笑顔抱きしめ

小さな幸せの元を探して
身の回りのこと・大好きな木村拓哉さんのこと

21年前も、それからもずっと・・・。

2016-01-17 | tak日記
阪神淡路大震災から21年。
関西地域ではない我が家でも、大きく揺れた、あの日。

毎年、この日を迎えると、あのときのMステを思い出します。
決まっていた歌を、自分たちの意志で、「がんばりましょう」に差し替え歌った。
黒いスーツ姿の6人を・・・。

拓「今回の兵庫県南部地震では、ホントに、大きなショックを受けました。
 被災地のに皆様に、心から、お見舞い申し上げます。」
中「被災地の皆さんが、頑張っている姿を、ニュース、テレビ等で見て
 僕たちは、飛んで行って、お手伝いをしたいのですが、出来ないのが、非常に悔しいです。
 今の僕たちには、頑張ってくださいとしか言えないので
 今日は、僕たちの曲の中から、この曲を「がんばりましょう」お届けしたいと思います。」

「♪~がんばりましょう」

関西に住んでいいたお友達は、避難所でこの放送を聞いたという。
メッセージと歌と・・・。
とにかく、力を貰ったと、話してくれた。
まっすぐな拓哉君の瞳。あのとき、拓哉君達は、22才。

今朝起きて見たツィ。
このMステのSMAPの姿と歌に力を貰ったというツィが沢山上がってた。


上の写真は、ガッツ君Tシャツを来た瀬名。
そう、ロンバケの1シーンです。
ロンバケは、震災から1年と3ヶ月後。
少し記憶が薄れかけてきたところ。で、このTシャツが話題になった。
このTシャツは「阪神大震災で被災した障害者をTシャツの販売収益で援助する」目的で作られてて

「木村くんが阪神大震災の直後から、自分に何かできることはないといつも心の隅に思っていてくれて、
 Tシャツを部屋着として着る設定になったときに、
 神戸の人たちにメッセージを送れるようなシャツを探して・・・といってくれたのがきっかけだと聞いています」
と、このTシャツを作っている会社の代表さんの話だった。

東日本大震災への募金の呼び掛けも、この自分たちに出来ることをして行こう!という姿勢なんだよね。
「震災から5年たって記憶から薄れがちだけど、あの呼びかけを見ると、忘れられていないんだって思って嬉しい」という言葉も聞いた。
その思いをずっとSMAPという形で伝えさせて欲しい。

グーパーウォーク1