千葉県の高校出身プロ野球選手を振り返るシリーズの11回目は、2007年から2008年です。
本日夕方にドラフト会議が開催されます。
本当は今日くらいまでに昨年までの全指名選手を掲載したかったのですが、
諸事情で間に合いませんでした。
今年の指名選手を含めた全選手の調査を、11月中にできればと考えています。
さて1999年以降、プロから声のかかる千葉県高校出身選手が減少傾向にありましたが、
この両年に関しては大豊作となりました。
緑色は現役高校生で指名された選手。
2005年からは高校生と大学・社会人で別々に会議が行われ、逆指名も廃されました。
さらに育成ドラフトもスタートしています。
2007年の高校生ドラフトでは、実に5名の現役高校生が指名されました。
高木晃司らが指名された1986年と並び、歴代最多タイの人数となります。
ちなみにこの年は、史上初めて千葉県からセンバツに複数校(成田、千葉経大付)を代表に送り込んだ年でもあります。
また高校生と大学・社会人に分けて開催されたとはいえ、1位指名4名も最多です。
まず高校生ドラフト。実に5名が指名され、うち2名が1位指名でした。
唐川侑己は甲子園で3試合に登板、防御率0.90と安定した投球を披露。最速149キロをマークしており、
中田翔(大阪桐蔭)、佐藤由規(仙台育英)と“ビッグ3”とうたわれ、ドラフトでは2球団重複の末ロッテへ。
プロ入り4年目には12勝をマーク。その後も先発、リリーフ問わず登板機会を与えられています。
岩崎翔は外れ1位ながら2球団が重複し、ソフトバンクに入団。
長身から投げ下ろす速球が武器で、3年夏にはエースとして甲子園に乗り込み、初戦敗退も150キロをマーク。
千葉の高校生で、甲子園で150キロを出したのはおそらく彼だけです。
プロでは起用方法がなかなか定まりませんでしたが、17年には40ホールドをマークして
最優秀中継ぎのタイトルを獲得し、日本一に貢献しています。
丸佳浩は高校時代から強打者として知られ、高校通算49本塁打をマーク。
身体能力も高く50メートル6秒0の俊足のほか肩も強く、投手としてはMAX144キロを計測。
3年時にはエースとして甲子園のマウンドに上がっています。
広島では4年目に外野のレギュラーに定着すると、13年に盗塁王、17年に最多安打、18年に最高出塁率を獲得。
16年からの広島3連覇に貢献し、MVP2回、ベストナイン5回受賞。
現在は巨人の中軸に座るなど、球界トップクラスの強打者として君臨しています。
山崎正貴は高校時打は岩崎の控えでしたが、最速147キロの速球を評価され甲子園のマウンドにも上がりました。
ポテンシャルを評価されプロ入りを果たすも、一軍での登板は1試合に終わっています。
坂本大空也は甲子園とは縁がありませんでしたが、高校通算55本塁打をマークするなど
千葉県内では左の強打者として知られる存在。プロでは結果を残せず、一軍出場を果たせませんでした。
大学・社会人ドラフトでは3名が指名。
大場翔太は1位指名で6球団が重複と、数字通りこの年の新人の中でも最大の目玉でありました。
高校時代から好投手として知られたものの、最後の夏は準々決勝で金子圭輔(志学館)に投手戦の末1-2で敗れ、甲子園には届かず。
大学進学後は4年春にリーグ新記録の115奪三振をマーク。通算でも410奪三振、33勝を記録するなど東都リーグを代表する投手に成長。
即戦力としてプロ入りも、故障などの影響もあり4年目に7勝をマークしたのが最高成績と期待通りの成績は残せませんでした。
外れ1位で日本ハムに入団した多田野数人は大場の高校の5年先輩。
高校時代からプロも注目の好投手として知られチームを甲子園に導くと、立大では20勝を記録するなど六大学でも屈指の好投手に進化。
しかしスキャンダルに見舞われ渡米。インディアンスではメジャーに昇格して勝ち星をマークするなど流浪の野球人生の末にプロ入り。
日本ハムでは1年目に7勝をマークして即戦力の期待に応えました。現在はスカウトです。
村田和哉は身長160センチ台と小柄ながら、50メートル5秒7の俊足とシュアな打撃で、東都リーグでは打率3割をキープ。
プロでは主に代走や外野の守備固めとして起用されていました。
なお、この年は高校生とあわせて8名が指名されましたが、これもドラフト外合わせて10人がプロ入りした86年に次ぐ数字です。
2008年は高校生と大学・社会人ドラフトが一本化されました。育成を含めて5名がプロ入りを果たしています。
うち3名が千葉経大付出身。00年代の中盤は同校が千葉の高校球界をけん引していたことが分かります。
まず、1位で2球団が重複した松本啓二朗。高校時代は父・吉啓監督との“親子鷹”としても話題に。
エース兼4番の大黒柱として、3年夏には大会ナンバーワン投手のダルビッシュ有(東北)を撃破し、ベスト4進出の立役者に。
大学では1年からレギュラーに定着し、通算105安打をマーク。プロでは即戦力として期待されたものの定位置獲得には至りませんでした。
現在は社会人・かずさマジックでプレー。19年の都市対抗では優勝したJFE東日本に補強されています。
斎藤圭祐は現役組で、MAX145キロの速球を武器にエースとして、08年のセンバツではベスト4入りの原動力に。
プロでは故障の影響もあり、一軍のマウンドに立つことはできませんでした。
井上雄介は高校時代、5番センター兼松本の控え投手。甲子園では中心選手としてベスト4進出に貢献。
大学では投手に専念し、MAX148キロのストレートと変化球を武器に活躍。プロでは1勝に終わっています。
育成ドラフトでは2名が指名。
吉岡興志は100キロを超える巨漢の右腕で、150キロの重いストレートが武器でした。
大学、チームの先輩である久保田智之二世として期待されるも、支配下登録は果たせませんでした。
福元淳史は高校時打は林昌範(巨人)の同期。大学ではレギュラーとして活躍し、
NOMOベースボールクラブでは07年のクラブ選手権で首位打者と敢闘賞を受賞。
プロでは3年目に支配下登録され、ソフトバンク移籍後の13年には一軍で15試合に出場し、引退後はスカウトを務めています。
本日夕方にドラフト会議が開催されます。
本当は今日くらいまでに昨年までの全指名選手を掲載したかったのですが、
諸事情で間に合いませんでした。
今年の指名選手を含めた全選手の調査を、11月中にできればと考えています。
さて1999年以降、プロから声のかかる千葉県高校出身選手が減少傾向にありましたが、
この両年に関しては大豊作となりました。
緑色は現役高校生で指名された選手。
2005年からは高校生と大学・社会人で別々に会議が行われ、逆指名も廃されました。
さらに育成ドラフトもスタートしています。
2007年の高校生ドラフトでは、実に5名の現役高校生が指名されました。
高木晃司らが指名された1986年と並び、歴代最多タイの人数となります。
ちなみにこの年は、史上初めて千葉県からセンバツに複数校(成田、千葉経大付)を代表に送り込んだ年でもあります。
また高校生と大学・社会人に分けて開催されたとはいえ、1位指名4名も最多です。
まず高校生ドラフト。実に5名が指名され、うち2名が1位指名でした。
唐川侑己は甲子園で3試合に登板、防御率0.90と安定した投球を披露。最速149キロをマークしており、
中田翔(大阪桐蔭)、佐藤由規(仙台育英)と“ビッグ3”とうたわれ、ドラフトでは2球団重複の末ロッテへ。
プロ入り4年目には12勝をマーク。その後も先発、リリーフ問わず登板機会を与えられています。
岩崎翔は外れ1位ながら2球団が重複し、ソフトバンクに入団。
長身から投げ下ろす速球が武器で、3年夏にはエースとして甲子園に乗り込み、初戦敗退も150キロをマーク。
千葉の高校生で、甲子園で150キロを出したのはおそらく彼だけです。
プロでは起用方法がなかなか定まりませんでしたが、17年には40ホールドをマークして
最優秀中継ぎのタイトルを獲得し、日本一に貢献しています。
丸佳浩は高校時代から強打者として知られ、高校通算49本塁打をマーク。
身体能力も高く50メートル6秒0の俊足のほか肩も強く、投手としてはMAX144キロを計測。
3年時にはエースとして甲子園のマウンドに上がっています。
広島では4年目に外野のレギュラーに定着すると、13年に盗塁王、17年に最多安打、18年に最高出塁率を獲得。
16年からの広島3連覇に貢献し、MVP2回、ベストナイン5回受賞。
現在は巨人の中軸に座るなど、球界トップクラスの強打者として君臨しています。
山崎正貴は高校時打は岩崎の控えでしたが、最速147キロの速球を評価され甲子園のマウンドにも上がりました。
ポテンシャルを評価されプロ入りを果たすも、一軍での登板は1試合に終わっています。
坂本大空也は甲子園とは縁がありませんでしたが、高校通算55本塁打をマークするなど
千葉県内では左の強打者として知られる存在。プロでは結果を残せず、一軍出場を果たせませんでした。
大学・社会人ドラフトでは3名が指名。
大場翔太は1位指名で6球団が重複と、数字通りこの年の新人の中でも最大の目玉でありました。
高校時代から好投手として知られたものの、最後の夏は準々決勝で金子圭輔(志学館)に投手戦の末1-2で敗れ、甲子園には届かず。
大学進学後は4年春にリーグ新記録の115奪三振をマーク。通算でも410奪三振、33勝を記録するなど東都リーグを代表する投手に成長。
即戦力としてプロ入りも、故障などの影響もあり4年目に7勝をマークしたのが最高成績と期待通りの成績は残せませんでした。
外れ1位で日本ハムに入団した多田野数人は大場の高校の5年先輩。
高校時代からプロも注目の好投手として知られチームを甲子園に導くと、立大では20勝を記録するなど六大学でも屈指の好投手に進化。
しかしスキャンダルに見舞われ渡米。インディアンスではメジャーに昇格して勝ち星をマークするなど流浪の野球人生の末にプロ入り。
日本ハムでは1年目に7勝をマークして即戦力の期待に応えました。現在はスカウトです。
村田和哉は身長160センチ台と小柄ながら、50メートル5秒7の俊足とシュアな打撃で、東都リーグでは打率3割をキープ。
プロでは主に代走や外野の守備固めとして起用されていました。
なお、この年は高校生とあわせて8名が指名されましたが、これもドラフト外合わせて10人がプロ入りした86年に次ぐ数字です。
2008年は高校生と大学・社会人ドラフトが一本化されました。育成を含めて5名がプロ入りを果たしています。
うち3名が千葉経大付出身。00年代の中盤は同校が千葉の高校球界をけん引していたことが分かります。
まず、1位で2球団が重複した松本啓二朗。高校時代は父・吉啓監督との“親子鷹”としても話題に。
エース兼4番の大黒柱として、3年夏には大会ナンバーワン投手のダルビッシュ有(東北)を撃破し、ベスト4進出の立役者に。
大学では1年からレギュラーに定着し、通算105安打をマーク。プロでは即戦力として期待されたものの定位置獲得には至りませんでした。
現在は社会人・かずさマジックでプレー。19年の都市対抗では優勝したJFE東日本に補強されています。
斎藤圭祐は現役組で、MAX145キロの速球を武器にエースとして、08年のセンバツではベスト4入りの原動力に。
プロでは故障の影響もあり、一軍のマウンドに立つことはできませんでした。
井上雄介は高校時代、5番センター兼松本の控え投手。甲子園では中心選手としてベスト4進出に貢献。
大学では投手に専念し、MAX148キロのストレートと変化球を武器に活躍。プロでは1勝に終わっています。
育成ドラフトでは2名が指名。
吉岡興志は100キロを超える巨漢の右腕で、150キロの重いストレートが武器でした。
大学、チームの先輩である久保田智之二世として期待されるも、支配下登録は果たせませんでした。
福元淳史は高校時打は林昌範(巨人)の同期。大学ではレギュラーとして活躍し、
NOMOベースボールクラブでは07年のクラブ選手権で首位打者と敢闘賞を受賞。
プロでは3年目に支配下登録され、ソフトバンク移籍後の13年には一軍で15試合に出場し、引退後はスカウトを務めています。
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