10日正午ごろ、兵庫県三田市南が丘1丁目にある「地下1階地上2階建ての建物から火が出ている」と消防に通報がありました。
消防車など10台が駆け付け火はおよそ5時間後に消し止められましたが、およそ680平方メートルが全焼。
この火事によるけが人はいないということです。
消防は、2階部分にある内装工事中の空き店舗で作業員が鉄骨を切断していた際に、火花が飛び散り出火した可能性があるとみて詳しい出火原因を調べています。
「インドネシアのある地方では、子供が産まれると、庭にバナナの木を1本植える。」という話を読んだ。子供が大きくなるまでの間、そのバナナは、子供の大切な食料になるという。
この国でも、農村では、かつて娘が産まれると、庭に桐の苗を植えた。娘が嫁ぐ日に、この桐でタンスをあつらえて、嫁入り道具にして持たせるためである。親は、丹精込めてその桐を育てたのだろう。
貧しさゆえの習慣と言えばそれまでのことかも知れない。しかし、そこには、親の愛情が、分かり易く目に見える形で表現されていた。
そういう意味では良い時代だった。今は、親の愛情もお金に換算されてしまう。子供が通う小学校の費用が引き落とされた預金通帳を前にして、ふと、そう思った。
ある人にひな人形の処分を頼まれた。昔から何かと言い伝えがあるから、自分で捨てたり焼いたりするのが恐かったのだろう。私の寺へ話が持ち込まれた。別に人形供養をなりわいにしている寺ではないが、簡単なことなので、引き受けた。
焼却炉で焼くと、古い人形だったせいか、思いの外よく燃えた。もちろん、人形が悲鳴を上げたりすることもなかった。
ただ、燃えた後の灰を掻き出していたら、土でできた人形の首から上が、そのままの形で出てきた。髪の毛も目も眉もなくなった人形の首というのは、不気味である。火かき棒で首をくずしながら、人形を処分するのをいやがる理由が判ったような気がした。
思えば、これまでにも奇妙な依頼を受けてきた。お墓に人の顔をした苔が生えたから何とかしてくれ、土と混じったお骨を新しい骨壷に移してくれ、等々。そのたびに、タワシで墓をこすったり、お骨を掻き出したりしてきた。
「人形もお墓もお骨も恐くない。本当に恐いのは人間だよ」とつぶやきながら。
悲しい「メンマ」の物語である。「メンマ」は、昔、「支那竹(しなちく)」という名前だった。しかし、戦争には負けたくない。昭和21年6月21日、アホな外務省が、国内の各新聞社・雑誌社に対して、次のような局長通達を出したのである。
「支那という文字は中華民国として極度に嫌ふものであり、現に終戦後、同国代表者が公式非公式に此の字の使用をやめて貰ひ度いとの要求があったので、今度は理屈抜きにして先方の嫌がる文字を使わぬ様にしたい云々」。
そして、言論の自由を主張するはずのマスコミも、今日に至るまで、これまた「理屈抜き」で、この通達に従ってきた。この時から、「メンマ」は、生き延びるために、「支那竹」という名前を捨てた。ただ、「メンマ」は、幸いに、竹の頭のやわらかい部分だったから、少しは、この事態を考えた。
もし、この通達が、連合国統治下のやむを得ない処置だったならば、なぜ、日本は、講和条約締結後、独立を期に通達を撤回しなかったのか。もし、「支那」が差別用語だというならば、なぜ、同じ語源の英語のチャイナは差別用語ではないのか。もし、日本が「支那」を侵略したから差別用語になるというならば、なぜ、アヘン戦争に始まって、99年の長きに渡って、香港を支配してきた英国は、チャイナと呼べるのか。
最近、また、街で「支那そば」(=ラーメン)という看板を見かけるようになった。「メンマ」は、ひょっとしたら自分も「支那竹」と改名できる日が来るかも知れない、と期待している。
とある養殖場のウナギ達の話。
ウナギA みんな知っとるか。なんでも、聞くところによると、地獄という恐ろしいところがあって、オレ達も、最後は、そこへ行くらしい。
ウナギB どう恐ろしいんや。
ウナギA 地獄へ行くと、オレ達はみんな、頭に釘を刺されて、腹を裂かれてしまうそうや。しかも、その後、串刺しにされて、おまけに火であぶられるという話や。
ウナギC 何をアホなこと、言うとるねや。わしらの生活見てみい。3度の食事はきちんと食べられるし、衛生状態も申し分ない。こんな、わしらが、なんで地獄へ行かないかんね。第一、お前、その地獄へ行って、様子を見てきたんか。
ウナギA いや、見てきた訳やないけど...。
ウナギB それやったら、機嫌よう生きとるもんに、つまらんことを聞かすなよ。
一同 せや、せや。