スポーツエトセトラ

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千葉県高校出身者・ドラフト指名選手一覧(1997~2000年)

2020-09-18 09:04:31 | 千葉県高校出身者ドラフト指名一覧
千葉県の高校出身プロ野球選手を紹介するシリーズの9回目は、1997年~2000年です。
90年代末から、指名選手がやや減少傾向に入ります。



【1997年】6名が指名されますが、そのうち2名が逆指名と即戦力の期待を受けての入団でした。
安藤正則は高校時代、145キロをマークして3年夏には千葉大会ベスト8進出の原動力に。
野球は高校までの予定で、大学へは一般入試で進んだものの結局野球部入り。150キロ近くまで球速を伸ばしましたが、
投球フォームに問題があり制球が定まらず、プロでは一軍登板ゼロに終わりました。

寺村友和は甲子園とは縁がなく、社会人でも入来祐作(巨人)の陰に隠れていましたが、
素材の良さを評価され地元・千葉のロッテへ。プロではヤクルト移籍後の01年に2勝をマークしたのみに終わっています。

五十嵐亮太は最後の夏は5回戦で県船橋に敗れましたが、地元・千葉では大いに注目された速球派右腕。
プロでは3年目には11勝をマークし、04年には最多セーブを獲得。158キロの直球が武器で石井弘寿(東京学館卒)と“ロケットボーイズ”と称されました。
その後はメジャーやソフトバンクでも活躍。現在もヤクルトで現役を続けています。

木村茂は千葉リーグでは通算22勝をマークし、日米大学野球の代表(千葉で試合があるため特別選出だったと思います)にも選ばれました。
140キロ台中盤の速球が武器でしたが、プロではゼロ勝と活躍できず。

鳥谷部健一は甲子園とは無縁も、高校時代は190センチの長身から投げ下ろすMAX145キロのストレートを武器に、県下屈指の好投手として知られた存在。
メジャーの球団からも注目された逸材でしたが、プロでは03年に挙げた2勝が最高成績でした。

古城茂幸は高校時代は3年夏のベスト4が最高。東都二部リーグでは盗塁王4度、通算35盗塁を記録し俊足を評価されて指名されました。
プロでは左の代打、内野の守備固めとスーパーサブとして重宝され、37歳まで現役生活をまっとうしています。

【1998年】5名が指名されています。
相川良太は高校では1年から三塁のレギュラーに定着。大学では首都でベストナイン3回、首位打者1回とリーグを代表する内野手として活躍。
プロでは主に外野を任され、レギュラーにはあと一歩だったものの06年には11本塁打を放つなどパンチ力のあるところを見せました。

立石尚行は市船橋の甲子園初出場時の主戦投手。NTT関東でもエースとして長年にわたりチームを支え、都市対抗には6度(うち補強3度)出場。
98年の日本選手権では決勝で7失点も、粘りの投球で完投勝利を果たしチームを日本一に導きました。
チームの統合・廃部により29歳と遅いプロ入りを果たしましたが、00年には9勝をマーク。37歳まで現役を続けています。

小笠原孝は高校2年の夏に左腕エースとしてベスト4進出の原動力に。明大では3年春の東大戦で18奪三振をマーク、リーグ通算17勝。
プロでは先発として起用されるケースが多く、08年には8勝、09年には7勝を挙げてチームに貢献しています。

安原政俊は3年夏の東千葉大会準決勝で延長12回完投も成田に惜敗し、甲子園に届かず。
スリークォーターから繰り出される速球とスライダーが武器で、中央学院高初のプロ選手として期待されるも、一軍登板1試合に終わっています。

松比良平太は最後の夏は4番を任され、西千葉大会ベスト8。遠投110メートルの強肩を武器に飛び込んだプロでは4年間在籍も、
一軍出場は果たせませんでした。現在は楽天のフロントの一員としてチームを支えています。

【1999年】下位で2名が指名されたのみでした。
藤崎大輔は高校通算25本塁打、うち3年時だけで13本塁打をマーク。140メートルを超える飛距離を誇るスラッガーも、
一軍出場は果たせず。のちに地元・千葉の明聖高で監督を務めています。

窪田淳は高校時打は長谷川昌幸(広島)の控え。大学4年春にいきなり4勝をマークして、スカウトの注目を集める存在となりました。
プロではオリックス移籍後の03年に1勝をマークしたのが最高成績。

続く【2000年】は、残念ながら千葉県の高校出身者でドラフトに指名された選手はゼロ。
1965年のドラフト制度開始以来では初めてとなる、寂しいケースとなりました。

次回は2001~2006年を予定しています。


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