スポーツエトセトラ

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千葉県高校出身者・ドラフト指名選手一覧(1990~1993年)

2020-08-07 08:23:04 | 千葉県高校出身者ドラフト指名一覧
千葉県の高校出身プロ野球選手を紹介するシリーズの7回目は、1990年~1993年です。



球歴の緑色は高校生、薄い緑色はドラフト外となります。

1990年はわずか2名でした。
小林敦司は高校進学後に投手に転向。拓大紅陵では控えでしたが素材の良さを評価されプロ入り。
5年目に初勝利、9年目には中継ぎに定着して30試合に登板しています。
秋葉直樹は入団テストを経てのプロ入り。187センチの長身で3年時には公式戦9試合で94奪三振をマーク。
プロではファームので登板も果たせず、1年で退団しています。

ドラフト外が廃止された1991年は6名が指名されています。
単独でヤクルトから1位指名を受けた石井一久は、甲子園とは無縁でしたが下級生の頃から評判の大型右腕で、
3年夏は35イニングで52奪三振をマーク。プロでも1年目から起用され、5年目には13勝を挙げて日本一に貢献。
球界を代表する左腕としてメジャーも経験。日米通算182勝を記録し、現在は楽天のGMを務めています。

増田政行は高校時打は捕手。大学進学後に投手に転向してリーグ通算12勝をマーク。
185センチの長身右腕として注目されましたが、勝ち星は96年に1勝したのみに終わっています。
花島寛己は187センチの大型右腕で、最後の夏は県大会ベスト8止まりながら、県内では好投手の一人として注目されていました。
ロッテの千葉移転後初の地元選手として期待されたものの、一軍登板はゼロ。

島崎毅は高校時代は無名でしたが、大学では東都2部リーグ通算15勝、
社会人では都市対抗で2年連続マウンドに上がっています。
95年に中継ぎに定着し、翌年にはパ・リーグ初の最優秀中継ぎに輝きました。引退後はコーチを務めています。

伊藤真は高校では県大会ベスト16が最高成績。大学では野球部がなかったため、仲間とともにチームを創設。
3年時に千葉大学リーグに加盟し、4年秋には3部リーグで7勝を挙げ、1試合17奪三振をマーク。プロでの登板は1試合に終わりました。
金子貴博は高校では千葉大会ベスト8が最高。プロ5年で一軍登板は果たせませんでした。

1992年は2名です。
和田孝志は高校時代は一塁手兼控え投手で、88年の夏の甲子園では2試合で3安打。
大学時代は2年春に史上8人目のノーヒットノーランをマーク。
プロでは9年目の01年に38試合に登板も、翌年に引退。19年より母校・拓大紅陵の監督に就任しています。

多田昌弘は高校3年夏、4投手の継投で準優勝を勝ち取った拓大紅陵の一員として活躍。
8イニングで自責点ゼロの好投を見せてチームに貢献しました。
プロ入り後は故障に苦しみ、わずか2年で現役を退き打撃投手に転向しています。

1993年は5名で、うち高校生が4名を占めます。
立川隆史は2年夏の甲子園で5安打を放ち、準々決勝では最終回に逆転ツーランを放つ活躍で準優勝に大いに貢献。
高校通算32本塁打のスラッガーであり、地元出身ということもあって大きな期待を集めましたが、
プロではレギュラー定着にあと一歩及びませんでした。

度会博文は高校時打は無名でしたが、大学では千葉リーグ通算で打率4割7分5厘、
MVP1回、首位打者3回とリーグを代表する打者として君臨。
プロでは勝負強さを活かした代打の切り札として重宝され、36歳まで現役を続けました。

“長嶋茂雄の後輩”井上貴朗は甲子園とは無縁も、
1年秋の県大会でノーヒットノーランをマークするなど県内では知られた存在に。
阪神では二軍で最優秀防御率を2度獲得も、一軍では98年の2勝が最高でした。

工藤友也は高校3年夏は3回戦で敗退しています。
187センチの長身から投げ下ろす速球が武器でしたが、現役生活は2年で終止符を打っています。

福浦和也は高校時代はエース兼4番も甲子園には出場できず。
プロ入り後、打撃センスを活かすために打者に転向し、5年目にレギュラーに定着。
01年には首位打者に輝く活躍を見せました。2018年には2000本安打を達成し、今季よりコーチに転向しています。

次回は94年~96年の予定です。


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