各球団のドラフト外選手一覧と一軍全成績を紹介するシリーズの第3弾は、「西武」です。
総勢は71名でした。
過去に紹介した近鉄、ロッテと比べても、成功した選手が格段に多いことが分かりますね。
西鉄、太平洋、クラウン時代は厳しい球団経営を強いられたため、
ドラフト外であろうと、一軍で戦力になりそうな選手は積極的に抜てきしたのでしょう。
若い背番号の選手がちらほらみられるのがその証拠です。
逆に、西武時代はチーム力強化、底上げのためスカウト網を駆使して
逸材を意欲的に“拾い上げ”、育成して戦力にしようとしたのだと思われます。
九州時代は地元・福岡や九州地区や隣県の山口県の出身者が多数を占めるのに対し、
西武(所沢移転)以降は入団選手の出身地も多彩になっていきます。
まず野手で目に付くのは、何といっても秋山幸二でしょう。
高校時代から逸材として注目される存在でしたが、大学進学を打ち出したこともありドラフト外でのプロ入り。
抜群の身体能力とセンスを活かし、5年目には早くも40本塁打をマークしてブレイクすると、
その後は西武黄金時代の中心選手として活躍。通算2000本安打、400本塁打、300盗塁を記録したほか、
ソフトバンクでは監督として日本一にも輝きました。
西鉄時代に入団した基満男も成功選手。1年目からレギュラーの座を獲得すると、
中距離ヒッターながら堅実な小技、正確な二塁守備で球界屈指の内野手に。
大洋移籍後も含めて、2度のベストナインを獲得しています。
加藤博一は西鉄、太平洋では芽が出ず、阪神移籍後の80年に打率3割、30盗塁をマークした遅咲きの選手。
大洋では高木豊、屋鋪要と“スーパーカートリオ”として話題に。
明るいキャラクターとしても知られ、引退後はバラエティ番組にも引っ張りだこでした。
小川史は高校時代は1番・ピッチャー。入団後、いきなりレギュラー級の番号を与えられましたが
黄金時代の選手層の厚い西武では出番に恵まれず、南海移籍後に遊撃のレギュラーの座を獲得。
最終的にプロ生活は18年に及びました。
西岡良洋は西武黄金時代にあって左キラーとして知られ、代打やスタメンで積極的に起用されました。
安定した外野守備も持ち味で、ゴールデングラブ賞を受賞したことも。
広橋公寿はいわゆる“ユーティリティプレーヤー”として、
内外野の守備固めや代打など、いろいろな場面で起用されていました。
羽生田忠之はいわゆる“鉄砲肩”として、外野の守りで重宝された選手です。
秋元宏作は西武では出番がなかったものの、大洋、横浜では堅実なリードを武器に正捕手まであと一歩に迫っています。
投手ではまず、加藤初。71年の産業対抗で優勝に貢献し、複数の球団からのアプローチの末、西鉄入り。
黒い霧事件で戦力不足のチームにあって、1年目に17勝をマークして新人王を獲得。
巨人移籍後もローテの一角を占め、通算141勝。マウンド上ではポーカーフェースだったことから“鉄仮面”と異名を取りました。
松沼博久、松沼雅之の松沼兄弟のドラフト外でのW入団は大きな話題となりました。
先に台頭したのは兄・博久で、1年目に16勝をマークして新人王を獲得。38歳まで現役を続けました。
弟・雅之も2年目からは5年連続で二ケタ勝利と、兄弟で西武黄金時代を支えています。
小野和幸は西武では5年目にローテに定着も勝ち星を伸ばせませんでした。
88年に中日に移籍すると18勝をマークして最多勝。優勝に大いに貢献しています。
西本和人は層の厚さからなかなか一軍に定着できませんでしたが、89年、90年に中継ぎとして4勝を上げています。
藤本和宏は西鉄では活躍できなかったものの、広島移籍後の71年にノーヒットノーランを含む10勝を記録し、
最優秀防御率を獲得するなど“一瞬の輝き”を見せました。
佐藤玖光は71年に25試合に登板も勝ち星はゼロ。広島では53歳まで打撃投手を務めました。
次回は日本ハムを予定しています。
総勢は71名でした。
過去に紹介した近鉄、ロッテと比べても、成功した選手が格段に多いことが分かりますね。
西鉄、太平洋、クラウン時代は厳しい球団経営を強いられたため、
ドラフト外であろうと、一軍で戦力になりそうな選手は積極的に抜てきしたのでしょう。
若い背番号の選手がちらほらみられるのがその証拠です。
逆に、西武時代はチーム力強化、底上げのためスカウト網を駆使して
逸材を意欲的に“拾い上げ”、育成して戦力にしようとしたのだと思われます。
九州時代は地元・福岡や九州地区や隣県の山口県の出身者が多数を占めるのに対し、
西武(所沢移転)以降は入団選手の出身地も多彩になっていきます。
まず野手で目に付くのは、何といっても秋山幸二でしょう。
高校時代から逸材として注目される存在でしたが、大学進学を打ち出したこともありドラフト外でのプロ入り。
抜群の身体能力とセンスを活かし、5年目には早くも40本塁打をマークしてブレイクすると、
その後は西武黄金時代の中心選手として活躍。通算2000本安打、400本塁打、300盗塁を記録したほか、
ソフトバンクでは監督として日本一にも輝きました。
西鉄時代に入団した基満男も成功選手。1年目からレギュラーの座を獲得すると、
中距離ヒッターながら堅実な小技、正確な二塁守備で球界屈指の内野手に。
大洋移籍後も含めて、2度のベストナインを獲得しています。
加藤博一は西鉄、太平洋では芽が出ず、阪神移籍後の80年に打率3割、30盗塁をマークした遅咲きの選手。
大洋では高木豊、屋鋪要と“スーパーカートリオ”として話題に。
明るいキャラクターとしても知られ、引退後はバラエティ番組にも引っ張りだこでした。
小川史は高校時代は1番・ピッチャー。入団後、いきなりレギュラー級の番号を与えられましたが
黄金時代の選手層の厚い西武では出番に恵まれず、南海移籍後に遊撃のレギュラーの座を獲得。
最終的にプロ生活は18年に及びました。
西岡良洋は西武黄金時代にあって左キラーとして知られ、代打やスタメンで積極的に起用されました。
安定した外野守備も持ち味で、ゴールデングラブ賞を受賞したことも。
広橋公寿はいわゆる“ユーティリティプレーヤー”として、
内外野の守備固めや代打など、いろいろな場面で起用されていました。
羽生田忠之はいわゆる“鉄砲肩”として、外野の守りで重宝された選手です。
秋元宏作は西武では出番がなかったものの、大洋、横浜では堅実なリードを武器に正捕手まであと一歩に迫っています。
投手ではまず、加藤初。71年の産業対抗で優勝に貢献し、複数の球団からのアプローチの末、西鉄入り。
黒い霧事件で戦力不足のチームにあって、1年目に17勝をマークして新人王を獲得。
巨人移籍後もローテの一角を占め、通算141勝。マウンド上ではポーカーフェースだったことから“鉄仮面”と異名を取りました。
松沼博久、松沼雅之の松沼兄弟のドラフト外でのW入団は大きな話題となりました。
先に台頭したのは兄・博久で、1年目に16勝をマークして新人王を獲得。38歳まで現役を続けました。
弟・雅之も2年目からは5年連続で二ケタ勝利と、兄弟で西武黄金時代を支えています。
小野和幸は西武では5年目にローテに定着も勝ち星を伸ばせませんでした。
88年に中日に移籍すると18勝をマークして最多勝。優勝に大いに貢献しています。
西本和人は層の厚さからなかなか一軍に定着できませんでしたが、89年、90年に中継ぎとして4勝を上げています。
藤本和宏は西鉄では活躍できなかったものの、広島移籍後の71年にノーヒットノーランを含む10勝を記録し、
最優秀防御率を獲得するなど“一瞬の輝き”を見せました。
佐藤玖光は71年に25試合に登板も勝ち星はゼロ。広島では53歳まで打撃投手を務めました。
次回は日本ハムを予定しています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます