もちろん、私もそれなりに一生懸命生きていた。小学校6年生で50mを11.7秒で走っていた私は、中学に入学して柔道部に入り、高校に進学してからは、柔道部の部長になった。しかし、ひねくれたデブの期間が長かった私は、その後、あらぬ方向へ進む。
70年安保闘争の余波は地方の県庁所在地にまで及び、世間はささくれだった雰囲気に包まれていた。岡山大学の学生が、高校の正門でビラを配り、校内に入り込んでアジ演説をしていた。彼ら左翼を投げ飛ばして職員会議にかけられ、チンピラと喧嘩をして、岡山県警の柔道部の先輩に処分保留で助けられたり。
あの頃の私は、青春の隘路に迷い込んで、暗い目をしてさまよっている凶暴な若者だった。そもそも、スーパーマーケットで支払った金も、良からぬ方法で手に入れたものだった。しかし、あの時、スーパーマーケットを出た私は、ほんの少しだけ明るい目をしていたような気がする。