名塩御坊 教行寺

西宮市北部にある蓮如上人創建の寺 名塩御坊教行寺のブログ
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宮沢賢治と石炭紀

2017年03月30日 13時18分12秒 | 日記

 3月27日、平成29年度予算は政府案どおり成立しました。しかし、その中身はほとんど審議されませんでした。なぜ、こうなったのかというと、予算を審議するはずの予算委員会が、森友学園、籠池某の議論ばかりで、この予算が多すぎる、この予算が意味不明、などという予算案の具体的な審議が行われなかったからです。なぜ、予算委員会で、野党が籠池ネタばかり質問するのかというと、予算委員会では、国政一般について審議する慣例があるからだそうです。

 籠池問題などどうでも良いなどとは言いませんが、どう頑張っても、10億円ほどのお話です。それに対して、国家予算における支出は、97兆円を越える規模です。予算委員会で、籠池と来年度予算のどちらを優先するかはサルでもわかる話だと思うのですが、世の中は広いもので、野党には、籠池優先だと考える人が多かったようです。予算案を人質にして、政府を追及することに忙しかっただけのようにも思えるのですが。

 私は、森友学園を巡る一連の疑惑については、「森友学園問題検証特別委員会」でも造って、そちらで議論する方が健全だと思います。

 宮沢賢治の詩に「政治家」と題された一編があります。1927年、今から90年ほど前の作品です。

あっちもこっちも
ひとさわぎおこして
いっぱい呑みたいやつらばかりだ
     羊歯(シダ)の葉と雲
        世界はそんなにつめたく暗い
けれどもまもなく
さういふやつらは
ひとりで腐って
ひとりで雨に流される
あとはしんとした青い羊歯ばかり
そしてそれが人間の石炭紀であったと
どこかの透明な地質学者が記録するであらう

(青空文庫所収)

 この詩に限らず、宮沢賢治を理解するには、「石炭紀」について知っておく方が良いかもしれません。以下は、昔、恐竜大好き少年の成れの果ての解説ですから、ほどほどに読んでいただければ結構です。

 石炭紀は、地球の歴史を、古生代、中生代、新生代に分けたときの古生代に属します。巨大なシダ類が繁茂し、後にこれが変化して石炭になったと考えられているので、石炭が大量に見つかった地層にちなんで、この名がつけられました。

 石炭紀の前はデボン紀と呼ばれます。イギリスのデボン州が名前の由来です。デボン紀と石炭紀を分けるのは、デボン紀の終わりに、大量絶滅が起こって、生物相が大きく変化したからです。地球上の全生物種の8割以上が死滅したと言われています。絶滅の理由は定かではありませんが、気候の大変動によるものでしょう。つまり、石炭紀は、デボン紀の大量絶滅後に出現した世界なのです。

 石炭紀は、気候が安定していたので、生き残った生物が巨大化し、翼長70cmほどのトンボや全長60cmのムカデ、高さ20mを越えるシダ類が出現します。ゴキブリの先祖が発生するのもこの時代です。『風の谷のナウシカ』に登場する腐海を観たとき、巨大な節足動物が棲息した石炭紀の風景というのは、こんなものだったのかなと思いました。宮崎駿は大変な教養人ですから、宮沢賢治くらいは読んでいたかもしれません。いずれにしても、今日の我々にはかなり不気味な世界が広がっていたということです。

 石炭紀の次はペルム紀と呼ばれます。約6000万年続いた石炭紀は、氷河時代の到来によって、再び多くの生物種が絶滅したので、この氷河期以降をペルム紀として区別します。石炭紀が、シダ類と巨大節足動物の時代だとすると、ペルム紀は、裸子植物(イチョウや松)が生まれ、今日に繋がるほ乳類や爬虫類、恐竜の祖先が登場した新しい時代でした。しかし、新しい生物群は、ペルム紀の終わりに訪れた史上最大の大量絶滅によって、その90パーセント以上が死滅してしまいます。そして、この大量絶滅を境に、古生代は終わり、中生代へと移っていきます。

 ここまでの話をまとめると、こういうことになります。

デボン紀-大量絶滅-石炭紀-氷河期-ペルム紀-史上最大の大量絶滅-古生代の終了

 このように概観すると、「政治家」という詩の意味が、少しは見えてくるような気がしませんか。つまり、「政治家」という詩は、今が人間にとって奇矯な石炭紀であっても、それはやがて終わり、奇妙な時代だったと記録される日が来ると信じているのです。

 そしてもうひとつ。宮沢賢治は浄土真宗を捨てて法華の行者として生きたことが知られています。法華の行者を念仏の行者と比べたとき、一番の違いは、「法華の行者は現世に仏国土を建てること」を目指し、「念仏の行者は現世に深く絶望して浄土を欣求する」という辺(あた)りではないかと考えています。宮沢賢治が、やがて石炭紀と呼ばれるようになると考えるのは、その底流に法華の思想があるからでしょう。私のような真宗の坊主は、「んなわけ、ねえだろう。人間なんて、焼かれるまで煩悩まみれよ」と思うばかりです。

 まあ、石炭紀は6000万年も続いたのですから、詩が作られて90年ほどしか経っていない現状では、法華と念仏、どちらが正しいかなど判ったものではありません。ただ、不出来な真宗の坊主が、宮沢賢治の「政治家」への返歌をものすとすれば、

籠の池 浚(さら)えてみれば 水底(みなそこ)の キヨミ河童が ぬらり現(あらわ)る

 といったところでしょうか。

 


大和まであと8m

2017年03月22日 23時31分37秒 | 日記

 標題の『大和」は戦艦大和のこと。日本海軍が建造した史上最大の戦艦である。極めて優れた性能を持っていたが、同時に、多くの欠点も抱える戦艦だった。その全長は256m。

 この大和に、全長であと8mだけ及ばないのが、本日、3月22日に就役した護衛艦「かが」である。護衛艦とは名ばかり、実は小型空母と呼ぶべき代物。「かが」はひゅうが型護衛艦の2番艦で、1番艦は、ひゅうがである。そう、日本は、いつの間にか、こういう船を造っていたのだ。

 しかし、ひゅうが型護衛艦など可愛いもので、アメリカの最大空母(ニミッツ級)は、全長が333mと、東京タワーを横倒しにしたのと同じ。しかも、こちらは原子力空母で、20年間、燃料補給の必要がない。アメリカは、この大型空母だけで10隻を保有している。

 日本をアメリカのポチと呼び、日米安保条約に反対する人もいるが、それでは、この強大な軍事力を持つ国以外のどこと同盟を結べば、日本の安全が保障されるのだろう。軍備など少ないに越したことはないし、戦争などしない方が良いに決まっているが、露骨に日本の軍備に反対する人達は、日本が組むべき相手については何も語ってくれない。

 海上自衛隊のページからいただいた写真を縮小したものです。かがと同型のひゅうがだと思います。


2017年3月の寺だよりに掲載しました 兵隊やくざ

2017年03月21日 00時36分28秒 | 愚僧独言・「寺だより」掲載

「兵隊やくざ」という映画は、1965年に封切られた大映作品である。原作は、有馬頼義(ヨリヨシ)の「喜三郎一代」他数編。勝新太郎(大宮喜三郎)と田村高廣(有田)が主演した。
 舞台は、1943年のソ満国境に近い孫呉(ソンゴ)の関東軍部隊。大卒だが幹部候補生試験をわざと落第したインテリの有田は、部隊に配属されたやくざ上がりの大宮の教育係を命じられる。やがて二人は意気投合して、理不尽な暴力の横行する部隊の中で、知恵と腕力にものをいわせて大暴れ。最後は、南方へ兵を送る列車を乗っ取って、脱走するというお話である。
 戦時中、軍人に不愉快な目に遭わされた人、軍隊で暴力に泣いた元兵隊達が、大勢観に行ったのだろう。後にシリーズ化されている。そういう意味では、暴力的戦争娯楽映画であり、厭戦映画でもある。
 この映画のもう一つの見所は、ピー屋(慰安所の隠語)のシーンである。映画の制作当時は、まだ大道具小道具係をはじめとするスタッフにも、軍隊経験者が多くいたはずなので、慰安所の様子は、かなり実態に近いものだったと思われる。また、そうしなければ、観客も納得しなかっただろう。
 慰安婦問題で喧(カマビス)しい今日、この映画は、戦争を知らない私達に、慰安所の具体的イメージを与えてくれる。

 


テレビが輝いていた頃

2017年03月07日 22時42分38秒 | 日記

 私が生まれた昭和28年2月1日 - 日本放送協会(NHK)のテレビ放送が始まりました。これが、日本での地上波テレビの初放送でした。我が家には、それから10年ほどテレビがなくて、隣の家へ見せてもらいに行っていました。あの頃、テレビは輝いていました。

それが半世紀後に、今日のような体たらくを晒すことになろうとは、想像だにできませんでした。

 先日、インターネット上で面白い写真を拾いました。

 この人、見たことがあります。先月、ニュースに出ていた人です。

 更に捜すと、こんな写真もありました。

そして決定打はこれ。

 つまり、この人は一般人ではなく、共産党員もしくは共産党シンパの活動家だということです。それを、知ってか知らずか、日本のテレビは、一般人のように扱っているのです。視聴者を欺しているとまでは言いませんが、胡散臭い人選であることは確かです。

 インターネットが普及した今日、こんなことを続けていると、ますますテレビはダメになっていくような気がします。私が子供の頃の、あのテレビが輝いていた時代にもどることはできないのでしょうか。