3月27日、平成29年度予算は政府案どおり成立しました。しかし、その中身はほとんど審議されませんでした。なぜ、こうなったのかというと、予算を審議するはずの予算委員会が、森友学園、籠池某の議論ばかりで、この予算が多すぎる、この予算が意味不明、などという予算案の具体的な審議が行われなかったからです。なぜ、予算委員会で、野党が籠池ネタばかり質問するのかというと、予算委員会では、国政一般について審議する慣例があるからだそうです。
籠池問題などどうでも良いなどとは言いませんが、どう頑張っても、10億円ほどのお話です。それに対して、国家予算における支出は、97兆円を越える規模です。予算委員会で、籠池と来年度予算のどちらを優先するかはサルでもわかる話だと思うのですが、世の中は広いもので、野党には、籠池優先だと考える人が多かったようです。予算案を人質にして、政府を追及することに忙しかっただけのようにも思えるのですが。
私は、森友学園を巡る一連の疑惑については、「森友学園問題検証特別委員会」でも造って、そちらで議論する方が健全だと思います。
宮沢賢治の詩に「政治家」と題された一編があります。1927年、今から90年ほど前の作品です。
あっちもこっちも
ひとさわぎおこして
いっぱい呑みたいやつらばかりだ
羊歯(シダ)の葉と雲
世界はそんなにつめたく暗い
けれどもまもなく
さういふやつらは
ひとりで腐って
ひとりで雨に流される
あとはしんとした青い羊歯ばかり
そしてそれが人間の石炭紀であったと
どこかの透明な地質学者が記録するであらう
(青空文庫所収)
この詩に限らず、宮沢賢治を理解するには、「石炭紀」について知っておく方が良いかもしれません。以下は、昔、恐竜大好き少年の成れの果ての解説ですから、ほどほどに読んでいただければ結構です。
石炭紀は、地球の歴史を、古生代、中生代、新生代に分けたときの古生代に属します。巨大なシダ類が繁茂し、後にこれが変化して石炭になったと考えられているので、石炭が大量に見つかった地層にちなんで、この名がつけられました。
石炭紀の前はデボン紀と呼ばれます。イギリスのデボン州が名前の由来です。デボン紀と石炭紀を分けるのは、デボン紀の終わりに、大量絶滅が起こって、生物相が大きく変化したからです。地球上の全生物種の8割以上が死滅したと言われています。絶滅の理由は定かではありませんが、気候の大変動によるものでしょう。つまり、石炭紀は、デボン紀の大量絶滅後に出現した世界なのです。
石炭紀は、気候が安定していたので、生き残った生物が巨大化し、翼長70cmほどのトンボや全長60cmのムカデ、高さ20mを越えるシダ類が出現します。ゴキブリの先祖が発生するのもこの時代です。『風の谷のナウシカ』に登場する腐海を観たとき、巨大な節足動物が棲息した石炭紀の風景というのは、こんなものだったのかなと思いました。宮崎駿は大変な教養人ですから、宮沢賢治くらいは読んでいたかもしれません。いずれにしても、今日の我々にはかなり不気味な世界が広がっていたということです。
石炭紀の次はペルム紀と呼ばれます。約6000万年続いた石炭紀は、氷河時代の到来によって、再び多くの生物種が絶滅したので、この氷河期以降をペルム紀として区別します。石炭紀が、シダ類と巨大節足動物の時代だとすると、ペルム紀は、裸子植物(イチョウや松)が生まれ、今日に繋がるほ乳類や爬虫類、恐竜の祖先が登場した新しい時代でした。しかし、新しい生物群は、ペルム紀の終わりに訪れた史上最大の大量絶滅によって、その90パーセント以上が死滅してしまいます。そして、この大量絶滅を境に、古生代は終わり、中生代へと移っていきます。
ここまでの話をまとめると、こういうことになります。
デボン紀-大量絶滅-石炭紀-氷河期-ペルム紀-史上最大の大量絶滅-古生代の終了
このように概観すると、「政治家」という詩の意味が、少しは見えてくるような気がしませんか。つまり、「政治家」という詩は、今が人間にとって奇矯な石炭紀であっても、それはやがて終わり、奇妙な時代だったと記録される日が来ると信じているのです。
そしてもうひとつ。宮沢賢治は浄土真宗を捨てて法華の行者として生きたことが知られています。法華の行者を念仏の行者と比べたとき、一番の違いは、「法華の行者は現世に仏国土を建てること」を目指し、「念仏の行者は現世に深く絶望して浄土を欣求する」という辺(あた)りではないかと考えています。宮沢賢治が、やがて石炭紀と呼ばれるようになると考えるのは、その底流に法華の思想があるからでしょう。私のような真宗の坊主は、「んなわけ、ねえだろう。人間なんて、焼かれるまで煩悩まみれよ」と思うばかりです。
まあ、石炭紀は6000万年も続いたのですから、詩が作られて90年ほどしか経っていない現状では、法華と念仏、どちらが正しいかなど判ったものではありません。ただ、不出来な真宗の坊主が、宮沢賢治の「政治家」への返歌をものすとすれば、
籠の池 浚(さら)えてみれば 水底(みなそこ)の キヨミ河童が ぬらり現(あらわ)る
といったところでしょうか。