笑顔抱きしめ

小さな幸せの元を探して
身の回りのこと・大好きな木村拓哉さんのこと

待っててください!(わっつ2016/5/20)

2016-05-21 | わっつ
昨日のわっつ、とにかく、ラスト近くの美容師さんへの言葉の中にあった
「僕もいろんな役に挑戦していきたいと思います!待っててください!」の言葉に
もう、「はい!!!待っています!!」って、大きく返事した。
拓哉君が「待っていてください。」って言ってくれたんだもの。
信じてる。
心が、ファッと浮いたよ。

一つ目は拓哉君への質問
「一番食べる「冷やし麺」て何ですか?」

拓哉君は、そうめんが、40%。ざるそば、もりそばが40%、残りの20%が冷やし中華。

ここからは、食べ方を詳しく・・・。
そうめんは、めんつゆに蜂蜜漬けの梅干しを、一個落として、大葉をほそ~く切って
めんつゆに、梅干しって話は何回か聞いた覚えがあるし、ビストロでもそういう調理していたね。
セブンイレブンのご贈答品紹介であった梅干しの時も、聡喜んでた覚えがある。
そして、”やる気のある”ワサビ
日本そばは、薬味はネギ、ワサビ。
冷やし中華は、錦糸卵に、少量のきゅうり、そして豚の角煮(ラフティ)を、2つ
角煮の上には、とうがらし入りのからし。

2つ目は、”キャプテン、これしたことありますか?”的な質問!

キャプテンはヨガしたことはありますか? 

6年前くらい前に一度経験したという拓哉君。
女性の友達に、進められていったとう話に、「女性の友だち?誰?」だったけど
まあ、それはおいといて、3回かよったそうだけど、はまらなかったという。

ただ、その外国人の講師の方が、上着脱いだら、タトゥーで埋め尽くされて
そこに、驚いたという。

3つ目は、「電車の中でココアをマスクをしたまま飲んでいました。
隣に座っていた方の肩が笑いで震えていて、とても恥ずかしかったです。」という経験談

マスクをする機会が少ないので、マスクをしたまま、飲み物を飲もうとしたことはない。
でも、蓋のしまってるペットボトルはある!
そういえば、拓哉君のマスク姿って、そんな、見たこと無いよね。
よく芸能人の人で、自分が判らないようにサングラスにマスクで外出してる姿を・・・
って、いうのがあるけれど、拓哉君、ないものね。

ミスと憂いことでの選曲だったんだろうな、SMAPの♪~Mistake

拓哉君から始まる歌って、何て安心感があって心地いいんだろう。
                           
4通目は、連休後半、熱海に「HERO」のロケ地を訪ねて行ってきました・・・という女性。
いいなぁ。ロケ地巡り。楽しいよね。
ここで、久利生が・・・って、友だちと話ながらのロケ地巡り、幸せだよね。

で、質問は、「キャプテンが「一番近いな~」と思うのは誰でしょう?
また、もっとも遠いなと思う人物も教えてくださいまし。」
これからも充実した現場をすごしてくださることを願っています。
届けてくださるものを楽しみに、首を長ーくしてまっています。

わざわざ、ゴールデンウィークを使って『HERO』のロケ地に行ってきたと
……ありがとうございます!
ここ、何々出来たなっていうのは鮮明に残っていますね。
都内ももちろん。
京都で、太秦で撮影だっても、移動で、この神社はあのシーンでって、覚えてますね。

今まで演じてきた中で一番自分に近いのは誰?
確かに久利生公平は親近感ありますね。
衣装合わせとか一切ないですし。
あは・・・2001年のあのジャンパーを始め、ほぼ私服だものね。
はい、凄い親近感。

2番目は、『ビューティフルライフ』の柊二かな。
単車にも乗ってたし、最終回は、海のほとりのサロンを個人経営してたじゃないですか。
すごい、はいはい。って近いっすね。

一番遠いのは、なんと言っても、万俵鉄平じゃないですかね。
あれはないでしょう。
父親と会話したとしても、あの空気感っていうのも特別だし、
だって、お妾さんが家にいるんですよ。すごくないですか?

たまたま生まれた境遇としてても、あんな特別な境遇はないじゃないですか。

で、最終的には、自ら命を絶ってしまうという選択を彼はしてましたけど、
自分の中には、先ず無いです。
絶対しちゃいけない選択だと思うし。
でも、遠いから、嫌いですっていうことではないですよ!
          
5通目は、キャプテンに報告があります。という20歳の男性。
「先日、美容師の国家試験を受けて見事合格しました!!
 いつか必ず一流のスタイリストになってキャプテンの髪を切るのが夢です!
キャプテンのお陰で色々と変われました。ありがとうございました!」

まずは、「おめでとうございます。

実際に『ビューティフルライフ』を見てくれて、
夢を抱いてくれて、行動に移してくれたことには一番のやりがいを感じるし、
やって良かったなと思えるし。

『HERO THE TV』を思い出す。
木村チルドレンね。
あのときも、拓哉君、感激して、うるうるしてた。

20歳の<たねたろう>さんは、高2の時に、BLを見たって言ってた。
オンタイムでは無く、再放送か、DVD借りて・・・だよね。
その放送の時だけで無く、ずっと、ずっと、影響力がある、
それだけの作品であるし、木村拓哉という存在の大きさだよね。

「そして、いろいろ変われました」って、言葉、
何かに向き合う姿勢も・・・だね。きっと、

そして、<たねたろう>さんに、拓哉君からの一言
”美容師かっこいい”という入り口だったかもしれないけど、
美容師になれたことにゴールを持っていくのではなくて、
いかに、来てくれたお客さんが、凄くいい気持ちになれた。”来て良かった”って思える、そんな美容師さんになってほしいですね。

結局は”人と人”じゃないですか。
だから、そこ・・・難しい話になってしまうかもしれないけど
波長の合う方、逆に、”この人だったら、任せていいな”って思える人とか、
出会いの中であったりすると、恵まれてるなと思いますけどね。

その人自体がいろんなことに興味あったりとか、経験してたり、見てたり、
僕が今髪切ってもらっている人は、そういう人ですね。
女性のスタイリストさんですが。

その人なりの角度が・・・僕に対してもそうですけど、持ってくださっていて。
『こないだやった役のイメージとは、変えたいじゃん。』
だから、次の作品に入るときに、『こういう役なんだよね、お任せで切りたいんだけど』って言ったら、
『あ、そうかぁ。私なりにアイディア出してみるね』って言って、
後日、携帯にいろんな髪型の写真がパパパパッって送られてきて。
「いくら、こういう役柄だったとしても、ちょっとやんちゃな感じは残しておきたいから、ココは、こういう位残して・・」って、あったり
今は、その人にお世話になっていますね。
<たねたろう>もね、”ゆくゆくは一流のスタイリストになって、僕の髪を切るのが夢です”って書いてくれてますけど、僕の髪が減らないようにね。

まぁ、今後、どういう役に自分が挑戦できて、
それを皆さんに届けて、どう感じていただけるかっていう、そこは楽しみにして、
僕もいろんな役に挑戦していきたいと思います!
”待っててください!”

流れた曲は、Vanilla Iceの♪~ Ice Ice Baby
SMAP ♪~Mistake!
Katy Perry ♪~ Teenage Dream

最後に、「ケンケン、よろしく!」って、平井さんへのバトン。



海からの贈り物

2016-05-19 | ざまをみろ!と開放区
連載Vol30は、『夏の忘れ物』

97年11月号つまり、9月23日に発売されたMYOJO掲載。
「夏の忘り物」ってテーマで、悩みと迷いから始まった今年の夏を振り返ってる。
開放区にも掲載されていて、文章には、August 1997と記録されている。

先月号の、肌が灼けている時って気持ちが豊かなんだって言ってた言葉通り
太陽の光を存分に浴びた数力月を過ごした拓哉君。
痛く苦しかった分、たくさんの思い出も。



文章のはじめは、子どもの頃お父さんに言われた言葉。
「何にもやらないで、できないできないって言うな」
「やればできるんだ」って、負けず嫌いの拓哉君の元だよね

そして、よく話してくれる波乗りにハマッタきっかけ。
2年前(1995年)の夏、いろんなことがあって、脳ミソがウジウジになるくらいの精神状態だったとき、
友だちが誘ってくれた話。

そんな風に挑戦し続けるけど、結果「ダメだった」とか、「できなかった」となることもある。
だけど、大事なのは、そう思うまでに、どれだけやってみたかってことじゃないか
今年の夏は、いろんなことがあって、自分‘みたいなことについて考えもして、たくさん悩みもした。
でも自分なりに、それを乗り越えられて、いい夏だったと思う。

夏が終わる。
でも、動物が冬の前に栄養を沢山蓄えるように、
拓哉君の夏は、たくさん食って、悩んで、遊んで、身体的にも精神的にもたくましくなる。
海で波に乗って養分いっぱい吸収できた夏だったと。

色白の拓哉君は、この頃から逢えなくなった。
あまりに、光合成が多いと、Liveのスクリーンでも表情がよくわからなかったりで、
美しい顔が!!!とか思ったりするんだけど
でもね。こうやって海に行って、その場で会える人達と
立場とか、いっさい関係ないとこで話ができる“普通”になれるっていう拓哉君を見ると
ほんと、拓哉君にとって、すごく大切な場所なんだと思う。

心のゆとりの元、なによりの、栄養なんだよね。
写真は、浜辺を歩く拓哉君。
夕方の海ね。海から上がって着替えた後の姿。


開放区の写真は、

KUJUKURI=九十九里と撮影場所が書いてあります。

これは、2002年1月号の「ONE DAY」の写真の別バージョンですね。
「ONE DAY」は、Vol80の記念。カラーの特集です。
その扉の写真がこれ。

アメリカ国旗のペティキュアが、はっきり判ります。
似合ってるよね。

光合成、出来てます。余力、あります。

2016-05-18 | ざまをみろ!と開放区
連載Vol 29 『豊か。』

『豊か』さというのは、気持ちの豊かさ。
そして、心の余裕。

例えば、悩みがあるときでも、必ずしも、心って貧しくなってないんだよね。
自分の好きな目的のために、徹底的に悩むことって、反対に、豊かなんじゃないかと思う。
仕事を選ぶときも「お金が豊かになるからやろう」だと、目的がそういう方向に行ってしまう。
そうはなりたくない。

籠もっていても、何も始まらない。
だから、海で波に乗って。犬と遊んで。体を目いっぱい動かして。太陽を思う存分に浴びる。
『肌が灼けてるときって、気持ちが豊かなんだ』
それこそ植物じやないけど、光合成してるときはね。

ということで、この写真なんだよね。

この写真初めて見たときに、笑っちゃったの。
拓哉君が、洗濯物になってる!!ってね。
洗濯ロープに、Tシャツごと洗濯ばさみで留められて・・・。
モノじゃないんだからって思ったけれど、
これ、お日様の光を一杯浴びてるって事だよね。

そうやって、気持ちが豊かになると、違うことに、気を回せるんだ。
豊かなときは、余裕っていうか、余力がある。
俺はやっぱ、気持ちがハングリーになると、周りが見えなくなっちゃうから。
情況判断をするのが、余力の部分だと思う。

日本語では十二分の力っていうんだろうけど。 十二分に力を出す”とかね。それって120%のことじゃん。
余力があるからこそ、100%の力が出せる。
「100%の力を出しました」つてことは、そういうことだと思うよ。
自分ではいつも、そのつもりでいるしね。
今は、その余力をちゃんと持ててるいい状態だとも思うんだ。


署名は、「十二分の俺」

-・-・-・-

おまけ・・・
97年に拓哉君がCMに出た 『KIRIN LA2.5』のポスターの一つ。

飲み物としては、少々?だたけれど、プールサイドでギターを弾いたり、ワンチャンを追いかけたりという、
[イエ~イ!!]LAのCMは好きだった。

大人と子ども

2016-05-18 | テレビ日記スマスマ
遅れて、スマスマを見ました。
というか、いつも、スマスマは録画を見ることが多くなったんだけどね。

吉川さんとのLIVE.
拓哉君って、誰かと歌うとき、その人の声に寄り添うんだよね。
色も。近づけて歌ってる。

もちろん、もともと、ロックは似合う人だけど、吉川さんとの歌の時は、吉川さんの声の出し方に合わせてる。
なだら、2人の声が、溶け合って、一層かっこよくなるの。

真っ赤な唇に、黒い衣装、むき出しの腕。
カッコイイ!!!

ビストロ、ゲストのお2人は、トークとか楽しみではありましたが・・・。
日本アカデミー賞ね。
武士の一分で、間違いなく最優秀主演男優賞受賞だったのに、
拓哉君の意志とか、その映画に関係した人の思いとか一切聞き入れてくれず、
単に、事務所の都合だけでノミネートすら出来なかった人の前でそういう話を持ってくるんだ。
例えそれがクイズだとしても・・・ね。

今になってみると、ノミネートに許可が下りなかったのは、マネからの言葉もなかったのかもしれないと思ったりもする。
変な平等意識の為に、いろんな事が潰された・・・そう、思える。

そして、試食。
二つのチームへの態度が違いすぎ。
不思議なくらい、子どもなんだね。




哀しさと、悔しさと・・・これからは

2016-05-16 | tak日記
15日・16日に先日亡くなられた蜷川さんのお通夜・告別式があって
拓哉君は、お通夜に参列できたのですね。

日曜日の夜に帰宅したので、私がテレビ画面を見ることが出来たのは、その後。
Mr.サンデーから。
16日の朝のWSは、ZIP.,スッキリ。モニバで。

薄い茶の色が入った黒縁の眼鏡。黒の短い髪の拓哉君、
沈痛な表情で、静かに周りに頭を下げて会場入りしていた。

ミヤネ屋では、涙を払う姿も。

藤原竜也さん拓哉君・・・・と、会場入りする姿が流れ
「名だたる名優・・・」という、言葉が被さる。
そう、俳優 木村拓哉。
その存在だよね。

亡くなった後、伝わった拓哉君の言葉
「驚きと同時に物凄く悔しいです。自分が今あるのも、当時右も左も分からなかった自分に
『人から拍手して貰える厳しさと素晴らしさ』を教えて頂けたからだと思います」と感謝した。
「少し前に『俺がポシャる前にもう一度一緒にやろうぜ!』って言って貰った事が、今頭から離れません」
と、もう一度、指導を受けられなかったことを悔やんだという、言葉もテロップで流れてた。

拓哉君に、世界に飛び出すように何度か進めてくださったよね。

蜷川さんが望んで、拓哉君も希望していたのに・・・。

それを叶えさせなかったマネジメントは、今更ながら悔しい。

もう、こんな思いはしなくていいように、これからのマネジメントを切望します。




Open it

2016-05-15 | ざまをみろ!と開放区
連載 Vol 28「Open it」(MYOJO 1997年9月号 掲載)

「自分の窓を全開にして風をいれかえたいんだ」と語るこの回「Open it」、
拓哉君は、西部に行って来てから、姿勢が前向きになったんだなぁと感じる。

与えられたものを、ただこなしていくんじゃなくて、自分の側からやっていくことを提案していく立場に立たなきゃ・・・とも語ってる。

風を避けようとすると、けっこうざったかったりするの。
そうじゃなくて『風は風』つてパーツて受けちゃうと、
案外こんなすがすがしいものはないんじゃないかっていう。
俺が、これから何を作りだして、何を送り出していこうかって考えたときも、
自分っていう土地に合ったものであればいいんだから。
これから、どんな名産物を作ることになるか、その種類は、まだ決めてないし、わからないけど。
それは無理することからは生まれないってことだけはわかってるつもりなんだ。

単行本の開放区には、文章は掲載されてないけど、ここに使われた写真。

と、同じ時に撮影された写真が、開放区の168・169ページに使われています。


色紙の署名は、「現在成長中」・・・



-・-・-・-・-

この週末、お骨納めに言ってきました。
義母が一緒の旅だから、ゆっくりと時間を取ってのスケジュール。
無理はしないで、最小限の動きで・・・と、思ったけれど、それでも、大変でした。

お寺の階段、お御堂への石畳・・・と、高齢者には大変で、
いつもは、「歩くぐらい自分で出来る」という気持ちの強い人ですが、
今回は、娘を中心に、みんなで補助しながら行動しました。

日曜日は、『葵祭』
(と、いっても、家を出てから知ったのですが・・・。)
お祭りの日に京都にいることは、初めてなので、子どもたちは見たい気持ちも・・・。
でも、お義母さんとの旅だから、とにかく、混みそうなところは避けて行動。

お寺を後にするときには、一つの区切りがついたことへのほっとした気持ち
と、共に、どこか寂しい気持ちも。

そんな状態でしたので、金曜日のWhat'sも、まだゆっくり聞けてないの。
今から、聞きます。

もう一度・・・って思ってた

2016-05-12 | tak日記
演出家の蜷川幸雄さんが、お亡くなりになりました。
車いすでの演出の様子なども見て知っていますし、体調を崩されたとお聞きしてはいたけれど・・・・。
ショックです。

拓哉君がいつも話す、『盲導犬』の舞台。
あの経験が、拓哉君の演技のスタートなんですよね。

蜷川さんと、もう一度お仕事ご一緒出来たらと思っていましたが、叶わない夢になりました。

謹んで、ご冥福をお祈りいたします。

-・-・-・-・-

盲導犬の舞台
ポスター

PTATO他


あらすじしか読んだことが無いけれど、そのストーリーさえ私には理解出来なかった。
16歳の少年が演じるにはとても大変な役だったんだろうと思う。


『盲導犬』のパンフの中の拓哉君と、蜷川さん

しなやかに、鮮やかに・・・

2016-05-10 | テレビ日記スマスマ
綺麗!!
しなやかに、つややかに踊る拓哉君。

細かなステップの何と鮮やかな。
階段を降りる歩む、それだけなのに、そのウォーキングがまた、魅せるの。

足、リハビリも順調なんだね。
って、そんな感想も、後から気がついたこと。
見てる間は、拓哉君の動きから目が離せなかった。

あとから、ソロの視線でポイント編集。
それを何度もリピ。

あの一瞬で、彼の周りに物語が作られてる。

歌も、あのステージ構成の割り当てられたPartを覚えるだけでなく、
曲として、きっと、自分のものにしてるんだろうな。
マリアナが歌ってる後ろで、一緒に口ずさんでいた。

もっと、歌が聴きたかった。
もっと、ソロで動きを捉えたカメラが欲しかった!!

もっと、もっと・・・は、いつものように、わき出てくるけれど
それでも、昨日のマリアナとのコラボは満足。
嬉しかった。
美味しかったよ。

ビストロ&、ゲストのバレボール選手のみなさんとのゲーム。

河合さんが出題する、全日本バレーボールチームに関する質問。
拓哉君は、ゲームもよく見てるって事で、正解率高し。

柳沢さんの武器は?「ジャンピングサーブ!!」
拓哉君が「よく知ってます」っ、て言ったとき、柳沢さん、凄く嬉しそうだった。

コートでのバレーの体験。
まだ、足が本当でない拓哉君だから、出て行くような状態にはならないとはおもっても、
心配も・・・。

最後に、河合さんと2人、アクリル板越しの、スパイクの体験。
また、無茶降りされそうな、河合さんを補助したって言うのもあるし、
こんな機会滅多にないから、やってみたかったんだろうね。

このバレーチームとの収録は、三月末だったと聞いた。
マリアナとのコラボは、4月。
だんだんに良くなってるね。

-・-・-・-・-

熊本市内の小中学校での授業が再開されたというニュース。
登校してくる子どもたち、
靴箱で、友達と会い、喜ぶ姿。
ようやく・・・一つ進んだね。良かった。

テレビの仕事、むかつくぐらい楽しい!?

2016-05-09 | ざまをみろ!と開放区
連載Vol 26『テレビ』(1997年7月号掲載)
 この『テレビ』についての文章は、開放区Vol 36にテーマもそのまま『テレビ』としてある。
書かれたのは、April 1997とあるから、giftが始まった頃のこと。


連載も、開放区も同写真です。

まとめ髪に、自転車。
だけど、由紀夫とは全然雰囲気が違う、拓哉君。
二台のテレビにも拓哉君って言うのがいいよね。

ちっちゃい頃。
ピンクレディが画面に登場すると、テレビの下から覗いたりもしたという思い出話からはじまる。
そのあとに、キューティはニーでのびっくりとか。
基本アウトドアというか、外遊び中心だった拓哉少年は、テレビゲームはあまりしなかったらしい。

テレビの仕事って、ムカつくぐらい楽しいんだよ。

2月にアメリカでインディアンたちと一緒に過ごしたという素晴らしいいい経験
その後に、テレビを考えると、ちょっと複雑だったけど
でもね、そこで仕事してて、やりば面白いんだよ。楽しいんだ。
だから・・・・。

視聴者も、テレビの番組を選んでみてるって言うところでテレビに関わってる
動かしたって意味で、テレビつてものに対して、参加してるんだし、責任も有るんだと思う。

そうだよね。
数字だけを言われるのは、嬉しくないけれど、見るという行為が参加しているという表現になるのなら
ちゃんと、拓哉君の届け物を受け取って、こちらも、声を届けてるんだと思う。
これからもずっとね。

-・-・-・-

連載Vol 27『大人と子ども』

これは、開放区には、掲載が無い回。
でも、この写真は、前にも買いたように部宇野文章で使われています。


やっぱり、ここにいるのがぴったりだよね。

そして、色紙。

最後には、”若造”の文字。
色紙には、いつも”拓哉”と、自署してあるけれど、時に、こんな風あ表現をしてる。

それも、ざまをみろ!の、素敵なところ

美しい”届け屋”さん

2016-05-08 | ざまをみろ!と開放区
ざまをみろ!連載 Vol 25『届ける』(1997年6月号掲載)
 
アメリカで12DAYSをすごし、帰ってきた拓哉君の最初の文章がこの『届ける』
写真は、帰国後に始まった、ドラマ『ギフト』1シーンのようなショット。
撮影の合間にセットの中で田卷さんが撮ったんじゃないかな。



殴られて傷ついたその姿は、文中にあるように、
「主語は、木村拓哉なのに、述語は俺がやってないことが書いてある」
そんな週刊誌によって傷ついた姿の表現かもしれない。

でも、拓哉君は、まっすぐに立ってる。
傷ついたその姿も、美しい。

新しいドラマが始まって、相変わらず台本に書き込みしながらやってるという拓哉君。
たくさんの人に向かって、たくさんのことを届ける…それが俺の仕事だと思う。
たくさんの人の思いに、自分を奮い立たせようとしたり、応えていこうとしたり
”大変だけど、決して嫌いじやない”・・・だよね。その思いが続いて今がある。
”届け屋”ということに、全力なんだよね。



記事を書く人にも、きちんと届けるってことを、ちゃんと認識してほしいと願う。
それは、今も変わらない。
というか、一層、その気持ちが強くなる。

この一連の騒ぎ。
本当のことを伝えるよりも、情報を操作して、自分の思っている結果に結びつけようとしてるって感じ。
(誰かが)自分の都合で文章を書かせているって感じ。
そこには人格も何も無くってね。

難しいね。拓哉君。
ちゃんと届けて欲しいって願うって。
拓哉君、自分のこと、もっと話してくれても良いなって思う事がある、
いろいろ、た~~~くさん、我慢して、してる努力見せないでるもの。

(おまけ)
早坂由紀夫


グーパーウォーク1