで
この言葉が世に出た時には、
「若者たちはいったい何を言ってるんだろう」というような
訳の分からない言葉であり、かつては一世を風靡したが
あっという間に廃れてしまった。
私は、ズタボロに捨てられた言葉を再び拾うようにしてブログの名前にした。
今も尚使用している私は、典型的な「おぢ」になっている。
若い人たちは、これまでの経過やその成り立ちが分からないし、
「今までの大人とは違う」という意識が強く、
そのために大切なものを壊してしまうこともあるが
その一方で新しい着眼点から新しい発明や発見もするのだろう。
しかしそれって倒産しかかった会社を買い取って、
先ずは在庫を叩き売って在庫整理する手口と似ていて、
あんまり発展性は感じられない。
どうせなら神取忍さんの「心が折れる」や堀江貴文さんの「想定外」など
永遠に万人に使い続けられるような言葉が増えるなら大歓迎なのだが。
しかし私たちもかつてはそうやって
「めちゃめちゃ」とか「めっさ」という造語を作り、今も尚使い続けている。
まあ若い人たちが買い物をしてくれる太客でもあるから
スポンサーたちは上手に持ち上げながらうまく利用しているが
若者たちがそのことに気付く頃には、すでに若者ではなくなっているのだろう。
そのためにはこれまでの常識を真っ向から否定し
まだ流行していないものを見つけては、
これこそは時代の最先端とばかりに大声で叫ぶ。
またこれまでにはなかった造語を作っては、
大部分の大人たちが知らないことを
あたかも時代遅れのように叫ぶ。
しかしそんな言葉もあっという間に死語になってしまうのだ。
現に当ブログの名前に使っている「まじ卍」もそのひとつで
この言葉が世に出た時には、
「若者たちはいったい何を言ってるんだろう」というような
訳の分からない言葉であり、かつては一世を風靡したが
あっという間に廃れてしまった。
私は、ズタボロに捨てられた言葉を再び拾うようにしてブログの名前にした。
今も尚使用している私は、典型的な「おぢ」になっている。
若い人たちは、これまでの経過やその成り立ちが分からないし、
「今までの大人とは違う」という意識が強く、
そのために大切なものを壊してしまうこともあるが
その一方で新しい着眼点から新しい発明や発見もするのだろう。
しかしそれって倒産しかかった会社を買い取って、
先ずは在庫を叩き売って在庫整理する手口と似ていて、
あんまり発展性は感じられない。
どうせなら神取忍さんの「心が折れる」や堀江貴文さんの「想定外」など
永遠に万人に使い続けられるような言葉が増えるなら大歓迎なのだが。
しかし私たちもかつてはそうやって
「めちゃめちゃ」とか「めっさ」という造語を作り、今も尚使い続けている。
まあ若い人たちが買い物をしてくれる太客でもあるから
スポンサーたちは上手に持ち上げながらうまく利用しているが
若者たちがそのことに気付く頃には、すでに若者ではなくなっているのだろう。