住職の娘です。
最近、名塩は秋の気配が濃くなってきました。
暑さが和らいだことで、蔵の整理や片付けも少しずつ進めています。
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この度、さまざまなご縁から、浄土真宗、特に歴史・史料研究を専門とされる先生に所蔵品の調査をお願いできることになりました。
少し長期的な計画となる予定です。
祖母をはじめ住職などにも、その意味や価値がわからないものが多く、年代もわからず、なぜ教行寺にあるのか不明な物品もあります。
そのため、今回の蔵の調査が決まったことは所蔵品を預かる身として大変有り難いことであり、その安堵感は言い表すことはできません。
既に、地域史に重要な文書について、兵庫県が大規模な調査を実施しており、教行寺もその対象でした。
昭和50年代から平成にかけて『兵庫県史』が刊行されています。
その『兵庫県史 第三巻』には蓮如上人の布教と浄土真宗の教線拡大に関する記述があり、名塩教行寺のことも古い写真とともに記載があります。(P.468-469)
また、『兵庫県史 史料編中世四』には「教行寺縁起」(P.6-9)が、『兵庫県史 史料編中世一』には「教行寺文書」(P.475-496)の翻刻が掲載されています。
調査は非常に時間と労力をかけた大規模なものですが、それは兵庫県という地域と歴史に主軸をおいた公的な調査です。
対して、今回の調査は「名塩教行寺の史料」に焦点を当てたものです。
現在わかっている「真宗の歴史」の中に当寺の史料を落とし込むことで、教行寺と所蔵する物品の意義について教えていただくチャンスです。
振り返ってみると、蔵とその所蔵品については、祖父が亡くなった後、どこかでずっと心にかかっていたことでした。
「若いときにだいぶ調べたけど、ここまでが限度やった。
住職はこういうの興味ないから、守るんはお前しかおらんからな。
蔵と書斎のことまかすわな」
「お寺の大事なものについてわかる範囲で調べたノートや資料一式はここに全部置いてあるから、わからんで困ったときは探すんやで」
「わしのことはええから、おばあちゃんのこと頼むで」
がんで余命数ヶ月となった頃の祖父の言葉です。
自分の死後のことについては、それくらいしか言い遺しませんでした。
どれも大仕事で、大学(宗門校ではない)をでてすぐの身には難しいことばかりでしたが…笑
そして、祖父が亡くなり十年以上。
ご縁をいただいた先生は、真宗史がご専門で調査と史料研究において非常に高名な研究者の方ですし、この件に関わってくださる先生方も信頼できる方々です。
このご縁に感謝しながら、所蔵品の内容やその意義を学ばせていただき、蔵の管理や史料の保管方法などご指導いただくことで、今後、これらを預かる者としてその責任を果たしたいと思います。
畑違い故、祖父が最大限努力しても完遂できなかったこと。
時をこえて、ご縁に恵まれ、祖父の願いは叶うのかもしれません。
南無阿弥陀仏
追記
長らく体調不良が続いていた祖母が、今月16日に入院致しました。
祖父が尽力した蔵の整理について非常に気にかけていましたが、今は長々と話をする体力もない状態です。
祖母の回復を願いつつ、蔵のこと、それぞれ疎かにせず大切に時間を過ごしたいと思います。